天然素材の服作りを通して学ぶ「からだと心の健康(健幸)」 | 岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

数千例を超える出産や母乳育児に立ち会ってきた助産師です。病院の検診だけでは安心して出産が迎えられない妊婦さん、通常の母乳指導に満足できない‘子育てにこだわりたい’ママのためのに身体と心にアプローチする針灸院です。

岐阜県郡上八幡の
助産師&針灸師の
加藤祐里です。

4月3日から10日まで
カンボジアに
研修にいくため
治療院もブログも
完全休養です。

カンボジアには
森本喜久男さんという
日本人の方がはじめた
養蚕や糸つむぎ、
草木染、織りの村があって

そこで5日間ほど
過ごします。

人生初の海外旅行が
子どもも一緒に
「養蚕を学ぶ旅」と
話したら
色んな人に
「加藤さんらしいわぁ」と
笑われました(*_*;

そもそも別に
そんなに蚕や服作りには
興味なんてなかった私。

服はユニクロで十分だったし
仕事はユニフォームに
着替えるから
お洒落にも無頓着でした。

それが「冷え取り健康法」を
はじめて
天然繊維が体と心に
及ぼす影響について
身をもって学んだことが

自分でも蚕を飼ったり
畑で綿を育てたり
糸をつむいだりするようになった
最初のきっかけでした。


↑うちは子どもも
大事な「養蚕スタッフ」


中国の古い言い伝えに

「病気を治すような
医師よりも

衣・食・住を通して
病気を防ぎ
健康を取り戻す
医師のほうが
優れている」という
考え方があります。

現代人は病気になるまで
放っておいて
薬を飲んだり
病院にいけば
治してもらえるのが
「治療」だと
思っていますが

本来の「自然治癒力」を
引き出すような治療とは

日頃の生活習慣や
思考のなかに
あると考えられていました。

とくに人間は
動物界のなかで
唯一「はだか」で
生まれてきます。

ほかの植物や生き物の
力を借りないと
生きていくことができない
生き物です。

今の日本人は
衣服はまるで
使い捨てのように
なってしまったけれど

本来は「衣・食・住」のなかで
一番優先順位が高いのが
「衣服」

食べ物は森に行けば
木の実とか草木とか
自然に採れたりしますし、

住まいも
洞窟とか
木の上とかで
なんとかなりますが

衣服だけは
つむいだり
織ったりしないと
手に入らない。

「服薬」という言葉は
今では「薬を飲む」という
意味で使われていますが

「服」という漢字が
使われているのは

衣服を通して
治療をしていた
名残です。

ケガをすれば
傷口に薬草を擦りつけたり
汁を塗ったり
皮膚を通して
薬効成分を利かせます。

貴族や武士などが
病気になると
魔除けの効果もある
絹の肌着に着替えて
養生したとか。

綿は丈夫で
大量生産しやすいですし

絹は人間のたんぱく質に
近いため
肌がさらさらになったり
癒しの効果、
疲労物質の除去、
調湿効果・防臭効果に
優れています。

羊毛は温かい、

麻はどこでも育ち
丈夫で
日本の人事には
欠かせない素材。

食べてもよし、
薬にもなるし、
服にもできて
土壌改善効果もあります。

体の症状にあわせて
住んでいる地域の
気候にあわせて
適材適所で
衣服を処方する。

そしてそれらを
作り、糸にして
染めて、織って
服をつくってきたのは
ほとんど女性たちだった。

基本的にほとんどの
生き物が一人で
赤ちゃんを産みます。

生まれてきた子供の
羊水をぬぐって
体温が冷えないように
布でくるんで
命を守るのは
「母親」の役目。

人間の命を守り
サポートしてくれる
自然界の叡智を学んで
子孫に伝えていくのは
「母親」しか
いないと思うのです。

どうして、針灸師なのに
糸のことなんて
やっているの?と
よく聞かれますが

「なんかよく
分からんけど
好きだから」としか
今は答えられないけど

天然素材の服作りに
ついて学べば
学ぶほど

人類が本来培ってきた
「本当の健康・本当の幸せ」の
ヒントをもらえるような
気がするのです。


↑今年も、こんな荒地を


綿の花でいっぱいに
したいです。


日本人は本当に
豊かになって
欲しいものはすべて
お金さえ出せば
なんでも手に入ります。

だけど
自殺する人
鬱になる人が
どんどん増えて

いつも何か心配していたり
‘なんか不機嫌’な人
ばかりです。

私も都会に住んで
仕事中心の暮らしだったころは
お金もたくさんあって

欲しいと思えば
たいていのものは
手に入ったけど

いつも何かに追われるような

お休みの日も
明日の仕事のことを
考えるような状態で

「心のゆとり」を
感じることが
出来ませんでした。

正直、今のレベルで
絹や綿をつくっても
お金になりません。

手間ばかりで
何の得にも
ならないですよ。

だけど、
一日30分でもいいから
郡上の土から
育てた素材で
ゼロから何かを
産む出すことができて

こういう時間を
楽しめる自分って
「贅沢」だなと
感じます。

自分が苦労して
作ったものや

今はもう誰もできないような
職人さんが作った
作品などは

お金出して
同じものは
手に入りませんから

糸くず一本も
無駄にできないと
思えるほど
大切にできます。

たいていの人が
「興味あるけど
私には時間がないから
そんなこと
やっている暇がない」と
言います。

時間は誰にでも
平等にあるのに

「豊かさ」の意味が
物質的にさえ
満ち足りればいいという
生き方になると

お金にならないような
ことに時間をかけたり
価値を見出すことが
できなくなります。

自分の得にならないような
ことには
時間も使いたくない、

自分さえ満たされれば
よくて
地球の裏側や
ほかの生き物や
未来の子どもたちの
幸せなんて
どうでもいい、

少しでも安く
便利な品物が
手にいれることが
できるのならば

ほかの貧しい国の人が
奴隷的に安い賃金で
劣悪な環境で
働かされていても
気にしない。

経済活動だけを
優先して
石油製品を使い続けたり
処理に困るような
原発などの施設を作って、

ほかの生き物の環境や
未来のこどもたちが
地球に住めなくなるような
環境破壊をしてもいい。

そういう社会の価値観の
歯車のなかで
働いているかぎり
自分の暮らしも
使い捨てから
抜け出せませんし、

何よりも
「あなた自身」が
「使い捨て」みたいに
なってしまうんです。

日本は戦争もなくて
餓死する人も
そんなにいないはずなのに

なんかいまいち
パットせず
不機嫌な人が多いのは

「健全な幸福(健幸)」が
分かっていないからで
ないのか、と思うのです。

最後にもう一度言います!

「しばらく
旅にでております。
電話も通じません!」


クラスの申し込みなどは
帰ってきてから
対応します。