ウルトラマンZ 第12話感想(ネタバレあり) | 無敵動画堂高田のブログ

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ウルトラマンZ

 第12話「叫ぶ命」 感想(ネタバレあり)です。

 

 

 いつもはもっと遅くになってから感想を書いたりしていましたが、ちょっと今回、引っかかることがあったので、いつもより早めに書きます。

 いや、引っかかったのは、作品そのもの、ではないんですけどね。

 

 まずは普通に感想。

 おっと、まさか先週のネタ、引きずるとは思っていなかったので、意外

 力作でした。

 ヨウコの「命を奪う責任」というセリフは良かった

 と言うか、過去の防衛チームすべての隊員達は、この責任を負ってきたわけですね。

(怪獣保護を基本姿勢としていたコスモスの TEAM EYES ですら「人間に危害を与える怪獣は退治」と明言しているわけで)

 そして、キングジョーの活躍を、派手に、しかし恐ろしい力の行使のように見せる演出。

 素晴らしかったです。

 作品自体には大満足でした。

 

 

 

 が、ツイッターなどでの、ネットでのファンの反応が、少し、私は引っかかってしまった。

 と言うか、作品を観る前に、そちらを先にある程度目にしてしまい、引っ掛かったからあわてて視聴したわけですが。

 

 どうも、ヨウコの台詞や、最後、グルジオライデンを殺したことを、仕方のなかったこと、ではなく、良いこと、とする雰囲気が感じられる意見が、散見されたんですね。

 作品への、絶賛コメントとして、 よくやった! そうだよね! 現実的だ! と。

 

 それはちょっと違うんじゃないの?と、思ってしまったのですよ。

 

 かつて、ウルトラマンコスモスが世に出た時、結構ファンは「怪獣保護」というテーマに反発していて。(週刊誌「サンデー毎日」に「今度のウルトラマンコスモスは怪獣を殺さず、「保護管理センター」に収容するらしい」という見出しで、批判的な記事が載ったほどだった)

 ただ、その気持ち、分からなくもないんですよね。

 怪獣を殺さない、という事こそが 正しいあり方、とされてしまったら、

これまでのシリーズの否定になるんじゃないのか?

これからのシリーズは、凶悪怪獣を倒すというシチュエーションが消えてしまうのではないか?

そんな作品作りで、子供達の人気を得られるのか?

という思いがあったのだと思います。

 で、コスモスという作品は、実際、作品を観てみると

「怪獣保護」というテーマを深堀してしっかり描く というよりは、

「退治」ではなく「保護」を基本姿勢にした上で、娯楽ヒーロー物としてどこまで成立しうるか?

ということにこそ挑戦している作品だった。

 テーマを深堀りするなら、

・退治しろ! という強硬派の意見は常に世間にある、と描写すべきだし

・逆に 救える命だったはずなのに、殺してしまっていないか? というエピソードは、もっとあるべきだし

・ナガレ・ジュンヤ(かつて怪獣災害によって妹を失った過去があり、被害者をこれ以上出さないために怪獣退治に使命をかける男)のようなキャラは、もっと早くから、そしてもっと頻繁に登場させるべきだし

・「これは退治してもいい奴です」と言わんばかりの、純粋悪=カオスヘッダーの設定は、ある種、逃げのようにも感じられる。純粋悪の存在は作品にはない方が、テーマにより真剣に向き合った姿勢だと思う

 

 が、実際の作品は

・「退治か?」「保護か?」という難しさに言及したエピソードは少なめで、むしろ怪獣を捕獲するまでのドタバタ劇を描いた明るい作品が多い

・「保護」と基本としてはいるが、定期的かつ割と頻繁に「侵略者」「破壊兵器」「カオスヘッダー絡み」の相手を登場させ、敵を倒すコスモスの活躍を描いている(タロウ後半なんかより、余程頻繁に敵を倒すエピソードが入る)

といった仕上がりだった。

 テーマ深掘り、というのとは違った意味で、充分に「踏み込んだ」「挑戦した」作品であったと思います。

 結果、コスモスはちゃんと人気作となった。

 

 が、今回の「Z」に称賛コメントを送っている人達の、ある程度の層から、「以前コスモスに反発していたファンとは違う?」という雰囲気を感じるのですよ。

 

 上記の通り、かつてコスモスに反発したファンの、大きな反発動機は

これまでのシリーズの否定になるんじゃないのか?

これからのシリーズは、凶悪怪獣を倒すというシチュエーションが消えてしまうのではないか?

そんな作品作りで、子供達の人気を得られるのか?

であったと思います。 作劇上、それで成立するか? という心配からの反発。

 対して、今回のZを絶賛しているファンの声からは

「退治しない」「武力を行使しない」「和解する」という姿勢にこそ不満を感じていて

「和解」「武力は行使せず」という考え方は「幼稚」で「非現実的」であるとして、

「命を奪う責任」にきちんと言及したことを免罪符に、武力行使支持の雰囲気が感じられるんですよ。

 ヒーロー物としてのカタルシスとしてそれが必要だから、という作劇上の理由ではなく

現実にも、「敵」と感じられるものに対し、武力行使をすることこそが「現実的であり」「支持されるべき行為である」という層が、少なからず、今回のエピソードを讃えている臭いを感じてしまったんですね。

(実際にそこまで過激な発言をしている意見を見たわけではないです)

 

 杞憂であればいいのですが。

 

 私個人としては(タロウやコスモスは好きですが)ヒーロー物の基本姿勢として「勧善懲悪」「怪獣退治」を支持しますが、現実世界では「武力は行使しない」「和解する」を支持します。

 

 今回の「Z」のエピソードに、「私なりの現実的感覚」を当てはめるのであれば、

そもそもグルジオライデンは防衛軍の管理下にあったのだから、過去のデータを徹底的に洗い直して、冬眠状態にあったのには、どういう条件下であったのかを探り出し、再度冬眠させる作戦をとるべき。

 居場所が無い? ちゃんと捜したのですか? そういう努力をしているようには見えませんでした。

 散々利用して、分析結果をもとに数々の兵器を生み出しておいて、目が覚めたから殺す。

 それを「命を奪う責任を負う」という言葉を免罪符として正当化しようとするなど、言語道断。

 現実なら、ですよ? あくまでフィクションなのだから、むしろ「おお、深い!」というセリフで、良いのです。 というか、こういう現実の当てはめ方を、娯楽作に対してするべきではないと思っています。

 

 作品自体は、とても良かったです。

 が、ファンの反応に、妙な心のざわつきを覚えた今回でした。

 

 さて次回!