I Can't Go For That (No Can Do) ダリル・ホール&ジョン・オーツ | 自然と音楽の森

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20140405HallOates

 ◎I Can't Go For That (No Can Do)
 ▼アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット
 ☆Daryl Hall & John Oates
 ★ダリル・ホール&ジョン・オーツ
 from the album PRIVATE EYES
 released in 1981
 2014/4/5
 
 今日はホール&オーツ行きましょう。 
 「80年代の渦」からなかなか抜け出せませんが・・・

 歌を歌っていて、突然、その意味に気づくことってありませんか?
 僕は昨日、この曲を口ずさんでいて、「ああ、そういうことだったのか!!」と膝を打ちました。

 この曲が頭に浮かんだのは、今週の「ベストヒットUSA」でホール&オーツのRich Girlが取り上げられていて、その流れです。
 素直にRich Girlに行けばいいものを、とお思いでしょう。
 でも、その曲は僕が洋楽を聴く前にヒットしていた「後追い」の曲で、思い入れがそれほど強くない。

 一方こちらは、僕がビートルズ以外の洋楽を聴き始めた何枚目か、という早い時期に聴いていました。
 当時はPRIVATE EYESがアルバム、シングルとも大ヒットした余波で、「FMファン」でも記事がよく出ていたし、人気が頂点に達した頃でした。

 前に話したようにFMでエアチェックをするようになり、彼らのDid It In A Minuteが気に入って何度もカセットテープで聴いていたところ、父が「変わったコーラスだな」と話しかけてきて、そこで僕はLPも買うことにしました。
 買ったのは今はもうない「コーヨー」というレコード店で、もう12月になろうとしていた頃、懐かしい。

 この曲はその前にテレビでビデオクリップを観て聴いて知っていましたが、なんというか、歌メロがいいとか感動するとかそういうのではないけれど、不思議と強く印象に残る曲でした。
 こんな曲がNo.1になるのか、と、アメリカのチャートに驚きもしました。
 LPで聴いていて、サビの部分になると父が「何て言っているんだ?」と聞いてきました。
 "I can't go for that"
 単語ひとつずつ区切って音符に乗せるこの部分はほんとうに、不思議と印象が残りますね。

 曲は、機械的な打ち込み音(当たり前か)、無機質なキーボード、乾いたギターと、冷たい響き。
 元々ホール&オーツ、特にダリル・ホールはどちらかというと冷たい響きが特徴ですが、これはその極み。
 そしてなんだか焦っているような、性急な感じがしますね。
 歌はそれぞれ8小節ずつのA、B、Cが3回繰り返され、うち3回目のAがサックスの間奏、その後すぐにコーダに入る。
 ビデオクリップのコーダは40秒ほどしかないけれど、レコードでは1分半近くあるのかな、それにしても、なんだなんだと思っているうちに曲が終わってしまうこのスリルがいい。

 ビデオクリップは、霧が立ち込める中ダリルが歩いてきて、楽器について、暗闇に一筋の逆光の中で、オーツとサックス奏者の3人がただ歌って演奏するだけ。
 こちらも「ただ歌うだけ」、でもやっぱり映像的に面白い。
 それにしても、ダリル・ホールの金色のジャケット、すごすぎる。
 やっぱり欧米人は服装のセンスが根本的に日本人とは違いますね。

 0'24"、顔が写っていないダリルがキーボードを弾く。
 僕はキーボードは弾けないけれど、楽器を弾く人間としてギターでもベースでも、弾いているところが写ると、なるほどここをこうやって弾いているんだって参考になりますね。
 まあ、キーボードの場合はどこを弾くかは音が拾えれば1か所しかないのでしょうけど。
 しかも0'36"のところで、キーボード上のボタンを押して音色を変えて違うフレーズを入れる辺りがなおのこと興味深い。
 実際はスタジオで別に録っているのかもしれないけれど。

 0'58"、ジョン・オーツのギターも金色。
 そしてここで歌が始まるんだけど、(ビデオでは)4分強しかない曲でイントロが1分近くあるというのも、なんというか、人を喰っている。

 1'12"、Bに入る前にジョン・オーツとサックス奏者が表れて3人に。
 でも、結局このビデオクリップにはこの3人しか出てこない。
 3人で気持ちよさそうに、グルーヴィーに歌う姿は、街中や地下室などで気の置けない仲間が集まって音楽をしているという雰囲気を醸し出しています。
 サックスは当然金色だから、3人とも金、という絵がまた面白く印象的。
 ちなみにサックス奏者は当時のバンドメンバーのチャールズ・デチャント。
 
 2'06"、2回目のBは、1回目では2拍目裏から入っていた「ハァーッ」というコーラスが1拍目頭から入っている。
 こうした曲を活かすちょっとしたアイディアが大好きだと僕はいつも言っていますが、歌メロがいいわけでもなく展開もないこのような曲では特にそれが効果的。

 最後のC=サビからコーダの部分では、3人とも手のアクションが大きくなり、両の手のひらを立てて左右に振る「だめだ」という仕草、親指を立てて下に向け嫌だという仕草の「サムダウン」など。
 
 そうか!

 この曲のBとCの部分の歌詞を書いてみます。

 B:僕は君がしてほしいことなら何でもやるよ
  ほとんどどんなことでも、やってほしいなら僕はやるよ

 C:でも、それだけはできないなあ
   だめだよ、できないよ、嫌だね

 彼女に何をして欲しいと言われたのかな。
 意味深ですね。
 「それだけはできない」
 「それ」が具体的にどんなことなのか、気になってきました。
 
 ヒントとして考えられるのは、Aの歌詞の中に「君にはその体がある上に、次は魂までも欲しいんだね」というくだりがあること。
 彼女に支配されて自由がなくなるのが嫌なんだな。

 この曲の冷たい響きは、そんなところからきているのでしょう。
 ドライな関係というか、そういうことだったんだって。

 歌詞って、歌うのに覚えて口ずさむけれど、時として意味をあまり考えないことがありますよね。
 文章ごとには意味を取っていたとしても、それを総体として考えたことがないというか。
 歌詞の解釈は人それぞれだけというけれども、僕はこの曲とはもう30年以上の付き合いですが、昨日、漸く分かりました。

 しかし、ビデオクリップをよく見ると、ジョン・オーツがサムダウンで示していたんですよね。
 そこは見えていなかったのかな、それともサムダウンは意味のないただの動作だと思っていたのか。
 
 そしてもうひとつ。
 この曲の場合、歌詞には「音」として以上の意味がないのかもしれない。
 曲としてはすごく気持ちがいい、聴いていても、口ずさんでいても。
 じゃあなぜ歌詞があるのかというと、端的にいえば歌詞がないと歌として売れないからでしょう(もちろん例外はありますが、ヴァンゲリスとか)。

 そう考えると、歌詞の内容を考えさせずに歌わせてしまったこの曲は、ある意味、高度な芸と言えるのかもしれないですね。

 なんだかんだで僕も大好きな曲です。
 そして大好きだから敢えて「歌メロがよくない」などと書いています。
 でもこれは歌メロがどうこう以上に気持ちがいい歌ですね。
 そこもまだ芸といえるのでしょう。
 先日の「ベストヒットUSA」で、ホール&オーツはRich Girlが1位になったのにその後低迷して、開き直った結果が80年代のヒットに結びついたということで、この曲には、枠にとらわれない、度胸が据わったところがあるのもいい。

 30年聴いても、まだまだ発見があるんだなあ、と今回は思いました。


 ところで、僕にもやっぱり、それだけはできないよってこと、ありますね。
 もっとも、そういう状況になったことはないのですが・・・(笑)・・・