贖罪の奏鳴曲 読了。
↓贖罪の奏鳴曲
作者は中山七里さん。
数多くの作品が映画化やTVドラマ化されている人気作家さんなのですが、アンソロジーなどで短編を読むことはあっても、きちんと長編を読んだ事はなかった作家さんでした。
なぜかって?
この方のデビュー作って、音楽を題材にしたミステリーらしいんですね。(さよならドビュッシー)
で、私、音楽がさっぱりで。
一般常識レベルで有名な曲名でさえ、全然知らなくて、ポンっと頭に浮かんでこないのです。
もちろん、有名な曲ならば、聞いたことはあるのですから、メロディはちゃんと頭に入っていますよ。 でも、その曲名、となるとさっぱりです。
作中で曲名が書かれていても、メロディーが浮かばないから、なかなか入り込めない。 演奏者とか聴衆の反応の描写から、「あ、あの曲かな?」と思うものを当てはめてそれを脳内BGMとして読み進めていくのだけれども、ハズレてると途中から作中の描写と脳内BGMがずれていくので、合わなくなってくる。
つまり、私はこれを読んで楽しむターゲットから、外れたところにいる人間なのだな、と判断することになる……というわけで、これまで読んでこなかったのです。
これは、漫画でも同様で、音楽をテーマにした作品は苦手です。
あの、名作として名高い 四月は君の嘘 ですら、(全巻読みましたが)やっぱり、作品にちゃんと入り込んで楽しんでいたか?と言うと、全然できませんでした。
そんなわけで未読の作家さんだったわけですが、気にはなっていたので、今回、手に取ってみました。
ジャンルとしては、法廷物。
凄腕の弁護士・御子柴礼司は、その強引な法廷戦術や裏で法外な報酬を受け取るなど、悪徳弁護士としてならしている人物でもある。
とあるフリーの記者:加賀谷竜次が、ある日死体で発見された。彼は仕入れたネタを元に、関係者を恐喝する人物として知られており、最近取材しているのは、ある保険金殺人だったという。
恐喝していた相手から、逆に殺されたのでは? 捜査に当たった捜査一課の渡瀬・小手川の二人は、この保険金殺人事件の弁護士である御子柴こそが、加賀屋の恐喝のターゲットだったのではないか? と疑い始める。
御子柴は、少年時代、日本全国を震撼させた幼女殺害事件の犯人であったのだ。
その後更生し、名を変え、弁護士となって新たな人生を歩んでいる御子柴だが、加賀谷が彼の過去を突き止め、それをネタにして恐喝したことは十分に考えられる。
しかし、御子柴には、加賀谷が殺害されたと思われる時間、東京地裁にいたという、鉄壁のアリバイがあった……。
冒頭のシーンが抜群にいい。
御子柴が、加賀屋の死体を遺棄しているシーンから始まるのだ。
この悪徳弁護士が担当している保険金殺人だが、どう考えても疑われている被害者の妻に不利な条件が多く、読者は「ここからこの悪徳弁護士が、どう逆転していくのか?」と、まずはピカレスクロマンを期待すると思うんですよね。 少なくとも私はそうだった。
が、物語が進行していくにつれ、 あれ? 御子柴、幼女殺人を犯してしまった過去はともかく、実は今はもっと真っ当な人間のような気がするぞ?と。
冒頭のイメージから、だんだん人物像にずれが生じ始めるんですね。
で、クライマックスの法廷のシーンでは、すっかり御子柴を応援する気持ちになっているという……。
全体的に、推理物としてのトリックなどの面白さよりも、人間ドラマの方にこそ力が入っている作品で、圧巻は御子柴の少年院時代の辺り。
ネタバレはまずいと思うので書きませんが、ここでのドラマは、本当にアツい。
やっぱり音楽ネタが絡んできたので、入り込めなかった部分もあるのだけれど、それでも熱量が読者に十分伝わってくるほどだった。
その後、逆転に次ぐ逆転によるクライマックスの法廷シーンに入っていくのだけれど……。
どんでん返しの連続は、それなりに魅力的ではあったのだけど……。
ちょっと、証言者が簡単に激昂したり、逆転の決め手となる部分について、読者に十分な推理の材料が与えられていたか?と考えると少々アンフェア感があった。
クライマックスよりも、少年院のシーンの方が盛り上がっていた感があるのは残念かな。
でも、ドラマはアツかった。
冒頭、死体遺棄の犯人で、その後、悪徳弁護士でしかなかった、「悪」の御子柴が、どんどん読者が感情移入しやすい「主人公」としての人物の厚みを増していく構成が、素晴らしかった。
中山七里さんの小説、今後もちょこちょこ読んでみようと思う。