イタリアの指揮者、クラウディオ・アバド氏が亡くなりました。
先ずは「CDジャーナル」の記事を引用します。
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世界的指揮者、クラウディオ・アバド死去
ベルリン・フィルの芸術監督などを歴任したイタリア出身の世界的指揮者、クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)が1月20日、死去しました。
享年80。
アバドは昨年6月26日に80歳の誕生日を迎え、10月にはルツェルン祝祭管弦楽団との東京公演、および“ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ 松島2013”への参加のため7年ぶりの来日を予定していましたが、健康上の理由でこれを取りやめ、その後療養していました。
ミラノに生まれたアバドは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にデビュー後、ミラノ・スカラ座の芸術監督、ロンドン交響楽団の首席指揮者、ウィーン国立歌劇場の音楽監督、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督を歴任。
2003年にはトスカニーニが設立したスイス祝祭管弦楽団を再編し、ルツェルン祝祭管弦楽団を創立。
以後、アバドを慕って世界から集まった名演奏家たちからなる同オーケストラは、毎年ルツェルン・フェスティバルにて名演を繰り広げていました。
クラシック・ファンにたくさんの名演と思い出を残してくれたマエストロのご冥福をお祈り申し上げます。
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もうひとつ、AFP時事の記事から重複しない部分を抜き出します。
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アバド氏は胃がんを患ったものの2000年に一時回復している。
しかし、ここ数か月で病状が極度に悪化し、最近は仕事をキャンセルしていた。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、「(アバド氏の)音楽を愛する心と飽くことのない好奇心は、
私たちにとってのインスピレーションの源でした」と述べ哀悼の意を表した。</span>
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僕は、1998年からクラシックを本格的に聴くようになり、世紀が変わる前後数年は、家で聴く音楽の8割がクラシックというほど熱心に聴いていた頃もありました。
クラウディオ・アバド氏は、僕がクラシックを聴き始めた頃、上述のように世界最高のオーケストラのひとつ、ベルリンフィルの芸術監督を務めており、いわばクラシック界では最高の権威と実力を持った指揮者でした。
当時は「レコード芸術」も購読し、本をいろいろ買って読んでいましたが、アバド氏は、あのヘルベルト・フォン・カラヤン氏が去った後、暫くの間芸術監督を置かなかったベルリンフィルに迎え入れられたことで、どれだけ信頼されファンが待ち望んでいたか、ということが分かりました。
クラシックは右も左も分からなかった僕は、アバド氏の新録音による新しいCD=新譜が出ると、ほぼ必ず買って聴いていました。
旧譜のリマスターやボックスの再発も含め、おそらく僕がいちばんたくさんCDを買った指揮者がアバド氏だと思う、ほぼ間違いない。
アバド氏はいわば、僕にとっていわばクラシックの先生であり、クラシックを聴く上での確固たる指標という人。
だから、逝去の報に接して、思いを記事を書きたいと。
なお、一部に「アッバード」と表記しているものもあり、実際のイタリア語としての読みはむしろそちらの方が近いのですが、ここでは一般的な「アバド」と記してゆきます。
現在のベルリンフィルの芸術監督は英国のサイモン・ラトル氏。
僕が聴き始めた頃ちょうど新星のごとく一気に現れた人であり、一方でアバド氏が芸術監督を辞めることが発表され、次は誰、という話題で盛り上がっていた中での交代でしたが、今思うと僕は芸術監督の交代という歴史的瞬間にCDを通して立ち会っていたんだな。
