茶臼山に呼ばれたお話 | 約束の場所

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さて、阿倍王子神社と安倍晴明神社のミッションを終えた一行(肉体あるのは私のみ)


事前に教わっていた【茶臼山古墳】へ行ってみる事にしました✨






茶臼山古墳 (大阪市) - Wikipedia





ja.m.wikipedia.org






ここは、大阪冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村(信繁)が陣を構えた場所になります。




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普段の運動不足がたたって、茶臼山古墳が見えてきた頃、既にかなりゲッソリ(ヽ´ω`)


ふと、右側を見ると大阪美術館。聖徳太子特別展がやってました。聖徳太子、やっぱりご縁があるんやなぁ……と、改めて感じながら時間がないので更に歩く……歩く……



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次に左側に視線を向けると、いわずもがなの通天閣☺️また食べ歩きに行きたいなぁと思いつつ、更に歩く……



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あれが茶臼山かぁ………とりあえず何だ。。私ではない感情が込み上げてきて……


悲しい……((T_T))




心の中でオイオイ泣きながら、夏の陣の説明看板を発見



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兎に角悲しい……((T_T))




とりあえず、茶臼山登山開始(標高26mです)




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26mやのに足が棒に……(違う意味で悲しい😭)




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陣跡は、幸村の説明板が沢山で😃

幸村人気はやはり凄いなぁと思いつつ、ベンチもあったので、少しその空間に溶け込む事にしました。


私の前世は、この時代は女性の甲賀忍者でした。大阪夏の陣で、淀君と共に亡くなった気がしています。


真田を守る為、真田の血を絶やさぬ為、沢山の影武者が水面下で動いていて、冬の陣、夏の陣の時の信繁は、影武者だったと思っていたりします。


私のくノ一だった前世は、色の任務も多く、この時期梅毒に感染していたのは、最初に教えてもらった情報でした。顔が崩れ、最期はいつも頭巾を被って過ごしていたみたいです。


その前世の初恋の人が、真田幸村(忍者仲間の影武者の方)でした。最後は自分の醜い姿を見せたくなくて、決して陣に近づく事はありませんでした。


最期の出来事はザックリは思い出せてるものの、詳細がなかなか思い出せないのは何かしら問題があるのかなと思いつつ

とりあえず、悲しい……((T_T))


今世の私自身は悲しくないので、正直戸惑う現象なんですが😅まぁ初めてじゃないので、客観的に見守る作業。


とりあえず、最期幸村が戦った場所。


ここに私の前世は来たかったのだろうから、良かったのかな。

悲しいや切ない気持ちが波の様に押し寄せて来た分、心残りのひとつが解消されて癒されたはず、と思いたい。



とりあえず、おセンチモードが抜けて、落ち着いたので茶臼山に別れを告げて、足が悲鳴を上げながら帰路についたのでありました😀




そんなこんなの、久々の大阪珍道中



これにて~完~