アンデッドガール・マーダーファルス 1巻 再読(その1) | 無敵動画堂高田のブログ

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無敵動画堂 というサークルで、アマチュアアニメを製作している者が、アニメや特撮について語ります。

 アンデッドガール・マーダーファルス 3巻 を、先日(というか発売日に即行で)購入

 この本なら、最近の私の 何を読んでも面白く感じない状態 を打ち破ってくれるに違いないと期待している次第。

 

   ↓アンデッドガール・マーダーファルス 3巻

 

 早速読書開始……の前に、やっぱり1、2巻を再読しておこう。

 

    ↓アンデッドガール・マーダーファルス 1巻

 

 第3巻の帯に 冒険・バトル・伝奇 全部入り 闇鍋本格ミステリ

という文句が入っているのですが、うまいこと考えられた宣伝コピーだな、と。

まさにそんな感じの作品です。

 

 ただ、第1巻の表紙を見ても、なかなか実際の内容をイメージすることは難しい作品です。

 美麗なイラストで主役の二人が描かれており、素晴らしい表紙なのですが、この表紙を見るとどうしても「怪奇と幻想に彩られた伝奇小説」と思ってしまうのではないでしょうか。

 確かにそういう一面を持った小説ではあるのですが、実際ページをめくってみると……

 

 本編より、探偵の鴉夜(あや)と、弟子の津軽(つがる)の会話を一部抜粋

 

津軽「ごくごく普通の瓶ですね。ガラスが埃で汚れてます」

鴉夜「袖でこすってみろ」

津軽「はいな……こすりました」

鴉夜「汚れは落ちたか?

津軽「だらだら続く小噺みたいなもんです

鴉夜「なんだって?」

津軽「一向に落ちません

 (1巻 69Pより)

 

 全編こんな感じのやり取りが続く、かなり陽性のムードを持った作品なのです。

 ちょっと、表紙からは想像できないでしょ?

 

 いや、こういう 洒落た会話 が、ちゃんと書ける作家さんの作品は、読んでいて楽しいです。

 こう言っては何ですが、小説を読んでいると、

作者は「洒落た会話」を書こうとしているのかもしれないが、

「上から目線で、皮肉めいた事を言う」だけの台詞の羅列を読まされる

という作品に遭遇してしまうこと、ありません?

 どの作家さんが、って言うんじゃなく、結構、多くの作品で。

 ああいうの、苦手です。

 

 閑話休題。

 

 第1巻には第二章まで収録されています。

 まず第一章。

 

 第一章 吸血鬼

 

 19世紀末。

 文明を発展させた人類は、各地に生息する怪物を排除しつつあった。

 ケンタウロス、セイレーン、グリフォン……いくつもの種族が絶滅し、怪物が怪物として跋扈した時代は終わりを告げようとしていた。

 吸血鬼:ゴダール卿は、人類親和派であり、もう20年も人の血は吸っていない。

 森の中の古城に家族と住み、街の発展にも貢献してきた。

 彼の妻:ハンナは、元々は人間であり、「人と怪物は共存できる」という理想を持ち、それを実践するかの如く、自ら望んで吸血鬼となり、ゴダールの妻となった。

 しかし、人類の怪物に対する差別は根強く、いかに親和派といえど、吸血鬼である彼らを襲うハンターも、また多かった。

 

 そして、ゴダールの妻、ハンナが何者かに惨殺された。

 

 胸は銀の杭で穿たれたようで、傷跡は焼け爛れており、体中には聖水が撒かれていた。

 しかし、凶器と思われる銀の杭は、何故か現場ではなく、城の倉庫に捨てられていた

 殺されたのが人間ではなく吸血鬼という事で、明らかにやる気の無い警察。

 憤慨したゴダール卿は、探偵に事件解決を依頼した。

 怪物事件専門の探偵:

 輪堂鴉夜(りんどうあや)と、助手の真打津軽(しんうちつがる)。

 その名を聞いた パリの<エポック>紙 特派員:アニーは色めき立つ。

 “鳥籠使い”が来る……!

  

 改めて読み返してみると、ホント、もの凄く真っ当な第1話だなぁ、と。

 伝奇物めいた世界観の説明

 個性的かつ魅力あふれるメインキャラクター達の紹介

 軽妙なやり取りによる、会話劇

 論理的思考による、本格派ミステリーの面白さ

 迫力ある映像が目に浮かぶようなバトルアクション

 この作品のウリ・魅力はこれです という要素が詰め込まれており、プロモーション編として申し分ない。

 しかし、第二章を読んで、なんと、第一章には入りきらなかった重要な作品要素がまだあるということが分かる。

 伝奇・洒落た会話・本格ミステリ・バトルアクション に加え、

この作品には、オールスター物という要素もあったのです。

 第二章では、世界的に有名な、あるキャラクターが共演します。

 

 うん、なんか、3巻を読むまでも無く、1巻再読の時点で、結構「読書というのは、面白い行為なのだ」という感覚が蘇りつつあります。

 

(続く)