その後は記事にあるように、若手を主体としたオーケストラを率いて積極的な活動をしており、そのCDも幾つか買って聴きました。
高松宮殿下世界文化賞音楽部門を受賞したことも覚えていますが、今調べるとそれは2003年、もう11年も前のことだったんだ。
ちなみに昨年はプラシド・ドミンゴ氏がその賞を受賞しています。
僕は、クラシックはそれなりに熱心に聴いていたけれど、演奏については詳しくは分からないし、説明ができません。
アーティキュレーションがどうだとか、カンタービレとか。
演奏をしたことがない楽器ばかりだから、余計に分からない。
一方で、本などで名盤と称されるものを買うことが多かったのですが、確かに、何か、どこか違うことは感じていました。
テンポだけはすぐに分かるけれど、テンポの違いでこんなにも違うのかというのはクラシックのCDを聴くとよく思ったことです。
あくまでも感覚で話すと、アバド氏の演奏は僕に合いました。
ただ、時々、これはどうなんだろうというのがあったのですが、アバド氏の場合は安定を求めていないのでそうなるのかな、と。
つまり、いつものようにやれば普通にいいんだけど、時々、普通にいいだけでは物足りないと感じていたのかもしれない。
若い頃のアバド氏の写真を見ると、とんがっている感じが強くて、意欲があって改革的な考えを持っていた人であることを感じます。
詳しくは分からないとはいいつつも、いつものように僕なりの考察を書いていますが、だから実際はどうか分かりません。
まあそれはロックの記事を書くに及んでも同じことでしょうけど。
なお、ウィキペディアを見ると、アバド氏のベルリンフィル時代の仕事は、「アバドの音楽的功績や指導力については評価はかなり様々である」とあり、後任のラトル氏との比較などにおいて次第に定まってくるだろうという記述があることを付記しておきます。
その中でも特に好きなものが、ベルリンフィルとの仕事であるブラームスの交響曲、ピアノ協奏曲と管弦楽曲のシリーズ。
交響曲は4番以外はこのCDの演奏がいちばん好きです。
4番は前に記事にしたカルロス・クライバー指揮のものかな。
交響曲のものは、今はもう閉店してしまった地元のCD店「玉光堂PALS21」店の半額ワゴンセールで見つけたもので、見事に4番まで揃っていて、クラシック聴き始めにはうってつけでした。
さらに少ししてアルフレッド・ブレンデルのピアノ協奏曲も2枚とも出てきたので買いました、運がよかったですね。
「ドイツ・レクイエム」だけは、揃えたいので通常価格で買いました。
「玉光堂PALS21」は店のクラシック担当の方とも仲良くなり、いろいろ情報をもらっていたし、ロック系も輸入盤の品揃えはタワーレコード並みに充実ししかも安かった、閉店は今でも残念です。
この演奏がどういいかというと、表現するのは難しいけれど、いい意味で角が取れてまろやかでゆったりと聴けること。
やり過ぎていないというか、テンポもやや遅めなのがいい。
これに比べてB指揮者のはどう、C指揮者はこう、と考えながら聴いていましたが、でも実は、ブラームスの交響曲についてはこれがあまりにも気に入っていたので、他の指揮者のCDは4つくらいしか聴いていなかった、だから比較が余計に難しい。
ピアノ協奏曲についてはピアノが分からないので、どこがどう、ここがこうというのはもっと分からないですが、このCDもこの曲のリファレンスといったところです。
なお、ピアノ協奏曲だけレコード会社が違いますが、これは、ピアニストのアルフレッド・ブレンデルの契約の関係だと思います。
そして仕事が休みの今日、逝去の報に接して聴いたのが「ドイツ・レクイエム」。
この曲についてウィキペディアより引用します。
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ドイツ・レクイエム(ドイツ語:Ein deutsches Requiem)作品45は、ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームスが作曲したオーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱による宗教曲。
1868年に完成し、翌年1869年初演された。
全7曲で構成されている(編注:下記参照)。
通常レクイエムはカトリック教会において死者の安息を神に願う典礼音楽のことであり、ラテン語の祈祷文に従って作曲される。
