幼い頃から精神障害を抱える母を支えてきた私、そして老々介護 -10ページ目
最近、実家に行くたびに、どうしても目がいってしまう、ある「変化」があります。
それは、父の身なりです。
これまでの私の父といえば、とにかくオシャレに気を使う人でした。
出かける前には必ずドライヤーを丁寧にかけて、スプレーで髪をピシッと固めてセット。
外出用の服はちゃんとお気に入りが決まっていて、いつも綺麗なシャツやポロシャツに、お気に入りのジーンズを合わせて格好よく着こなす。
それが私の知っている「いつものお父さん」でした。
ところが最近、そのオシャレな父の姿を見かけることが、だんだんと減ってきたのです。
いつの間にか、ジーンズだったズボンは履きやすいジャージになり。
綺麗なシャツの代わりに、畑の農作業用だったボロボロのシャツを普段から着るようになり。
あれだけこだわっていた髪も、セットせずにそのままにしていることが増えてきました。
最初は、「その方が体が楽なのかな?」と思っていました。
でも、実家での探し物が増えたり、片付けが難しくなってきた今の父を見ていると、ふと思うのです。
「楽だから」だけじゃなくて、もう、そこまで自分の身なりに気を配るだけの『エネルギー』が、今の父には残っていないのかもしれないな、と。
正直に言うと、なんだか無性に寂しいです。
あんなにシャキッとしていて、こだわりがあって、格好よかったお父さん。
その父が、少しずつ、少しずつ、自分のこだわりを手放して小さくなっていくような気がして、胸の奥がキュッと切なくなります。
「お父さんも、やっぱり歳をとったんだな〜」
頭では分かっているはずのその事実が、ジャージのズボンやセットされていない髪を通して、ダイレクトに心に染みてくるのです。
これまで長年、母の介護を最前線で背負い、自分のことは二の次、三の次でボロボロになるまで踏ん張ってきてくれたお父さんです。
オシャレをする気力が湧かないくらい、本当は心も体もクタクタだったのかもしれません。
お父さん、これからはのんびり過ごそうね。

