「氣を使う」はエネルギーを消耗すること。「気を遣う」は有効に役立たせること。 | 岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

数千例を超える出産や母乳育児に立ち会ってきた助産師です。病院の検診だけでは安心して出産が迎えられない妊婦さん、通常の母乳指導に満足できない‘子育てにこだわりたい’ママのためのに身体と心にアプローチする針灸院です。

岐阜県郡上八幡の
助産師&針灸師の
加藤祐里です。

umiの家での
ファシリテーター講座で

‘歩く全体最適代表’のような
斎藤麻紀子さんが

「クラスに参加した
ママたちに座布団を出したり
お茶をだしたり

‘欲しい’という前に
気を遣って
先回りして
アレ、コレとやってあげることが
当たり前になると

今度は参加者さんが
‘やってもらうことが
当たりまえ’になって
自分で欲しいと言わない、

ママ同士で配慮しあわない、
空気ができてしまう。

ちょうどいい
‘氣づかい’が分からない」と
おっしゃっていました。

気を『使う』は
『気(エネルギー)を
消費する(使う)こと』

気を『遣う』は
『気(エネルギー)を有効に
役立たせる(遣う)こと』

というサイト
みつけました。

一生懸命、相手の
ためを想って
やっているのに

反応が悪いと感じて
イラッとしたり

思ったほど
有難がってもくれなかった
ようなときは

おそらく
自分のエネルギーを
消耗するような
氣の使い方をしているのかも
しれません。

あの人が来るから
自分はあれも用意して
これも用意してと
忙しがっているわりに

疲れるばっかりで
面倒くさく
感じるようなときも

自分のエネルギーを
無駄使いしています。

それをしても
相手は気づいても
くれなくてもいいから

捨てられてもいいけど
それがあると
その場に来た人の
心がすっと軽くなって
ホッとできるような
イメージで

何かを創ったり
準備したり
掃除をしたり
思わず体が動いて
しまうような状態が
「氣遣い」

そういうときは
自分には何の得もないけど
やったあとに
清々しくて
自分も元気になれるような
エネルギーが満ちています。

例えていうと、
友達が来るから
掃除しなくちゃなぁ、
面倒くさいなと
思って掃除すると

友達が来て
汚されたりすると
イラッとするし

招かれたほうも
逆に恐縮してしまったり
居心地の悪さを
感じたりします。

もう掃除するのは
いいや、
あの子なら
汚れていても
‘気にしないだろうし’と
「氣を使わない」
「減らさない」ので

洗濯物が出しっぱなしでも
意外と訪れた人は
ホッと過ごせたりします。

そこには相手や
世の中がたたただ
平和に、穏やかに
その人らしくい
時間を過ごせるような
「祈り」の精神状態
現れているのだと
思います。

「気を使って」いるうちは
どこか自分目線。

もっと褒められたい、
目立ちたい、
すごいと認められたい、
非難されたくない
損したくない、
失敗したくない、
相手をコントロールしたい、
自分の思い通りにしたい、
迷惑だったらどうしよう、
面倒くさいな、
このくらいでいいか、
誰もみてないし…。

全体最適に対して
部分最適は
自分だけ得すればいいという
狭い考え方やシステムで

全体最適化することは
「気づかい」ができることが
大切だそうですが

考え方や見ている世界の
「範囲」であるならば

「使う」と「遣う」の違いは
エネルギーのつかい方の違い。

ただただ消耗する
使い捨てのやり方か、

相手も満ちて
自分も満ちて
世の中全体に都合のよい
エネルギーが増幅するような
「循環型」か。

サービスが過剰に
なるわけでも
ただ優しくして
甘やかすわけでもなくて

何十年後になるかもしれないけど
いつか分かってくれる、
いつか成長する力を信じて

相手が自分で解決したり
自立できる方法を
見出して
能力を引き出せすために

あえて手をださない、
失敗するほうを
選ばせてあげる、
試練を与えてあげることも

お互いのエネルギーを
高める「氣の遣い方」かも
しれません。