原爆症訴訟問題 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

この問題が決着しないままでは、私の仕事は終わらない。

行政判断と司法判断が乖離しているときに、どうすべきか。

これが、原爆症訴訟問題である。


既に認定基準の改定がなされ、かなりの問題が解消に向かっている。

しかし、依然として未認定原告や一審敗訴原告の問題を残している。


この問題は、出来れば私が担当して終結に持って行きたかったが、結局私の出番はないままに終わりそうだ。


舛添厚生労働大臣は、議員立法を考えておられるようだ。

私の意見も同様である。

しかし、党側で議員立法を推進する受け皿がなければ、言いっ放しに終わる。

本当は、通常国会の会期中に結論を出すのが望ましかった。


これから議員立法ということになると、どうしても衆議院選挙が終わってから、ということになる。


誰が最終的な結論を出すのか。

この問題について一番熱心に取り組んできたのは、広島の寺田稔前衆議院議員。

出来れば、寺田議員の手で最終決着に持っていければ良かった。

解散になって一番悔しいのは、寺田議員だろう。


寺田議員の執念は、凄まじかった。

本当に自民党の国会議員?

そう思わせるほどの、入れ込みようだった。


ただ、余りにも原告団と一体化し、当事者的過ぎたので、全体の調整役を引き受けるのは難しかったようだ。

私が政務官でなく、党の原爆被爆者問題対策委員長のままだったら、私が党側のまとめ役を引き受けることも出来たのに、と、少々悔いが残っている。


いずれにしても、この問題の決着が付かないのでは、戦後はまだ終わらない。

私は、昭和20年9月、長崎県で生まれた。