岐阜県郡上八幡の
助産師&針灸師の
加藤祐里です。
6月4日に約5000頭の
蚕の世話をはじめました。
来週にはいよいよ
繭になります。
もりのこ針灸院のほうの
予約がとりにくくて
ごめんなさい。
25日過ぎたら
ほかのスタッフさんたちには
完全にお休みして
もらって
もりのこ院長家族だけの
担当デー。
私の夫は
蚕にも糸にも
まったく興味はないけど
過去5年
どうしても私が
お世話できないときに
桑を採りにいったり
お世話してくれた
頼りになる存在。
かなり戦力になっております。
小学生の次男も、
まだ力はないし
すぐに飽きて
遊びだしちゃうけど
養蚕小屋に遊びにきてくれた
小さい子どもの面倒を
みてくれたり
葉っぱを運んでくれたり
大人も知らなかった
場所で水を汲んで
きてくれたり
猫の手よりかは
役に立つ存在です。
※お腹すくと
不機嫌になるから
たまにお菓子あげないと
いけないですけど。
だいたい養蚕仕事の
リズムにも慣れてきて
最初はおそるおそるだった
初心者のスタッフさんたちも
勝手が分かってきたのか
いい具合に
役割分担が
できるようになってきました。
まだ「やってみないと、
天候とかの影響もあるし、
その日にならないと
どうなるか
分からない」と
いう作業も残っていますが
とりあえず
「できるかどうかは
やってみないと
分からない」とはじめた
今回の養蚕も
なんとなく
ゴールがみえてきました。
でね、
今まで蚕もみたことがない、
知識もなければ
育てた経験もないような
‘いちげんさん’から
「養蚕のお手伝いがしたい」と
お申し出があるのです。
お気持ちはありがたいの
ですが
私ひとりでやってしまえば
さっさと終わる作業も
木綿と絹の違いも
ろくに知らない人に
仕事のやり方を
イチから教えて
蚕の歴史とか
郡上の絹織物の
文化とかお伝えして
けっこうな
手間と労力なんですわ。
逆にこっちが
お金欲しいくらいだわ、と
正直思ったりする。
確かに養蚕自体は
小学生でもできる
単純作業。
でも、来年も
再来年も
自分の本職を休んででも
週に3日以上
通ってくれて
こちらの人手が
不足しがちな
早朝や夕方の
時間帯に喜んで
来てくれて
上からの指示を
待つのでなくて
現場でリーダーシップを
とってアイデアを
ドンドン出して
仕事をお願いする側の
負担が軽くなって
よりいい結果がだせるように
責任もって
動いてくれる
「本気」の人でないと
お金を払って
お仕事を頼みたいとまでは
思えない、と
気づきました。
何度もいいますが
蚕に興味をもって
もらったり
手伝いたいという
お気持ちは本当に
有難い。
ただ私もまだ
この先がどうなるのか
分からないような
暗中模索の時期に
中途半端に関わって
来る人がいると
エネルギーを奪われて
疲れます。
先日、
服部みれいさんの求人で
「逆にお金を払ってでも
働きたい人募集」で
ツイッターで炎上しましたが
「仕事をする」と
一口にいっても
一方的に上から
言われるがまま
仕事をして
誰がやっても同じ、
お金だけもらえれば
いいという
サラリーマン的な
働き方と
自分が得意なことを
通して
今の世の中を変えたい、
自分にしかできない
技術や才能、
より人としても
成長できるような
「職人的」な働き方では
本気の度合いが違います。
「自分が少しでも
得するような
お給料や労働条件が
いい仕事が良い仕事」
「好きだけど
お金にならないことよりも
生活を安定させるため
家族を食わせるために
嫌々でも
お金のために
働きつづけるべき」
という
思い込みが
日本人は特に
強いと思います。
郡上の養蚕も
どこに出しても
恥ずかしくないような
本気の一級品の
繭を作りたくて
30年後に
子どもたちに
日本の古き良き
世界に誇れる
養蚕技術を残したくて
やっていますけど
最終的に
いくらで売れたとか
目にみえるような
価値に換算できないと
貴重な日本の
文化や歴史を
守るために
誰かがやり続けなければ
いけないことなのに
それは全部「趣味」で
ひとくくりにされてしまう。
そんなことやっても
たいした儲けに
ならないなら
お金のために
どこかに働きに
でたほうが
よっぽど身の為だわ、と
結局はお金に
負けてしまう。
理想論かも
しれませんよ。
だけど、
ロボットに多くの
人間の仕事が
奪われるだろうと
言われる世の中で
サラリーマン根性から
抜け出せないような人には
もう仕事は与えられないと
思います。
逆にロボットには
できない仕事を
作りだして
人がやるからこそ
価値があがるような
職人的な働き方こそ、
これからの
私たちの「豊さか」の
ヒントがあるように
思うのです。