いつかの少年 | グルクンマスクのブログ「琉球ドラゴンロード」

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電撃!稲妻!熱風!
沖縄在住、プロレスラー、琉球ドラゴンプロレスリング代表グルクンマスクの呟きと半分以上告知です。
ネーブルカデナ3Fカデナアリーナでの大会を基軸に、県内各所、イベント試合、テレビ、ラジオでもいろいろやってます!

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セイバーと初めて会ったのは彼が高校生のとき。
だから12〜3年前になるんですかね。
 
当時僕は大阪プロレスにたまに参戦するフリーレスラーで、同時に地元で格闘技道場の主宰をしていました。
その頃からビリーさんとは仲良くさせて頂いていたご縁で、彼が先生を務めていた「大阪プロレス・プロレス教室」との交流が始まり、向こうから生徒さんがウチに練習に来てくれてたりしていました。
原田大輔とか、アルティメットスパイダーjrとか、入江茂弘とか。
で、今度は僕らの方からプロレス教室に練習に行こうか、ということになりました。
そのときの写真がコレ。
 
セイバーは当時から寡黙でなんにも喋らなくて、「なんか俺らが来てるから機嫌悪いのかなあ」とも思ってました。
あとあと考えたら単なる人見知りだったんですけども。
で、いざ練習が始まったら生徒の中でもいちばん良い動きだったんですね。
マット運動、受け身、ロープワーク。あ、こいつすげえな、と思ったのを今でも覚えています。
 
それからしばらくして練習生になった、て話も聞いて、僕もちょこちょこ参戦するたび挨拶は交わすけど相変わらずなーんにも喋らない奴で。
「営業行っても喋んない」って、ビリーさんがぼやいてましたね(笑)
同期のゼウス、スパイダーがデビューする中セイバーは約2年の練習生期間を経てデビュー。
そのあとすぐ沖縄に行った、と聞かされました。
 
再会は沖縄プロレスに僕が入団した2010年4月。
やっぱり挨拶だけでなんにも喋らない奴でした(笑)が、その動きがさらに研ぎすまされていて驚きました。
やがてタッグを組み、ベルトを獲ったくらいでようやく話をする様になりましたかねえ。
「タッグの入場テーマ、こんなのにしませんか」って提案して来てくれたり。
沖縄プロレスが撤退する時、「沖縄に残ります」っていったんで、また沖縄でやれたらいいねえ、なんて話をして。
 
 
団体旗揚げの時ももちろん誘いました。
そしてその年の8月にも。
いろいろ諸事情あって叶いませんでしたが、ようやく入団が決まって、「美ら海セイバー」になった彼とリングで向かい合ったときは、嬉しかったですねえ。
1年ぶりに相対しても試合は阿吽の呼吸で、それを見ていた他の選手からも「絡みが凄い面白い」って言って貰えて。
 
 
 
 
一緒に所属する事も、タッグを組む事も、ビッグマッチのメインを戦う事も、12年前には考えられない事でした。
ましてや、沖縄で。
人生って不思議。
人生って面白い。
 
ビッグマッチのメインで戦うのはこれで3度目かな?
その度、いい「作品」を、彼とは作れたと思います。
だけどもそれは僕が王者だった立場だから。
今度は逆。
彼にとっては本当の意味での試練でしょう。
勝つのは当たり前。その上で、前回を上塗りする内容を残さないといけない。
それが王者の責任。
僕はいつもそう思いながらタイトルマッチを戦いました。
 
まあ、俺も負けないけどね。
やっぱりグルクンマスクは凄かった、という内容を残す自信はある。
結果もなにもかも、全て持っていく。
12年分の想いを込めて!