拙ブログで連載中の『昭和49年8月_急行[高千穂]と九州最後に残された煙を求めて』も今回のVol9で最終回となりました。前回は、北九州に残った9600を、終日、後藤寺周辺で撮影したことを書きました。今回は、その後を受けて、東京へ帰る際に下関から乗車した、上り急行[桜島・高千穂]号の乗車記になります。

 大阪までが寝るためのベットを確保した形で、[高千穂]のグリーン車。14両編成のうち東京方から14、13、12号車と並ぶ前7両のうちの9号車です。そして大阪駅停車の間に後ろ7両[桜島編成、最後部車輌1号車に移動します。別に、旧型客車なので、走行中[桜島]号と[高千穂]号はの間の行き来は自由なのですが、大阪に到着したら、一旦最前部まで行って、下り新潟行き特急【北越】を撮ってから、最後部へ移動するというミッションがあります。荷物も全部持って移動しなければならず、大阪駅停車中の7分間にこれを行うように計画しました。
 
 最終回の行程
 1974年(昭和49年)8月30日 ~8月31日
 小倉     17:39    →下関   17:59 鹿児島本線     1238M 門司港・下関行
 下関  21:48    →東京 翌 16:06 山陽・東海道本線 4102レ[高千穂](大阪から1102レ[桜島]編成に移動)
 
 
 
 下関から大阪まで利用した急行・指定席券(マルス)とグリーン券(硬券)

 ミニ周遊券は、急行の自由席分しか含まれていませんから、グリーン車を利用する場合、特急・急行用グリーン券の他急行券(\300)と指定席券(\300)がさらに必要でした。本シリーズのプロローグでも書きましたが、1週間の長旅で疲れているはずなので大阪までは、寝台をとって寝ていき、大阪で[桜島]を捕まえようと考えました。なので、桜島の大阪発車より以前に、大阪に到着する急行・特急の寝台ならどれでも良かったのですが、発券時点で全て満席。そして、かろうじて取れたのが、東京までの乗車列車である[高千穂]号のグリーン車2席分だけだったというわけです。
 
 確かこの年の秋に運賃改正があったと記憶しているのですが、旅行時点でのグリーン料金の計算は列車間をまたがる通算で、東京まで買うと\3800、大阪までの約2倍になっていました。当時のB寝台料金が¥1100~1600で乗れましたから、グリーン料金が如何に割高だったかが判ります。というわけで、大阪までのグリーン車乗車となったわけです。切符は小倉から大阪までを買いましたが、下関で山陽本線の特急の写真をとろうと思い、下関まで普通電車で移動。その後、[高千穂]到着までの間、ホームで写真を撮ったり、お土産を買ったりして過しました。
 
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 下関に停車中のキハ82系特急【まつかぜ1号】 2011D博多行
 
 下関駅撮り写真の最初は19:42着、山陰線からのキハ82系特急【まつかぜ1号】 です。
 新大阪を13両編成で出発、鳥取で6両を切り離して、ここ下関では、食堂車を含む7両編成でした。
 2分の停車の後発車です
 
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機関車交換作業中の14系寝台特急【みずほ】
 
 続いて19:56 寝台特急【みずほ】 6レ東京行き。
 2分間の停車の間にEF30からEF65Pへ機関車を付替えます。
 
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 牽引機はEF65 512 連結完了!
 
我らが乗車予定の[桜島・高千穂]より一足先に東京へ向けて出発です。
 
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  特急【つばめ7号】 1017M 岡山発熊本行き
  由緒ある伝統の名称を引き継いできた列車ですが、翌昭和50年3月の新幹線博多開業で一旦姿を消します。下関20:30の出発。非貫通型、485系による運行です。
 
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 先頭は2ドアクロスシートのクモハ42
 
 当時の時刻表から推定すると21:03発、2960M宇部線経由小郡行しかないですが。
 
 
 
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 21:10 岡山からの特急【はと3号】3025Mが到着
 
 
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ヘッドサインを【はと】から【しおじ】に交換

 この日は、もうこの後に出発は無いので、明朝に備えたものでしょうか。
 【はと】も【しおじ】も山陽線内の特急ですが、新幹線が岡山までしか開通していなかった当時、岡山発着が【はと】、新大阪発着が【しおじ】と名前が分かれていました。いずれも、関東では縁の無い列車で、しかも大好物のボンネット。列車を待つ僅かな時間を利用しての貴重なショットでした。これら山陽特急も、昭和50年3月の白紙ダイヤ改正で姿を消していきました。
 
