私のブログを読んで分かりやすい、とお褒めいただきました。
本当は、物凄く回りくどく、オブラートに包みながら、ほんのちょっぴり大事なことを書いているつもりですが。
行間を読み、ときには裏読みしていただいて、しばらくたってから、ああ、このことだったのか、と気付いていただく。
そんな工夫を凝らしています。
今朝のブログは書き上げるのに大分時間を要しました。
この表現はストレート過ぎる。
これじゃあ、何を言いたいか、すぐ底が割れてしまう。
ここまで書いて大丈夫か、などと考えながら、後で、やはりそうだったか、と納得していただけるように書いております。
かつて、公共事業の受注に政治家の関与は当たり前だったようです。
公共工事の受注額の3ないし5パーセントを政治家に回す。
族議員やドンと言われるような議員の事務所は、そういうことを大事な生業にしていたようです。
談合がなければあり得ない話です。
発注者側の協力が無ければ出来ない相談です。
受注者側に発注者側の人間が継続的に天下っている、ということがなければ成立しない仕組みです。
そして、談合の調整役がいなければ絶対に不可能なことです。
どんなにお化粧を施しても本質には変わりがありません。
甘い汁を吸うために、沢山の蟻が集まる。
いけないことだと分かりながら、一度その世界に足を入れれば、抜け出すことが難しい。
気の弱い人間には、務まらない世界です。
誰かに壊して欲しいが、どうしても壊せなかった。
そういう仕組みを、ぶっ壊し始めたのが、小泉純一郎元総理だった。
私は、そう見ております。
世襲問題では小泉さんを批判する立場に立っておりますが、私は、小泉改革は日本の政治の体質を根底から造り替えるための壮大な挑戦だった、と、高く評価しております。
その延長上に、今回の小沢氏の問題があります。
私は、森さんがどう発言されるか、どう行動されるのかにはおよそ関心がありません。
私の関心は、あくまで小沢的なるもの、に対してだけです。
そのことを是非ご理解いただきたいと思います。
小沢的なるものが日本の政治から無くなれば、これまで国政の場で頑張ってきた意味がある。
そのくらい思っております。
(まだ、分かりにくいでしょうね。)