参議院選挙の争点 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

いよいよ参議院選挙である。


早速アンケート調査が来た。今回の参議院選挙の争点と、その解決策を問うている。




評論家であれば、年金記録問題、政治と金を巡る問題、官製談合問題、公務員の天下り問題、原爆投下問題、沖縄普天間基地移転問題、北朝鮮核開発凍結問題、拉致問題、地球温暖化対策など、新聞を賑わした話題を取り上げることになろう。


しかし、私は、そういった皮相な問題をいくら多く取り上げても、今回の参議院選挙の抱える本当の問題に迫ることはできないと思う。




今回の参議院選挙は、参議院そのものの存在意義を問う選挙である。




今年は、参議院が発足して60周年の記念の年でもある。


現在の憲法がマッカーサーから手交されたマッカーサー憲法草案を下敷きにしていることは、周知のとおりであるが、マッカーサー憲法草案では一院制だったのが、日本政府側からの要請で衆議院と参議院の二院制になったということをどのくらいの人が知っているだろうか。




参議院は、良識の府、あるいは再考の府・熟慮の府と言われている。


衆議院と異なり、学識経験者や職能団体の代表者が参議院の議席を占めることが期待されていた。


政党に支配されず、また党利党略に左右されない、まさに良識の代表者が参議院議員に選ばれることが期待されていた。




しかし、現実は衆議院も参議院も同じような選挙で選ばれる。政党の公認が無ければ当選は難しい。


当選しても自分の良心に従った政治活動が許されない。




現在の参議院は、良識の府でもなければ、再考・熟慮の府でもない。


衆議院のカーボンコピーと揶揄する声もあるが、率直に言えば、単に衆議院の足を止めるだけの、牽制の府でしかないと思う。


たまには牽制役が必要になるときもあるが、いつもいつも衆議院の足を引っ張るだけの存在であれば、参議院はかえって有害・無益な存在になる。




この通常国会を通じて分かったのは、例え衆議院で安定多数を占めても、参議院で安定多数の議席を獲得できなければ、法案の成立が容易ではない、ということである。




野党が強硬に反対を続ける法案は、強行採決でもしなければ通らない。


昨日閉会した弟166回通常国会は、強行採決を連発せざるを得なかった。


現状を少しでも良い方向に変えていくために、さまざまな改革を推し進めていく外なかったが、それをマスコミは批判する。




マスコミや国民の非難を恐れる為政者は、妥協に妥協を重ね、強い反対が予想される法案は、はじめから出そうとしなくなるだろう。


結果的に、難しい問題は先送り、臭いものには蓋をする。


すべて前例踏襲。決して現状を変えようとしない。




現状を変えないために、さまざまな理屈を捻り出す。


問題が生じたときは、対症療法で誤魔化す。


誰も責任を取ろうとしない。




どこかで見たような光景ではないか。




参議院無用論が時々首をもたげてくるが、私は、今回の参議院選挙の結果次第では、参議院無用論を飛び越して、参議院有害論が出てくるのではないかと危惧している。


参議院が有害な存在になってもこれを改める手段が見つからないときに起きることは、暴力である。


不条理を解決する方策がないときに、革命のエネルギーが高まる。




わが国の政治が混迷し、退化の道を歩むか、それとも改革のエネルギーを蓄え、改革を加速していくか、その分かれ道に私たちはさしかかっている。


今回の参議院選挙は、まさに日本の命運を占う国政選挙になる。




改革を加速するか、それとも、改革の足を止めるか、これが参議院選挙の争点である。