山陽新幹線、博多開業を翌年に控えた昭和49年8月、高校の夏休みの終わり近く、友人のS君と二人で九州の一部に残った最後のSLと、翌年3月に廃止が予定されている、急行「高千穂」号に完乗すべく1週間の旅に出た。

 

 この年の4月には、日豊本線の幸崎~南宮崎間が電化開業し、残る非電化区間はDF50と置き換えらて、都城、宮崎等の構内の入換えと、機関区からの入出庫回送を残して日豊本線の無煙化が実施された。一方、筑豊地区の9600と、日南、志布志、山野、湯ノ前線等南九州の一部線区には少数の貨物列車にSLの運用が残った。これらの撮影を日程に入れながら次のような予定で出発した。

 

 

 8月25日(日)~26日(月)(車中泊)
 東京→西鹿児島 4101レ[高千穂]
 西鹿児島→山川→西鹿児島→鹿児島港→(フェリー)桜島港→桜島YH(泊)

 

 

 8月27日(火)
 桜島YH→(国鉄バス)→垂水→志布志(機関区見学)→油津→大堂津→日南YH(泊)

 

 

 8月28日(水)
 日南YH→日南線C11撮影→青島(観光)→宮崎→(541レ 次位C57有火回送)→都城→YH都城(泊)

 

 

 8月29日(木)
 都城→吉松→人吉(機関区見学)→吉松→大畑(ループ線見学)→人吉
 人吉→鳥栖 3012D【おおよど】
 鳥栖駅(夜明かし)

 

 

 8月30日(金)
 鳥栖→門司 202レ [屋久島2号]
 門司→行橋→後藤寺 (終日 9600撮影)
 後藤寺→小倉→門司港→(関門フェリー)→下関
 下関→大阪 4102レ[高千穂] グリーン車にて車中泊
 
 8月31日(土)
 大阪→東京 1102レ[桜島(自由席へ移動)]

 

 

 昭和49年8月24日 浦和駅発券の鹿児島・宮崎ミニ周遊券(学割5700円)
 西鹿児島までの自由席急行券が含まれており、往路の特別料金は不要
 
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 高校生の貧乏旅行ゆえ、宿は公営のユースホステルが3泊、車中2泊、駅での夜明かし1泊の全6泊7日の行程であった。

 

 

 帰路、車中泊をするために入手したグリーン券
 
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 大阪までの硬券のグリーン券と、急行・指定席券合わせて2600円
 大阪までのベッドとして、[桜島・高千穂]より早く大阪に着く特急・急行寝台を
 探したがことごとく満席で、唯一、このグリーン券だけが2席確保できた。
 下関から大阪まで寝台特急でも2100~2600円で乗れたので、グリーン車は少々割高であった。

 

 

 [高千穂・桜島]号の編成表(時刻表 昭和49年7月号からの抜粋)
 
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 日豊本線経由の[高千穂]号と鹿児島本線経由の[桜島]号、各7両づつの14両編成
 グリーン車の座席指定車を1両ずつ組み込み、あとは普通車自由席。
 自由席なら鹿児島まで乗車券以外に300円あれば乗れたわけである。
 受け持ち区は確か都城客車区だったと記憶している。

 

 

 交通公社時刻表 昭和49年7月号
 
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 当時使っていたものは、ずっと昔に破棄してしまった。
 これは、この記事を書くためにヤフオクで入手したものだ。

 

 

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?H5>急行『桜島・高千穂』拙作関連記事 ここ何処だ_第4弾
昭和49年8月_急行(高千穂)完乗記番外偏1

 

 

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