ドアを開けると凛々しい男の子の姿が。

リョーくん。
今月で、5年目に突入しました。
 

 

 

 

もう、『男の子』なんて言葉も似合わなくなりましたかね笑

すっかり声も低くなり、
今では「わかったかな?」っていう時なんて、ぐりさんの方が彼の顔を見上げて言っています。

「なんだか卒業なんて実感が全然なくて」と、明るくおっしゃるお母さん。
ここまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

<参照記事>
目線をあげて ~ADHD・ASD 自分のイメージを書き換えよう~ | 福岡ぐりむ療育とピアノと学習教室 (ameblo.jp)

 

 

やっと1年、もう1年~療育ピアノレッスンによる自我の芽生え~ | 福岡ぐりむ療育とピアノと学習教室 (ameblo.jp)

 

感覚機能・運動機能の爆発的成長と連鎖 | 福岡ぐりむ療育とピアノと学習教室 (ameblo.jp)

 

子どもが変われば親が変わる、親が変われば子どもが変わる | 福岡ぐりむ療育とピアノと学習教室 (ameblo.jp)



初めのうちは、よく泣いていらしたお母さんです。
レッスンの日は、心配されて仕事を早く切り上げてまで一緒に付き添われていたお父さん。

そんな時間を共に過ごしてきただけに、
いま、こうして清々しい笑顔で並んでいらっしゃるご両親を拝見できて、
喜びもひとしお色濃いものでした。


DQ85で通級判定での小学校入学でしたが、、
レッスン2年めに入った頃、5年生になったあたりを境にパッタリ行かなくなりました。

「通級で学校を抜けることを人に知られたくない」
とリョーくん自身が言うようになったのです。

「うーん・・・(在籍)クラスの人たちと触れ合うことが増えたし、友達もできて楽しくなったし」
と、いう答えが返ってきました。

周りがみえるようになって、わかることが増えてきたためか、
『人目』を考えるようになったのかもしれません。

それはすごいこと。

同時に通級の学校の小学生からの視線も気にするようにもなったため、
在籍の教室で過ごす良いきっかけに変えることができたと前向きに解釈しています。

それは、リョーくんにとって『自分で選択、決断して行動する』という、
初めての勇気ある大きな一歩を踏み出すことにもつながったと思っています。

それを機に、5年生からのリョーくんは目覚ましい成長を遂げることとなりました。

課題プリントの内容も量もグーンとアップし、ピアノはブルグミュラーに。
発表会のミュージカルでは骨折で松葉づえをつきながらも堂々と主役をこなしました。

「わかりたい、できないのなんて嫌だ」
多感な年頃にもさしかかり、納得いかないと、わかるまで粘ることも増えてきました。


そして、


中学校生活は普通級で送れることとなりました。


中学入学にむけた就学相談のときに、ちょっと上手くいかない場面もあったものの、
面接の先生から

 

「失礼ながら、小学生で通級の判定が出たということは、それまで本当に大変な状態だったと思います。
しかし、アクシデントがあっても、大人を相手にこれだけのことをきちんと話せるということはスゴイことだと思います。
このようなことはとても珍しいケースですね」

 

と感心され、即その場で通常学級の判定をいただいて、あっという間に会場をあとにされたとのこと笑

『あの状態』から、よくここまでリカバリーできたと、ぐりさんも本当に思います。

たくさんの発達障害を抱えたお子さんたちが、日々、療育を受けておられるでしょうが、やはり、現実は厳しいことのほうが多いだろうと思います。
それは年齢が上がると、より切実なものとなるでしょう。


「もっと早くにやっていれば」「今ごろこんなことやってるんですけど」

リョーくんのお母さんが、よくメールに書いていらっしゃる言葉です。

どんなことも決して『遅い』などということはなく、気づいた時から変われます。
受け取る準備ができてはじめて、見えてくる課題に気づかれることも多いのではないでしょうか。

