長崎市長殺害事件の控訴審判決が言い渡された。
一審の死刑判決が取り消されて、無期懲役が言い渡された。
死刑がまだ廃止になっているわけではないのに、死刑の言い渡しそのものを躊躇しなければならないという現在の風潮には違和感がある。
被害者が一人だから、という説明では納得できない。
市長選挙の真っ最中に候補者である市長を殺害した、ということの政治的、社会的重みを考えると、ここは現行法で認められている最高の刑を言い渡すべき時ではなかったか。
政治テロではないから、という理由づけにも納得できない。
行為の外形から言えば政治テロそのもの。
特に宥恕しなければならない理由に乏しい。
自分の理不尽な要求を市長から撥ねつけられたための報復だった、と犯人は嘯いていたのではなかったか。
こういう類の犯罪は、どんなことをしても抑止しなければならない。
政治家や官僚に対しての不平不満が鬱積し始めているが、これがいつ政治テロに直結するかもしれない危険な社会情勢である。
政治テロが蔓延しかねないような風潮は、今のうちにその芽を摘んでおかなければならない。
今回の福岡高裁の判決には、やはり違和感がある。
一審の死刑判決を覆さなければならないだけの理由はなかった、と私は見ている。
犯罪の抑止力を確保する一つの方策は、法を破った時は厳罰に処せられる、ということが一義的に明らかになっていることだ。
法を破っても処罰されない、あるいは厳罰には処せられない、ということになると、法を無視する人たちが出てくる。
この高裁判決で、また法規範が軽くなってきた。
この事件は政治テロだと多くの国民は認識しているはずだ。
最高裁が政治テロ殺人をどう裁くのか、私は知りたい。