誰でも良かった? | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

NHK日曜討論で、秋葉原通り魔事件を取り上げている。

これまでこの問題を取り上げることを意図的に避けてきたが、ブログを公開している政治家として、多少の感想を示す責任があるように思う。


教育の現場で荒れる学校に向き合ってきた河上亮一氏の話は、深かった。

その他の出演者の話も、それぞれ納得させるものがあった。

その中で、特に私の関心を強く引いた言葉があった。

それは、通り魔事件を起こした犯人の非社会性を指摘した言葉だ。


「自分には、関係ない。」

世の中の動きに関心を喪失した人々が等しく口にする言葉である。


「自分には、関係ない。」

そういう思いが、人を孤立させる。

いわゆるひきこもりは、家族や地域社会との関係性を喪失した結果、起きる。


自分だけの世界に閉じこもっているうちに、突然そんな自分の存在も否定したくなるのではないか。

それが私の独自の感想だ。


自己否定、自己破滅型の犯罪は、そんな土壌から発生するのではないか。

自己否定、自己破滅型だから、本当の計画犯罪ではない。

そして、自分には本来ない姿を、わざわざ見せたくなる。


ここが現代の特徴ではないか。

これが私の感想だ。


最後の自己顕示がそこにある。

不特定多数が集まる盛り場での、突然の凶行。

反抗を予告する頻繁な書き込み。

不自然な大量な凶器の購入。


誰かが止めてくれればよかった、というのも嘘ではないだろう。

愚かな犯罪に手を染めようとする愚かな自分に気がつきながら、惰性に流されるように犯罪に突き進む自分。

誰かが止めてくれればいい。

そう思いながら、どんどん凶行に突き進んでしまう自分。


正気と狂気の間を揺れ動きながら、結局重大な犯罪を起こしてしまう。

こういう不条理を、私たちは認識しておく必要があるのではないか。


事件を起こした人たちの反省の言葉を、私は額面どおりには受け取れない。


誰でも良かった?

おかしな話だ。

不特定多数の人が大勢集まるところで、不意打ちの凶行に及ぶ。


ターゲットは、極めて明白だった。

自分より弱い、不特定の人。


こういうことを理解したうえで、私たちはこういう犯罪を防ぐことに全力を注いでいかなければならない。

私は、人と人との絆を取り戻すことが一番大切だと思っている。


子供を粗末にする家庭。

子供を適当にあしらう学校。

そして、社員を機械のようにしか見ない職場。


こういう社会を根本的に作り変えることが、私たちの大事な役割だと思っている。