 間もなく、21:43 1102・4102レ 急行[桜島・高千穂]号が滑り込みます。5分停車の間に機関車を交換して出発です。筆者らは9号車、[高千穂]編成のオロ11のシートに身を沈め、目一杯リクライニングを倒すと直ぐにぐっっすりと眠りに入りました。目が覚めたのは、大阪到着の直前。大阪からは、後方の[桜島]号最後部に移動するので、慌しく下車の支度をします。
 
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  大阪駅を発車した北陸特急【北越】号 
 
大阪到着7:28 10番線に到着すると間もなく、隣の10番線から特急【北越】4005M新潟行きが発車します。
 ホーム先端まで駆け足して、特急【北越】発車をお見送り。そして筆者らは、[桜島]号最後部へ移動して乗り込みます。 7分の停車の後、7:35 大阪を後にします。ここからは東海道線内、昼行客車急行の体となります。

 車輌はナハフ11。車掌室が東京方に向いていて、化粧室が最後部側でしたが、10系客車は化粧室がデッキより車端外側にあって往きとどうよう貫通扉が邪魔をして、展望車になりません。さらに、貫通路は施錠されていて開くこともままならず、大人しく座席に座っていました。
 
 グルーン車を挟んで一両だけ後ろに取り残された感のある最後部という条件も影響していたせいもあるのか東京までの車内は夏休み最後の8月31日、車内は始終ガランとしていた記憶があります。大阪を発車してまもなく、東京までの停車駅と到着時刻の案内がありました。
 大阪 7:35
 京都 8:19
 大津 8:31
 米原 9:22
 岐阜 10:20
 尾張一ノ宮 10:32
 名古屋 10:48着 10:53発
 豊橋 11:46
 浜松 12:16
 静岡 13:17
 清水 13:28
 富士 13:48
 沼津 14:07
 熱海 14:26
 小田原 14:48
 横浜 15:38
 品川 15:57
 東京 16:06
 
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緩行電車線を挟んで下り列車線を行くディーゼル特急【かもめ】
 
 何と美しい! キハ82系13両編成の、京都発長崎・佐世保行き特急【かもめ】です。
 前6両が筑豊本線を経由する佐世保行、食堂車を含む後ろ7両が長崎行。
 列車番号も東海道・山陽筋で1Dを名乗り、まさしくクイーンの名にふさわしいという感じです。
 
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 大阪8:23発大分行き特急【みどり】33Mの回送と離合。
 
 続くは、【みどり】のヘッドサインを掲げた485系。向日町からの出区でしょうか。
 
 
 
  EF58が【日本海】のHMを掲げて、終点大阪へラストスパート
 
前記事に掲出した、20系【日本海】との離合シーン
 
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米原駅に進入する急行[立山1号]
 
 9:22 米原に到着すると5分の停車。その間に、大阪を13分後に発車した、急行[立山1号]501M糸魚川行き(富山から普通列車)が追着いてきました。HMもまだ大型の頃です。
 
 
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 米原駅に停車中の急行[立山1号]
 
38年前のシーンです。
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 大垣電車区を横目に…
 
 80系や、中京地区専用の修学旅行電車159系、その向こうには153系が見えます。
 153系も、まだ冷房化されていませんね。
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EF66の牽く貨物と離合
 何処だろう?岐阜辺りですかね。
 脇に留置されているワム、トラなどの2軸貨車が時代を感じさせます。
 
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名古屋発富山行き特急【しらさぎ2号】23M 
 
 時刻表から尾張一宮の辺りだと思います。
 583系での運行は確か、寝台特急【金星】の昼間、間合い運用だったと記憶しています。
 
 この後名古屋をすぎ単調になるのか、あるいは旅の疲れが出ていたのか、この後は一切写真を撮っていません。なので本カットが、一連の旅行記事のラストとなります。
 
 2008年から始めた本シリーズも3年半越でようやく最終回。
長らくお付き合いありがとうございました。
次のシリーズ開始の間、単発の小ネタが続くかもしれませんが今後とも宜しくお付き合いください。
 
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