いよいよ結論を出すことになった/児童ポルノ所持禁止と裁判員裁判 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

質、量共に豊かなコメントを頂戴した。

通常の国会の審議では得られないほどの充実した議論だったと思う。

この1ヶ月間は、私にとっても別世界にいたような、不思議な時間だった。


顔が見えないが、語られる言葉でそれぞれの人の人柄が伝わってきたような感じである。

将来どこかでお会いしたときに、実はあのときの発言者は私です、と、にっこり微笑んでいただければ幸いだ。


多くの方にこのブログでの遣り取りを見ていただいたようだ。

本当にありがたかった。

結果的に私のブログの順位が111位にランクされた。

1が3つも続けば、必ずいいことがある。


この問題については、既に一定の方向性が出ている。

与党PT案が修正されることが本決まりとなったのである。


ここで一つの教訓を得た。

是非、皆さんにお伝えしたい。


どんなに正しそうなことも、はじめから結論ありき、として自分の結論を押しつけようとしても、なかなか他人の共感を得ることは難しい、ということだ。


自分が気づいた論点や問題点を、他人にも気づいて貰うことが重要だ。

そのためには、はじめに、問題となる事項を大見出しにして、考えるべきポイントを列挙することが有効である。


自分の意見は相手が自分で考える際の参考資料だ、ぐらいの感覚で簡潔に述べておく。

相手が共通の問題意識を持ったら、まずこれに対する相手の意見を引き出してみる。

相手の意見がどんな根拠に基づくのか吟味し、前提事実が間違っているときは、そのことを明確にしておく。


誤解や錯覚を、まず取り除くことが重要である。

漠然とした認識しか持っていないと、これに対する意見もかなり茫漠なものになる。

これは仕方のないことである。


その内に問題点が明らかとなり、判断のための資料も揃ってくると、自ずから意見もシャープになってくる。

そして、他人と意見を交換している内に、それまでの自分の意見を変えたり、その逆に自分の意見に自信を深めていく、ということが起きてくる。


大事なことは、それぞれが自分の頭で考えること。


この辺の呼吸が分かると、相手がその問題について自分自身で考え、結論を得るためにどんな材料を必要としているか、が分かってくる。

すなわち、それまでは他人の問題だったのが、問題意識を共有することによって、自分自身で結論を探すようになる。

他人の問題が、いつの間にか自分の問題に転化する。


昨日、東京地方裁判所で模擬裁判員裁判の2日目を傍聴した。


一昨日の証人尋問の時にはほとんど質問できなかった裁判員が、自分の頭で証人の証言の信用性、犯行の態様などを考え、認識を深めていっている様子が窺えた。

そして、犯行の態様についての事実認識の共有化を図った上で、さてどの程度の刑を言い渡すべきか、について、一人一人の裁判員が、裁判官と同様に真剣に悩みながら、結論を下していくプロセスがよく見えた。

これは、凄い。

率直な感想である。

法律の専門家である裁判官と、法律には素人であるはずの裁判員が一緒に合議することで、裁判が本当に国民のものになっていく様子がありありと窺える。


そうだ。裁判も立法も根っこは同じなんだ。

そう気づかせてくれた。


国民に代わって私たちは立法作業に従事している。

国民に代わって裁判官や裁判員は裁判に従事している。

国会議員の独りよがりで、変な立法をしてはならない。

裁判官や裁判員の独りよがりで、変な判決を出してはならない。

立法の過程に、十分国民の良識が反映されなければならない。

裁判の過程に、十分国民の良識が反映されなければならない。

根っこは、同じではないか。

児童ポルノ所持禁止問題についての議論は、当面この程度で終熄するだろう。


これまで単純所持禁止、と言っていたが、処罰の対象とする行為は、「製造または取得しての所持」という風に構成要件を変えることを検討している。

捜査権の濫用を防止するために、現在ある留意条項の表現ぶりを変えることも検討している。

成るか成らないか、の最後の大事な局面であるが、いずれにしても明日が一つの結論を出すゴールになることは間違いない。


皆さんの良識がどんな形であれ、修正案に反映されないはずはない。