I Want To Know What Love Is フォリナー | 自然と音楽の森

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洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。

20140606Foreigner

 ◎I Want To Know What Love Is
 ▼アイ・ウォナ・ノウ
 ☆Foreigner
 ★フォリナー
 released in 1984
 2014/6/6

 フォリナー唯一のビルボードNo.1ヒット曲。
 
 スペースシャワーTVの番組「洋楽最強伝説」で、仕切り直しの1984年特集の回にこの曲が流れました。
 仕切り直し、というのは、前回の1984年特集は、曲は1984年だけどテロップが1994年と間違っていたもので、その後を受けて、という意味です。

 ゴスペルって、今なら、音楽を聴く人であれば誰でも知ってますよね。
 辞書的な狭義の意味ではなく、イメージとして、という話ですが。
 僕の例でいえば、ソウルという音楽が分からない若い人に、「ゴスペルの感情を抑えて軽くした音楽」と説明したら分かった、ということがありました。
 
 僕が洋楽を聴き始めた1981年頃、日本ではゴスペルの意味を知っている人は少なかった。
 少なくとも中学生だった僕の周りでは誰も知りませんでした。
 
 ビートルズを聴き始めた頃、レコード屋でもらったビートルズの小冊子を首っ引きで読んでいたのですが、その中のI Want To Hold Your Hands「抱きしめたい」のところに、こんなことが書いてありました。
 この曲はゴスペルの影響がある
 "gospel"を辞書で引いてみたところで、文字で説明しているだけで、イメージも何も浮かばない。
 音楽のことであろうとは思ったのですが、僕はそれまでゴスペルといわれる曲をそれと意識して聴いたことはなかった。
 まあ、ビートルズを聴くまではレゲェすら知らなかったように、当時はどんな音楽かを言葉として定義することはできなかったのですが。

 後から見れば、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」がゴスペルの影響が強く出ていたり、ポール・ヤングがカヴァーしてNo.1ヒットになったホール&オーツのEverytime You Go Awayはゴスペルを意識したものだと分かります。

 ビートルズの後はヒットチャートを追っていたそんな僕に、ゴスペルとはこういうものだと教えてくれたのが、フォリナーのこの曲でした。

 ビデオクリップはニューヨークの街角のスナップで、片方ではフォリナーがレコーディングをしている。
 もう片方では街で働く黒人の男性や女性が写し出される。
 仕事が終わり、働いていた人たちが次々とバスに乗って集まる。
 行きついた先は、フォリナーが録音しているスタジオ。
 集まった黒人の人たちはコーラス隊だった。
 バンドとコーラス隊のメンバーがスタジオで握手を交わし、曲の最後の感動的なコーラスを一緒に歌う、というもの。
 
 歌詞の内容ではなく、音楽を表すイメージとしてこのビデオクリップは最高にいい。
 実は僕、この曲の歌詞の真意がいまだにもうひとつつかめていないので(言葉として意味が分からないということではなく)、余計に音楽としてのイメージが映像を通して頭に残ります。
 説明的ではない、絵として味わうことができるクリップですね。

 そしてここが本題。
 高校2年の時、僕はこれを観て「なるほど、これがゴスペルなんだ」と分かりました。
 僕がヒットチャートを聴くようになり、初めてリアルタイムで出てきたゴスペルを取り入れたヒット曲がこれでした。

 そのすぐ後に出た、ユーリズミックスのThere Must Be An Angel (Playing With My Heart)もゴスペルを視覚的に分からせてくれるもので、この2曲のおかげで僕もゴスペルのイメージができるようになりました。
 
 文字や音楽だけでは分からなかったことが、ビデオクリップで映像として見ると理解が早い、ということでしょうね。 

 ロックという音楽は、いろいろな音楽の要素を取り込んでやってみる、というのが本来の姿勢だと思います。
 それが上手いか下手かは関係ない、やることに意味がある。
 
 大学時代のバイト先にソウル系フリークの同僚がいたのですが、その人がゴスペルが好きと言ったので、「ああフォリナーのあれね」と僕が言うと「あれにはゴスペルは感じないな」とばっさりと切り捨てられました。

 そうですね、彼の言い方をそのまま使えば、今となっては僕もここからは「ゴスペルは感じない」。
 あくまでもイメージというかスタイルを取り入れただけ、口が悪い人はちゃっかり応用している、といったところなのでしょう。 

 音楽の聴き手は、広く聴かれるロックに取り入れられたいろいろな要素から遡ってそれらのルーツを聴く。
 本物を聴くとロックは下手だなとすぐに気づくのですが、しかし、道を見せてくれる、目を開かせてくれるという意味では、やはりロックという音楽の持つ力は大きいのだと思います。

 そういう点でフォリナーのこの曲は、僕にとっては大切な、思い出も思い入れも深い、意味の大きな曲なのです。

 今もこの記事を書きながら口ずさんでいるくらい大好きな曲。

 ただ。
 いい曲って「ふっと浮かんでできてしまった曲」と「いい曲を作ろうと努力して出来上がった曲」があると常々思っています。
 
 フォリナーのこの曲は、どちらかといえば後者、「いい曲を作ろうと努力した曲」と感じます。
 ひらめきというよりは努力、面白みというよりは充実、それがこの曲。
 同じフォリナーのヒット曲でも、Waiting For A Girl Like Youはどちらかというと前者であり、2曲聴き比べると違いが感じられます。

 まあ、この話を続ければ長くなるし、今回の本題とは別の話なので、そう感じるというだけで今回はやめておきます。


 ビデオクリップで僕が大好きなシーンを最後にひとつだけ。

 0'26"くらいから、スタジオで夜通し録音をしていたミック・ジョーンズが、ブラインドを下ろした外が明るくなっているのに気づき、ブラインドの隙間を指で開けて外を見ると、そこは夜明けの摩天楼。
 ずっと暗い中にいたミックには朝の光は眩しすぎ、目をこすりながら顔をそむける。

 情感がこもっているし、何より絵としてきれいですね。
 僕は、早朝の人気の少ない街がなぜかとっても大好きで、東京に行くと6時前に上野不忍池などに出かけて、そんな都会の雰囲気にひたります。
 そして当時の僕は、ミュージシャンというのはやはり世間で言われているように"Daysleeper"(R.E.M.の曲名)、夜中に働く人であることも分かったのですが。

 このシーンはよほど印象的だったらしく、僕は爾来、今でも、ブラインドが閉まっていると、指で隙間を開けて外を覗きたくなるのでした(笑)。

 そうそう、もうひとつだけ。
 冒頭のルー・グラム、「グー」→「パー」には何の意味があるのだろう・・・
 若い頃謎だったことを、今回観て、思い出しました。
 今は、音楽に対して目を見開かせてくれた、と解釈できます。


 P.S. この曲の真意が今ひとつ分からないのは、実際の僕がこの曲名の通りだからかもしれない、と思いました・・・