岡田外相発言の捉え方 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

なるほど。この人はあまり使えない、使ってはならない人だということが見えてきた。


天皇のお言葉について岡田氏が宮内庁に批判的なコメント、注文を出したということでささやかな波紋が広がっている。

私に、どう思いますか、との質問があった。


天皇の、国会開会式のお言葉は拳々服膺して聞くものだと思っていたので、私自身意外だった。

それだけ天皇のお言葉に真剣に耳を傾けていたのか、と岡田氏を見直したところもある。

しかし、どこかおかしい。

違和感が残る。


理屈の上では天皇のお言葉の中味をより国民の心に染み透るように推敲すべし、というのは分かるのだが、でもおかしい。

この違和感の正体が見えてきた。

岡田外相は、どうやら天皇のお言葉を終始醒めた目で見てきた、聞いてきた、ということである。

保守の政治家や有識者が岡田外相のこの宮内庁に対する批判というか注文に激しく反応したのは、当然だ。


天皇家を一人一人が心の中でどう位置づけているか。


戦後生まれの世代の人にとっては、結構難しい問題かも知れない。

岡田外相が戦後生まれ、戦後の民主化教育の中で育った政治家であることが、端無くもこの一言に現れているのだろう。


一人の政治家としての自由な感想ならともかく、重要閣僚のポストに座ったものが閣僚の発言として捉えられることを知った上で宮内庁に物申す、というところにこの問題の本質がある。

日本の外交や安全保障、皇室の問題を岡田氏に託することは危うい。