仮面ライダーリバイスについて、いわゆる 感想 からはちょっと外れた話題を続けることとなります。
もう、私の妄想、邪推の類が、本格的に展開されることとなります。 スミマセン。
↓仮面ライダーリバイス
(つづき)
3-5:公式HPでの発言内容~リバイスより
(東映公式HPにおける第47話の頁の 見どころ よりの抜粋・引用)
一輝たちがギフから守ったものは、自由や平和ではありません。
それは、人間の尊厳です。
人間の内には必ず悪魔が潜んでいる、
つまり人間こそ悪魔であるということを認め、自制し、
種として生きながらえていく権利です。
一方で、ギフを倒すという決断は、とても重い。
三者三様ながらも自身の悪魔と共闘することで
ギフの提示した未来を否定した五十嵐三兄弟とその仲間たち。
彼らがこれから歩んでいく生き様そのものが、
人間が歩んでいくべき未来への道標でなくてはならないのですから。
いやはや責任重大です。
(引用終わり)
ページは47話なのですが、内容としては、前話の46話について触れている部分の抜粋となります。
リバイスを普通に楽しんでいる視聴者の気分に、ちょっとなってみて下さい。
どういう形で46話のラストを迎えたかというと、
仮面ライダーエビリティライブ誕生!(44話)
ラスト近いというのに、まさかの強化新フォーム登場!
玉置、ついに変身! 待っていたよ、この瞬間を!
さらに仮面ライダーインビジブルジャンヌ誕生!
まさかまさかのさらなる強化新フォーム登場じゃないか!
畳み掛ける新ライダー、新フォームの登場……さらにはヒロミも参戦で総力戦!
五十嵐3兄弟、強化フォームライダー勢揃いで、ラスボスギフを撃破~ッ!!
まだ最終回じゃないのに、このクライマックス感!!!
と、かなり高揚した気分で46話を観終えたことでしょう、で、公式HPを読みに行くと……
一輝たちがギフから守ったものは、自由や平和ではありません ~ 責任重大です。
……折角の高揚感、興奮に、
冷や水をぶっかけて、どうすんですか
普通に視聴したら、
一輝達は、ギフを倒し、人類の自由と平和を守った!
としか受け取れませんって。
つ~か、ギフって、五十嵐一家以外の人類は、もう存在する価値の無いものとしか見ていませんでしたよね? 人類は無価値な生き物でしたよね? エサでしたよね?
それを救ったんですよ!?
なんでそれが「一輝たちがギフから守ったものは、自由や平和ではありません」になってしまうのか、私にはさっぱり分かりません。
断言ですよ!?
「一輝達がギフから守ったのは、自由や平和、だったのでしょうか? いや、本当に守り抜いたのは、人類の 尊厳 だったのかもしれません」
とかいう言い回しではなく……「自由や平和ではありません」と、断言。
つ~か、「自制し、種として生きながらえていく権利」……これっていわゆる「自決権」だと思うのですが、これは(平和かどうかはともかく)「自由」の根幹をなすもののような気がするのですが。「すべての人民は、自決の権利を有する」って、「国際人権規約共通第1条」でしょ?
脚本、監督が、上記の望月Pの発言内容に沿った作品内容として、このエピソードを作り上げたようには、私は感じられません。
脚本の木下さんも、監督の石田さんも「一輝達は、人類の自由と平和を守った」という作品に仕上げたのだと思えるのですが。
…
……
…………
仮面ライダーは、人間の自由の為に悪と戦うんだよ!
50年前から明言されているんだよ!
50年も前の、仮面ライダー1作目の内容なんか知らん という人の為に書いておきますが
ショッカー首領の目的は、全人類抹殺とかじゃないですよ?
洗脳と恐怖よる人民の支配 ですよ?
それは、争いのない「平和」な世界でしょう……自由が奪われた形での。
それに対し、人間の自由の為に戦ったのが仮面ライダーですよ?
ギフが、赤石長官が、成し遂げようとしていたことは、正にショッカー首領と同じことで。
人類は、ギフのエネルギーの苗床として管理、支配される存在になるところだった。
一輝達は、それを打ち破ったんです。
間違いなく「人類の自由を守った」んです。 仮面ライダーとして。
それなのに……。
50周年記念作品で、作品の責任者であるプロデューサーが、クライマックスの展開を「守ったものは、自由や平和ではありません」と断言するなんて……。
シリーズの振り幅として、「人間の自由」以外のものの為に戦う仮面ライダーがいてもいいとは思います。(実際、いっぱいいますね……(笑))
でも、作品は素直に観れば「人類の自由を守ったシーン」に見える場面で、この発言……?
いやマジで、一輝達がギフを倒した瞬間
「ああ、この行為は人類に束縛や支配、そして混乱や戦乱をもたらす行為だ。
そして一輝達は今後人類の規範となる生き方をしなければならぬ責任を負ったのだ」
と、皆さん、思いましたか?
そういう見方をした人がいてもいいとは思いますが、それ、素直な作品の解釈ですか?
なぜ作品の責任者から「守ったものは、自由や平和ではありません」と断言されなければならないのでしょう? 冷や水ぶっかけられなければならないのでしょう?
今回は、この発言一つだけしか取り上げませんでしたが、望月卓プロデューサーの発言の数々は、リバイス人気を盛り下げるという点において、大きくその力を発揮したと感じます。
実際の、脚本、監督、出演者たちが作り上げた作品内容と、望月Pがその作品解釈として「正解」として出してくるものとに、乖離があり過ぎます。
望月Pが示した解釈は、視聴者が考察して楽しむ際に出てきてもいい考えの一つであって……。
せめて5年位は我慢して、その位後に、マニア向けイベントで「ホントはこういう風に私は考えたりもしたんですけどね」と、裏話として語る内容じゃあないですか?
注:繰り返しになりますが……ここで、この望月Pの発言を知らなかった方で、「え? そんな発言があったの?」と、わずかでも関心を持った方がいましたら……必ず、元のHPを確認して、全文を読んでおいてくださいね。
もしかしたら、私は、もの凄い悪意を持った奴で、悪意ある発言の切り取りを行い、悪意のある解説文を付けているのかもしれませんよ?
そういう、悪意を持った奴に誘導されちゃ、駄目ですよ?
(つづく)
おまけ
昔作ったやつ。
ブログの内容とは、全く関係はありません。