あたりまえ~あたりまえ~
あたりまえカルマ~
邪険にされる~
あたりまえカルマ~
あたりまえカルマ~
あたりまえカルマ~
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カルマとは、恐いものでも、怪しいものでもなく、ただの「あたりまえ~」な法則。
この世は、たったひとつの「いのち」が、それぞれの個(という幻想)に入って、体験している世界。
だから、目の前に広がる世界は全部自分なのだ。
目の前の床も、シャーペンも、道路も、空も、水も、パートナーも、通りすがりの人も、追い越していく車も・・・
全部自分。
だから、与えるものは、自分が自分に与えたものとなり、すべて自分に返って(帰結して)くる。
邪険にすれば、あたりまえ~に邪険にされる。
こうすべきだと言えば、あたりまえ~にこうすべきをどこかから受け取る。
何かを軽んじたり、蔑んだりして、相手のそのままを認めなければ、結局、自分が軽んじられたり、蔑まれたり、あるいは、無価値観や劣等感にさいなまれたりする。
誰かや何かから受け取ることもあれば、内からネガティブな感覚が湧き出てくるというかたちで受け取ることも多々ある。
自信がないなら、誰かや何かの自信をなくさせている(そのままを否定したり、貶めている)自分がどこかにいるはずである。
受け取ったものは、自分が与えたもの、あるいは今現在も気づかず与え続けているもの。
カルマとは、自分が放ったものを知り、自分の偏りに気付き、調和に満ちた表現を学んでゆくための、宇宙の愛に満ちた法則なのだ。
だから、常に受け取ったもの(受け取った感覚、感情)は、何を与えているからだろうという視点を持ち、そこに気付けば謙虚に反省し、自分を変容させていくことが大切である。
カルマの連鎖から抜けるには、与えていくもの、行動や言動など、自分が放つ波動を変えていくことも重要である。
それは、すべてを自分として接すること。
目の前の人、もの、出来事に対して、あるがままを受け入れ、丁寧に、心を込めて接していくこと。
例えば、食器を片づける時も、食器に意識を向け、丁寧に片づける。
靴を脱いだら、靴に意識を向け、丁寧にそろえてあげる。
エゴは、物を物としてしか扱わず、効率やその先の自分だけの目的のために動こうとするので、今、目の前にあることに丁寧に接するというのがとても苦手なのだ。
そういう態度を心がけていくことで、実は浄化も起き、与えるものも変わり、カルマに影響されない本質に沿った、宇宙や地球と共生した生き方ができるようになっていく。
今、地球意識(ガイア)は、さらに愛、調和の振動数を高めようとして活発に動き始めている。
今後、個という幻想に囚われ、自分さえよければという発想で生きれば、その与えたものの受け取りはとても厳しいものとなっていくだろう。
すべてが自分となった時、私たちは一方で与える、一方でそれを受け取るという個別意識で展開される法則から抜け、与えること=受け取ること、与えることと受け取ることが同義で、どちらも即、大きな喜びを感じられる領域へと移行していくだろう。
津留晃一さんは、5次元へ行っても奉仕する、奉仕されるという2極性だけは残ると言われていた。
その意味が今は何となくわかる。
それは救うもの、救われるものといった奉仕のニュアンスではなく、ワンネスというベースの上で成り立つ、喜びに満ちた与える受け取るのエネルギー循環なのだろうと。
いよいよ拓けてきた5次元領域の新生地球(ガイア)へ。
レッツ・ゴー!
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