私のこれまでの人生の中で、最も辛く、命の危険さえ感じた出来事があります。

私が20代の頃、母の躁状態が「最悪」の状態に陥っていた時のことです。


当時の、母が通っていた病院の医師は前にお話ししたように、プライドが高く威圧的な医師でした。

そんな医師と完全に関係がこじれてしまいました。

医師は激怒し…。

「あんな状態のやつを受け入れる病院なんてあるわけがない!」

「俺の言うことが聞けないやつは、知らない!」

と、泣いてすがる私を冷たく突き放したのです。


紹介状すらも書いてもらえない絶望的な状態。

自力で他の病院に電話をかけ続けましたが、返ってくるのは「今の病院で入院させた方がいい」「紹介状がないと見れない」という回答ばかり。


見かねた看護師さんが「医師のあの態度はひどい、訴えてくれていい」と声をかけてくれました。

でも、当時の私にはそんな体力も気力もありません。

訴えるより、目の前で荒れ狂う母をどうにかしなければ、家族が壊れてしまう。

ただ、それだけでした。


病院から見放され、家に帰るとそこは地獄でした。

母は暴れ続け、父は精神的な限界を超えたのか、現実逃避するように仏壇の前で念仏を唱えるばかり。



「このままじゃ、私は母に殺されるか、あるいは追い詰められて自分が犯罪者になってしまう」


本気でそう思うほど、私は追い詰められていました。

(この時点で、もうどれだけ母も家族も寝れていなかったか、分かりません。)


夜の暗黒の中、たった一人で「死」という言葉が頭をよぎるほどの恐怖と戦っていました。



県の相談窓口、そして保健所…。

色々、電話しました。

でも「すぐには動けない」という答え。

ついに私は、藁にもすがる思いで警察に電話をしました。



「殺される、助けてください」と。


その叫びが、ようやく事態を動かしました。

警察から保健所へ連絡が入り、ようやく地域の緊急精神病院への道が開けたのです。

保健所の方が、あの医師から半ば強引に紹介状を取り付けてくれました。


あの日、もしあの電話が繋がっていなかったら、もし誰かが動いてくれなかったら。

今の私はここにはいなかったかもしれません。


今でも、あの病院の近くを通ることはできません。

思い出すだけで体が震えてるほど、辛く、忌まわしい記憶です。


でも、あの地獄を潜り抜けたからこそ、今の私は、

「どんなことがあっても、命さえあれば、道は開ける」と知っています。

あの病院から抜け出せたこと。

そして今、母が穏やかな環境にいられること。

それは、あの時のボロボロになりながらも、決して電話を置かなかった「20代の私」が勝ち取った、奇跡のような平穏なのだと思っています。