おはようございます。
裁判員制度が私たちの見えるところで動き始めました。
裁判員法が施行された5月21日から1か月半が経っておりますが、順調なスタートのようです。
マスコミをはじめ多くの皆さんがこれまで様々な問題提起をされてこられましたので、国民の間に急速に認識が広まったようです。
裁判員を選ぶために裁判所に来ていただく裁判員候補者の数はもっと減らしてもいのではないか、と提案したことがありますが、どうやら最初の事件はそうなったようです。
辞退を申し出られた候補者の数が少なかったということは、それだけこの裁判員制度には大きな可能性がある証拠です。
裁判に対する国民の関心は、決して低くない。
それだけでも成功です。
誰も関心を持たなくなると、当事者は自分たちだけの世界に閉じ籠もりがちになります。
世間では通用しない理屈で自分たちだけの世界を築こうとしてしまいます。
刑事訴訟法のルールが適当に捻じ曲げられてもほとんど支障がない、ということで裁判が形骸化します。
直接法廷で証拠調べをするのが原則なのに、供述証拠の要旨の朗読がどんどん簡略化される、法廷は公開する原則なのに、傍聴人には法廷で何が行われているのか分からない、裁判官は法廷で証拠調べをするはずなのに、官舎に戻って分厚い供述調書、法廷での証言調書などを読んで、一人で証拠の検討をする、被告人には権利保釈が認められるはずなのに、実際には保釈はなかなか認められない、などなど、かつては日本の刑事裁判にはさまざまな問題がありました。
実務を長く離れておりますので、現時点でどうなっているかは言えませんが、日本の刑事裁判のあり方は変えなければならない、と私は思ってきました。
どうやら変わってきたようです。
裁判の実務に役立つ科学技術の進展があった、ということが大きいですね。
裁判がこれほど見事に変貌するのですから、政治ももっと変わる必要があります。
選挙運動のやり方ぐらいさっさと変えたいものですね。
この変革の時代に変革についていけないのは政治だ、などということになりませんように。