保守の基本は、護るべきものについての認識が確立していること。
歴史、伝統、文化、家族、地域社会、国。
こういったものが、保守とそうでないものとを見分けるメルクマールになるだろう。
私は、自分には護るべきものはない、と広言している人たちは、保守ではないと思っている。
ニヒリズムや価値相対主義に陥ってしまうと、しばしば破壊衝動に駆られてしまう。
この人たちは、保守とは一番遠い存在である。
私は、一貫して保守を貫いてきた。
人が大切にしているものは、壊さないようにしてきた。
たとえ自分自身にとってはたいした価値は無いように思えても、その人にとっては大事なものがある。
自分にはその価値が分からないだけかも知れない。
大体そんなスタンスで臨んできた。
これが、私が念頭に置いている保守である。
保守は、基本的に他人に寛容である。
自分に護るべきものがあるように、他人にも護るべきものがある。
しかし、保守ではあるが、常に改革のためのチャレンジは続けてきた。
保守だからと言って、改革の手を緩める必要は無い。
時には、革命すら厭わない。
体制内改革でも、革命でも、護るべきものがしっかり確立していれば、保守の範疇に入れてもいい。
河野太郎氏は、小さな政府を実現しようとしている。
別に日本を壊そうなどとはしていない。
誰かに日本を売り渡そうなどともしていない。
家族の絆を大事にし、友情も大切にしている。
何が自民党の癌か、どこに霞ヶ関の欠陥があるか、ということに対する認識とその認識に基づく言動が強烈なだけだ。
だから、河野氏を健全保守だと書いた山本一太氏のブログに一瞬驚きを感じながら、こういう健全保守もあっていい、と私のブログに書いた次第である。