原爆症訴訟問題の政治決着が実現 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

人を得る、ということは、こういうことだ。

河村建夫官房長官がいたから、こういう決着が可能になった。

私は、そう思っている。


今日の広島原爆忌までに何としても決着させたいという政治の強い意志がなければ、いつまでもグズグズと訴訟が続き、マスコミにも国民の間にも不満が鬱積したままであったろう。

異例なことであるが、国が控訴を取り下げ一審の原告勝訴判決を確定させることにしたのは英断だ。


総理の決断という形に納めたのもいい。

ここ一番のときに総理に総理に相応しい出番を用意する。

これが官邸の大事な役割だ。

ここにきて官邸が機能を発揮しだしたような気がする。

もう少し早ければ、もっと総理が輝いて見えただろうに、とは思うものの、この段階での総理の登場は良かった。


行政処分の取消請求訴訟の取扱は、実は難しい。

行政処分の有効性を争う裁判だから、和解がない。


本当は中間点にこそ正義が宿っているのに、黒か白か。0か100かの決着を迫られるのが行政処分に係る訴訟。

裁判所として和解を勧告したくなるが、金銭和解などあり得ない事件だから、どうしても結論が右から左と大きくぶれることになる。

行政処分の特質というべきか。


100か0の中間に答を見出したいことは、沢山ある。

こういうときに中間的解決が出来る方法がないか。

私などは常にそのことを考える。


この辺の機微を理解すると、議員立法による解決の必要性とその重要性が見えてくる。

私は、今回の総理の決断、官邸の決断を高く評価する。


総理でなければ、出来ない仕事であった。

そして、黒子に徹した河村官房長官の今回の仕事ぶりは、賞賛に値する。


誰が何と言おうが、麻生内閣は仕事師内閣である。

いぶし銀だが、段々光が増してきている。