しかし、ブラームスはプロテスタントの信者であり、この曲ではマルティン・ルターが訳したドイツ語版の聖書などに基づいて、ブラームスが自分で選んだテキストを歌詞として使用している。
また、演奏会用作品として作曲され、典礼音楽として使うことは考えられていないのが、大きな特徴として挙げられる。
ブラームス自身も、「キリストの復活に関わる部分は注意深く除いた」と語っている
6.1 第1曲「幸いなるかな、悲しみを抱くものは」
6.2 第2曲「肉はみな、草のごとく」
6.3 第3曲「主よ、知らしめたまえ」
6.4 第4曲「いかに愛すべきかな、なんじのいますところは、万軍の主よ」
6.5 第5曲「汝らも今は憂いあり」
6.6 第6曲「われらここには、とこしえの地なくして」
6.7 第7曲「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」
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ラテン語もドイツ語も僕は分からないので一緒といえば一緒ですが、ブラームスが実際に日常生活で話していたドイツ語にすることで、よりリアルに、身近に感じられるように思います。
信者ではないので教会に入るのは勇気が要るけれど、音楽会なら気軽に聴ける、という感じかもしれない。
この曲はアバド氏のこれで初めて聴いたのですが、とても気に入り、後に6枚ほど違う指揮者の演奏のCDを買い、さらにはアバド氏が指揮する演奏会のDVDも買いました。
クラシックを聴くようになって、宗教合唱曲が特に好きになりました。
なんだろう、落ち着く、それはもちろん、深い、何より旋律が美しい。
他の作曲家のレクイエム、ヴェルディ、モーツァルト、もちろん好き。
バッハの「マタイ」をはじめ宗教合唱曲は、朝に聴くといい。
僕はクリスチャンではないけれど(他のいかなる宗教でもないけれど)、人間の思いというものは、表現のかたちは違えど同じに違いない。
だから逆に、何も考えずに聴くといいのかもしれない。
そのきっかけになったのがこのアバド氏の「ドイツ・レクイエム」
亡くなられたアバド氏を悼む特別な思いで、今日は聴きました。
この曲について、ポピュラー音楽との絡みで、ひとつ気になることが。
第4曲「いかに愛すべきかな、なんじのいますところは、万軍の主よ」の歌い出しの旋律が、アメリカン・スタンダードとしておなじみSomeone To Watch Over Meの以下の部分と旋律が似ていること。
♪ There's a somebody I'm longing to see
ガーシュウィン(夫妻)の曲、偶然の可能性はもちろんあるけれど、ポピュラーソングにはクラシックからの引用が多いので、彼らもブラームスが好きだったのかもしれない、と。
余談ですが、曲名では"Someone"だけど、引用した歌詞の部分では"somebody"になっていて、同じ意味でも音節がひとつ増えているのは、歌を作る上での言葉へのセンスの鋭さを感じずにはいられません。
ところで、僕は毎年元日、その年最初に聴く音楽にこだわります。
今年の1枚目は、ポール・マッカートニーのNEWでした。
朝5時前に起きてすぐにそのCDをかけ、出かけて8時半頃帰宅し、次に何を聴こうかと考えて思いついたのが、アバド氏指揮ベルリンフィルのブラームス交響曲1番から4番までを続けて聴くこと。
すぐにCDを取り出してきて連装CDプレイヤーに入れて連続でかけました。
僕は予知能力などあるわけないし霊感もほぼゼロという人間であり、これは単なる偶然に決まっているのですが、でも、今となってはどういう類の偶然なのだろうと思ってしまいますね。
80歳で亡くなられたアバド氏、若すぎる、というほどでもないかな。
しかし僕は、昨年の来日が流れたことは情報として聞いたけれど、胃癌で闘病していたのは知らなかった。
病気に打ち勝つことができればもっと長く生きられた、と思うと、やはりその死は早すぎるし、ご本人もそう感じておられたことでしょう。
もう80歳だったのか、と訃報に接した時には思いましたが、クラシックの場合は(今はロックもだけど)高齢でも活躍する人が多いし、そもそも僕がその名前を知った時既に60代だったわけだから。
いずれにせよ、熱心にCDを買って聴いていた音楽家が亡くなるのは、やはり、寂しいものがありますね。
安らかにお眠りください。