自分のやり方が間違っているかもしれないと、素直に見つめなおしたり、
新しい方法を取り入れることをおそれずにやっていくことを
何度も立ち止まりながらご家族で確認しあい、
目の前にある一つひとつのことに謙虚に取り組んで進んでこられてきた姿を
ぐりは、ずっと見てきました。


それは、実際にはなかなかできることではなく、ご両親には本当に頭の下がる思いです。

また、その経験と実績は、リョーくんと、ご両親それぞれの大きな自信につながるとともにに、時間を遡って過去の古い心の痛みも、きっと癒してくれることと思います。

過去は変えられないと言いますが、
現在(いま)が変われば解釈のしかたも変わるため、同じ出来事でも意味のある違ったものに変えることができます。

10年後、リョーくんが社会にでる頃には、
障がい全般に関して、もっと理解が深まっている社会になっていることを願いますが、
彼が、自分の発達障害のことを知り、いいカタチで自分への理解を少しでも深めていける日がくるといいなと思っています。


リョーくんからの お花です。
ありがとうございます。
 

 

 

修学旅行で、決められた少ないお小遣いのほとんどを
「お世話になっているから」などと、ぐりさんのお土産につかってくれたことがありました。
また、それを優しい笑顔で頷かれるだけのご両親です。

そんなご家族。

機能面と内面の確実な向上で、
リョーくんのご両親も、リョーくん自身も、リアルな夢や希望を描けるようになりました。

卒業式では実行委員に立候補するなど、
誰かの役に立つ喜びを知ったり、社会性も育まれています。

読書量が増えたことと、ご家族で大河ドラマやたくさんの映画鑑賞を楽しまれることにより、会話の形式のストックが随分と増えました。


「恥ずかしながら、お母さんにネクタイをしめてもらいました」
と照れるリョーくん。
かしこまった言い方も、そのうち年年齢が追いついてきます笑
美しい日本語が使えることは素晴らしいこと。


4年前、心配に明け暮れて、こんな晴れやかな日がくるなんて思いもしなかった お父さんお母さん。
どんなときも、遠いところを通い続けてくださって、本当にありがとうございます。


リョーくん自身が、『これが本当に自分らしい』と思える姿に辿り着けるよう、
ぐりは、いつでもリョータくんを応援しています。
あなたのような人が、私の生徒であることを心から嬉しく思います。
ご卒業、そして中学ご入学おめでとうございます。

 

  福岡ぐりむ療育とピアノと学習の教室です。別ブログやXの過去記事にコメントを加筆して書いていっています。

 

2015年の記事です。

 

長文を読んでくださりありがとうございます。

 

記事の彼は、2023年現在も、専門学校に通いながら続けてくださっています。

もう本当に感謝しかありません。

 

これほどお父さんが全面的に出てこられて、成功しているケースは稀。なかなかこうはならない。

さすがだなと思わされます。

ご家族がみんなで同じ方向を向かれて結束なさるって素晴らしいですね。

 

彼が小さい頃はまだ、療育でも「愛情不足」とか言われてしまうこともある時代。

 

当時の発達障害の療育といわれているところで、彼と同室だったお子さんたちとは、早い段階で接点がなくなっていかれました。

過渡期には、彼もご両親も不安も強かったと思われますが、

多くの時間をともに過ごす環境と関わる人は大切だと考えています。

 

ハッタツ界隈では通用していたことが、目指す環境や人たちとの間では通用しなくなるのも当たり前のことです。

 

レッスンは、一般的な療育といわれているところとは、趣旨も指導内容も全然異なります。

 

振り返ってみれば、「あぁ、自分はあの中にいたんだな」「あんなことは無理だと思って諦めてたな」「あんなことに憧れていたのか」と思うでことでしょう。

 

古いものを手放すから新しいものが入ってくる。

 

レッスンを信じてくださる親御さん方に感謝しています。

 

いま彼は夢に向かって邁進中です。

始めた頃には想像もつかなかったであろう生活です。

 

思ってもみなかった生活はあります。

 

伸びてしまえ!!