一字一句違わない話ができる不思議な政治家たち | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

政治家の演説には、感心する。


どこの場所に行っても同じ話をする。


どこで笑いをとるか、何分で話を切り上げるか、まるで測ったようである。




私には、到底できない芸当だ。


そのつど考えながら話をするので、とても同じような話にはならない。


人から影響を受けやすいのだろうか、誰かの挨拶が耳に残っていれば、その内容も斟酌しながらの即興の演説になってしまう。


出来不出来の差が大きくなる。面白いが、不安定ということにもなる。




自分ではそれが自然だと思っていたが、どうも違うようだ。




一定のレベル以上の政治家の演説は、厳密な計算の上で行われているようである。


何を取り上げるか、取り上げるテーマの順序や文章にした場合の字数によって、その政治家の関心度が測られるからである。




私には、やはりできない。


自分でもいい挨拶ができたような感じが残るときもあるが、再現できるかというと、まったく思い出せない。




計算して演説の内容を確定していないからだ。


演説の草稿を推敲し始めたら、いつまでも終わらない。




これでは、いつまで経っても私は政治家らしくない、ということになるのだろう。