為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり
上杉鷹山のこの言葉を座右の銘のようにして、努力してきた。
身上書に自分の長所、短所を述べよ、とあるときは、いずれも努力型と記したこともある。
それなりに努力してきたが、自分が天才的才能の持ち主ではないことを実感していたため、短所も努力型、と書いた。
たいした努力をしてきたわけではない。
せいぜい1日に50ページ法律の基本書を読み進めようと決めたら、そのペースを最後まで維持したという程度である。
実に平凡なものだ。
しかし、毎日一日も欠かさないでできるか、と言えば、容易なことではない。
その時々に様々な用事ができる。
サボる理由など五万と見つけることができる。
今日くらい良いだろう、という囁きの声が自分の心の中に生まれてくる。
それらを跳ね除けて、最後まで、自分が自分自身に課した課題に取り組んでいくことが肝腎である。
私の子供を含め、これからの時代を担う若者には、是非努力する習慣を身につけてもらいたい。
そういえば、君たちにふさわしい言葉があった。
やればできる、は僕たちの合言葉。
甲子園球児への熱いメッセージが籠められているいい言葉だ。
軒から滴り落ちる水滴がやがて軒先の石を穿つように、努力が道を拓く。
ついに、私の体重がコンスタントに75キロ台を記録するようになった。
努力は不可能を可能にする。
やればできる、は私自身への応援歌でもある。
ちなみに、私は、1355日間、一日も欠かさず、駅頭での挨拶を続けた。
今も、参議院選挙のお願いで、朝夕の駅頭を続けている。
おはようございます。いってらっしゃい。お帰りなさい。今晩は。お気をつけてお帰りください。おやすみなさい。