襲名犯 読了。
↓襲名犯
これまで読んだ事の無かった作家さんの作品を、と思い、手に取った1冊。
乱歩賞受賞作なので、まぁ、ハズレはあるまい、と。
茨城県栄馬市:ある事件の舞台として、人々に記憶されることとなってしまった地方都市である。
14年前、わずか半年ほどの間に6人もの人間を殺害した連続殺人鬼「ブージャム」。
彼は、その最後の被害者=南條信という13歳の少年をひき殺したところで捕まる。
名は新田秀哉(24)。
容姿端麗で、逮捕後、ある種のカリスマとなる。
熱心に求愛する女性も多く、3度の獄中結婚をすることになる。
若者には、彼を崇拝するものも多かった。
そして事件から14年の時が流れ、彼の死刑が執行された。
が、それは新たな事件の始まりであった。
栄馬市で発生した殺人事件。 被害者は若い女性。
そして遺体の傍の壁には、彼女の血を使った落書き。
「Im BOOOOOOOJUM!!」
2代目ブージャムを名乗る者=襲名犯が現れたのだ。
うむう……この作品は、ちょっと私には合わなかった。
主人公は、かつて新田にひき殺された南條信の双子の弟:南條仁。
とにかくこの主人公が性格が暗くて、何かあっては思い悩み……いや、何もなくても過去を思い出しては思い悩み、事件に翻弄され、特に解決の為に何かをしようとはしない。
まぁ、リアルと言えばリアルだが、読者はそういうリアリティを主人公に求めているのであろうか? ……求めている読者も多いであろうから、この作品は評価され、乱歩賞という大きな賞も獲ったのだろうが、私はもう少し主人公には「積極的に行動する人物」であってほしい、という志向のようで。
そして、初代ブージャムである新田だが、いかに容姿端麗であろうとも、そこまで世間で信奉者を生み出すほどの魅力が、私には伝わってこなかった。
そして困ったことに、おそらくは作者もそう思っている。
いかに容姿端麗であろうとも、連続殺人鬼なんかに憧れたりするのは、おかしい、という価値観を持っていて、そういう人達を、なんか、完全に愚者として描写している。
いやいやいや、なぜそうなる?
数多くの信奉者を生み出してしまう魅力を持った殺人鬼だったっていうのなら、容姿以外にも(悪とはいえ)魅力のある人物として描いてほしいのですが、コイツがもう、容姿がいいだけの、いかれた殺人鬼、としてしか描かれない。
で、そんな人物を崇拝する人なんて、そりゃあ愚者に見えますよ。
そして……そんな人物達を、ことさら「愚者である」ことを何度も強調する描写、本当に必要なんですかね?
そこが、私とかみ合わなかった。
現実にこういう事件が起こり、犯人に対して崇拝者が現れたら、そりゃあ私もその人達に対しては好感は持てないでしょう。
でもね……。 現実じゃなくて、物語でそういう描写を見てしまうのはちょっと違って……。
なんか、作者が「考えが軽い人」を蔑視している様に読み取れてしまって、共感しにくい……作品にのめり込めないのですよ。
人間、長く生きていれば、つい、「あ~あの時は考えがあまりに軽かった。愚かだった」という行動をとってしまうこと、ありますよ。
そういう行動をとってしまった人を、一様に「愚者」として切り捨ててしまっていいものなのかどうか……。
(ただ、この作品でも、過去、ブージャムの信奉者であったが、今はちゃんとしている、という人物も登場させてはいますが)
新田と獄中結婚をした2番目の妻なんかは、「人権派」「死刑制度反対」の人物なのですが、
もう、完全に「愚者そのもの」という描写で……。
直前に、「死刑評決」を読んでいたのも、良くなかったかもしれません。(「死刑評決 読了」 参照)
あちらは、もう、人間の屑としか言いようのない屑野郎を登場させ、主人公の千沙がそれでもなお、「まだこの人をきちんと理解してあげていないかもしれない」的考えを持ち、その人物を弁護することに対し、前向きに引き受けるシーンがあったりするんですね。
結構感動的なシーンでした。 個人的には。
対して、この作品の、「考えが軽い人」に対しての、作者の冷淡な視線は、少々なじめませんでした。
う~ん、ゴメンナサイ。
初代と、襲名犯二人の心の闇の描写なんかが延々書かれていたり、(常人にはおよそ理解しがたい)彼らなりの真剣な動機があるあたりは、それはそれでサイコサスペンスとして盛り上がりをみせたりするので、面白く感じた部分もあるのですが。
まぁ、なんやかんやで、単に個人的に私に合わなかっただけで、しかけられたミスリードやらなんやら、正統派ミステリーとして非常に真っ当な作りの作品なので、普通の読者は普通に楽しめると思います。
ヒロインカッコいいし。(主人公が積極的に動かない分、ヒロインがガンガン動きます(笑))