難しい時代である。
山形県知事選挙で現職が敗れた。
東京にいては、現職知事のどこが批判の対象になったのか分からない。
過去の知事選を引きずった、保守政治家の間の大きな亀裂が行政経験のない行政書士を押し上げたのか、それとも、日本の政治の現状に対しての批判や不満が現職知事への批判に直結したのか。
県会議員の大多数、自民党衆議院議員の多数は現職についたが、自民党参議院議員は新人議員の応援に回った、という。
これが麻生政権に対する国民の批判の現れだ、民主党に対する国民の支持が高まっている証拠だ、という一部マスコミの論調には賛同できない。
4年前に県政刷新を訴え、颯爽と登場した新人がこうも簡単に捨てられてしまう。
県政を変える若い清新な力の登場を求める県民の声に応えて、日銀の職員という安定した職場を捨てて政治の世界に転進した有為な人材が行き場を失う。
選挙は、非情である。
政治は、非情である。
これから多くの新人が政治の世界に挑戦するだろう。
挑戦して貰わなければ困る。
しかし、政治の非情さ、政治の非情さを十分承知しておいて欲しい。
小沢一郎氏は、来年度の予算成立後に衆議院の解散総選挙が行われる、と言っているようだ。
うん?
たしか去年の年末に選挙だ、と言っていなかったか。
遅くとも今月には選挙があるぞ、と煽ってはいなかったか。
ただただ、若者を選挙に走らせる。
選挙後に何が待っているかを知らせないで、自分の足でとにかく今走る力を持っている若者を、政権交代の夢で煽る。
無責任だなあ、と思う。
政治の世界だけでなく、実業の世界や学問の世界で自立できる力を蓄えさせてから政治の世界に挑戦するように方向転換をしていただきたい。
それが後進を育てる者の責任である。
政治は、非情だ。
選挙で勝てそうもない、ただそれだけの理由で簡単に人を捨てそうなのが小沢氏だ。
危ない時代である。