『JINJYA YELL-2 柳森神社(秋葉原)』 | グルヒロのすすめ

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『JINJYA YELL-2 柳森神社(秋葉原)』

JR神田駅で下車をして中央通りを秋葉原方面に進み、神田川手前の万世橋を右折する。この神田川に沿って走る道路は柳森通りとよばれる。少し歩くと左手にJR線と平行に走る神田川にかかる神田ふれあい橋がある。そのすぐ先、左側に柳森神社の石鳥居が建っている。その隣に社号標「柳森神社」がある。

十段ほどの階段を下りた鳥居より低い位置に境内(下り宮)があり、左前に狐でもない狛犬でもない像が鎮座している。台座石をよく見るとたぬき尊像と書いてある。どうやら狸の神様らしい。ウーン、説明書きがなければ凡庸な頭を持ったグルヒロには狸だとは考えつかない。それに場所が甲賀市の信楽ならともかく、東京は秋葉原の神社境内で狸と遭遇するとは。しかし狐像ではなくて、なぜ狸像なのか?その答えが少し歩いた先の立て看板にその由来説明があった。

『おたぬきさん 福寿神(ふくじゅしん)御由来 江戸開府依頼、年と共に諸制度も完備して、漸く奏平の世を迎えた五代将軍綱吉公の御代、将軍のご生母桂昌院(けいしょういん)様によって江戸城内に福寿いなりと称して創建された。

桂昌院様は、京都堀川の生まれ、八百屋の娘が春日局に見込まれて、三代将軍家光公の側室となり、五代将軍綱吉公のご生母となる。

大奥の御女中衆は、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいとこぞってお狸さまを崇拝したという。

後世、元倉前甚内橋(じんないきょう)際、向柳原の御旗本、瓦林邸内に祠を移し祭祀される様になり、明治二年現在の柳森神社に合祀されました。

開運、諸願成就の福寿神(お狸さん)として、殊に近年は他を抜いて受験、勝運、出世運、金向上などにご利益があると信奉されております。

なお当社において頒与する“おたぬきさん”と呼ばれる土製の親子狸のお守りは、素朴で、たいへん愛されております。』

どうですか、講釈が長くなりましたが、「たぬき」とは「他を抜きんでる」という意味。柳森神社は、狸が主役のようだが、境内には祠と同じく狐像も数多く存在する。他にも大正昭和時代の力士たちが力試しに用いたと言われる13個の「力石群(ちからいしぐん)」、入口の内側、敷地の角に名残ではあるが千代田区指定有形民俗文化財「富士塚(富士信頼に基ずき、富士山に模して造営された人工の山や塚)・富士講(民間信仰)石碑群」があり、かつての富士塚の溶岩や碑などが積み上げられている。山頂に「三桂乃大神」(ただし登れるようにはなっていない)、中腹の岩屋の中に「富士宮浅間大社神(富士信仰のため根郷地域の鎮守さまである浅間神社)」が祀られている。

その他にも商人からの信仰を集めた「明徳稲荷神社」、火防・火伏せの神として信仰を集めた「秋葉大神」、「水神厳島大明神・江島大明神」、「金毘羅宮」、そして「福寿社(おたぬきさま)」、「福寿 たぬき尊像」、「鳥居(福寿神)」、お稲荷様が祀られている「幸神社」、「神楽殿」、元禄6(1693)年の銘「手水舎」、昭和5(1930)年奉納の鉄製天水桶「天水桶」、「神狐(右の狐のみ赤い前掛け)」、「拝殿・本殿」、社務所前に文政38(1820)年銘の「天水桶」、昭和5(1930)年の奉納「天水桶」、社務所前に正徳5(1715)年銘の「石塔の庚申塔(こうしんとう)」がある😥

柳森神社は、1458年(長禄2年)に太田道灌が江戸城を造成した際、東北の鬼門除(きもんよけ)として、水に強い柳の木をこの地に(現在の佐久間町一帯)植えて、京都の「伏見稲荷大社」を歓請して創建したといわれる。