私の母には過去の精神病院の入院生活で残念な扱いを受け、体が不自由になってしまったという、悲しい経緯があります。


両親は今でも、その時の病院や医師を深く恨んでいます。「あのせいで体が動かなくなってしまった」という文句が始まると、なかなか止まりません。


私自身も、当時は母を助けてあげられなかったことを、ずっと悔やんで生きてきました。

(私が両親と距離をおいていた時だからです)


ところが、ある時、姉がふとこう言ったんです。



「お母さん、体が動かなくなったことで、手厚い支援を受けれるようになったんだよね。それって、悪いことばかりじゃないよね」


その言葉に、ハッとしました。


恨みや後悔というフィルターを通すと「最悪の出来事」でしかない過去が、別の角度から見ると、今の平穏に繋がる「一本の道」に見えたからです。


実際、母は退院後、精神障害者1級の認定を受け、訪問看護を通じて少しずつ気持ちを立て直していきました。

さらに65歳を超えてからは介護保険を利用し、車椅子など介護用品を借り、デイサービスやショートステイへ…。



そうして「たくさんの手」が入るようになったことで、母の精神状態は、驚くほど落ち着いていったのです。


かつて、ジェットコースターのように感情が荒れ狂い、家の中を嵐に巻き込んでいたあの頃の母。

誰の手も借りられず、家族だけで抱え込み、疲弊していたあの日々。



それを思うと、体が不自由になった今の母は、皮肉なことかもしれませんが、私のこれまでの人生の中で、一番穏やかな顔をしています。


あの時の出来事は、確かに悲しいものでした。

でも、その不自由さと引き換えに、母は「孤立」から抜け出し、プロの助けを借りて「穏やかさ」を手に入れることができた。



「失ったもの」を数えて悲しむより、今ここにある

「穏やかな時間」を大切にしたい。


姉の一言のおかげで、私もようやく自分自身を許し、今の母との時間を心から愛おしいと思えるようになった気がします。