諸君、ご壮健かな。
浦賀。
ご存じ、黒船に乗るペリーが、鎖国の日本に改革を迫って現れた場所。この駅前からほど近い場所に。
浦賀コミュニティセンター分館。
この公共っぽい建物を見ると、もうわかるであろう。私の重篤病。
マンホールカードが欲しい症候群。
治りません、勝つまでは。この手のひらサイズの紙に魅了され、翻弄される道化なのだよ。
敷居を跨ぐ。
渋沢栄一?
なぜ?そう思ったが、その答えはここにあった。
浦賀奉行。
2階の展示室。入り口に控えるのは中島三郎助。彼は突如現れたペリーの黒船に乗り込み、堂々と渡り合った男。
そして明治へと変わりゆく中勃発した戊辰戦争で、榎本武揚とともに箱館へ落ち延び散っていった。熱き時代を体現した男だ。
まず目に入るのは。
関東大震災の爪痕。
ここは凹地で土砂が集中し、かなりの被害があったという。写真を見ると、近年の地震が恐ろしくなり、熱海の人災土石流が許せなくなる。
そして造船所。
明治の頃、戻ってきた榎本武揚らが軍艦を作るべく浦賀ドッグを作ったが、渋沢栄一は商船を作るべく川間ドッグを作った。軍事と経済の対決の軍配は前者に上がったが、競い合った結果が富国強兵につながったのはいうまでもない。
千代ヶ崎砲台跡、見たい!
が、今回はタイムオーバー。無味乾燥な日常へと帰還せんといかん。
マンホーラーとしての…。
成果は確実に。
かつての日本の勃興は眩しくとも、いま日経平均株価は沸騰中。まだまだ評価はたかいのだ。先人の熱き息遣いを見習いもうひと頑張り。
日本の夜明けは近いぜよ!