TRIBUTE TO A UNIQUE ARTIST カルロス・クライバー指揮 | 自然と音楽の森

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洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。


自然と音楽の森-June29CarlosKleiber


◎TRIBUTE TO A UNIQUE ARTIST Schubert / Brahms / Wagner

▼トリビュート・トゥ・ア・ユニーク・アーティスト シューベルト/ブラームス/ワーグナー

☆conducted by Carlos Kleiber

★カルロス・クライバー指揮

released in 2004

CD-0421 2013/6/29


 今回は、1冊の本を通してクラシックのCDの話をします。


 先ずは数日前に読了した本から。

 『青い雨傘』 丸谷才一 文春文庫


 知性の中にもユーモアと艶気を忘れず、好奇心を揺さぶられる丸谷さんのエッセイ集の中でも、1995年に単行本が刊行されたこれは、脂がのり切った絶頂期の1冊と思う。
 あ、絶頂期、などと書くと丸谷さんは喜ぶかもしれない(笑)。

 

 その中に、指揮者カルロス・クライバーについて書いたその名も「マエストロ!」という一篇がありました。

 

 丸谷さんは文学オタクともいえる人で、音楽の話はあまり出てこないけれど、たまに出るとこの充実ぶりはさすが、脱帽を通り越し、頭の毛を表皮ごとそぎ落とさなければならないほど感銘を受けました。

 丸谷さんは音楽(ほぼクラシックのみと思われる)は本来大好きで演奏会にはよく行かれていたようですが、音楽の話はあまりしていなかったのは、自分は門外漢と感じていたのかもしれない。

 しかし、カルロス・クライバーの話を読んで、それはもったいない、もっと書いてほしかった、と。



 カルロス・クライバーは、クラシックを聴くようになると早くに名前に接する人。

 少し聴き進めると、人気と実力がある指揮者であると見えてくる。

 さらに聴き進めると、人気がある割には録音が少ないと分かる。

 やがて、カルロス・クライバーという人はカリスマ的に絶大な人気を誇った指揮者であると認識する。

 というのは僕の体験談ですが、クラシックに詳しい人でなければ、だいたいこんな感じだと思います。

 

 僕も、クラシック聴き始めの頃は名盤ガイド本を数冊買い、そこから選んでCDを買っていました。

 カルロス・クライバーは、少ないものがいろいろなところでやたら評価が高く、僕もクラシックを聴き始めてすぐにCDを買いました。

 ブラームス交響曲第4番、シューベルト交響曲第3番&第8番「未完成」、ベートーヴェン交響曲第5番&第7番、この3点は、ドイツ・グラモフォンのOIBP(Original Image Bit Processing)リマスター盤が出ていて、リマスターには目がないのでなおのこと。

 特にブラームス4はその演奏のCDでいちばん好きでした。


 丸谷さんのエッセイを読んで、そのブラームスを聴きながら記事にしようと思いましたが、ネットで調べると、追悼盤が出ていることを知り、せっかくの機会だから購入して聴いてから記事にすることに。


 カルロス・クライバーは2004年7月13日に亡くなっています。

 享年74、少し早い死の報に僕もなにがしかのショックを受けました。


 「独創的な芸術家に捧ぐ」と題された追悼盤は、上記シューベルト「未完成」、ブラームス交響曲第4番、そしてワーグナー歌劇『トリスタンとイゾルデ』から、第3幕第3場「死と地獄」と同「優しく静かな彼の微笑み(イゾルデの愛の死)」を収めたもの。



 丸谷さんのエッセイは、1986年のカルロス・クライバーの来日公演の話から始まる。

 オーケストラはバイエルン国立管弦楽団。

 この話が書かれたのは1992年の雑誌の連載と思われるので、回想録の意味もあるのですが、その日の演奏曲目は以下の通り。

 

 ウェーバー 歌劇『魔弾の射手』

 モーツァルト 交響曲第33番

 ブラームス 交響曲第2番

 J.シュトラウス 『こうもり』序曲(アンコール)


 丸谷さんは「かうもり」と書いていますが、みなよかった、音楽を聴きに行ってこんなにいい気持ちになったことは滅多にないし、殊に、指揮者に夢中になったのはこのとき一度だけだ、と感銘のほどを記しています。


 カルロス・クライバーの魅力についてはこう語っています、ここは引用で。


 どんなふうにいいのかを問い詰められると言葉に窮するのだが、そこを敢へて言ふと、自由奔放な遊びと厳格で緻密な計算との両面が完璧にうまく行つてゐて(もちろんこれが最高の演奏といふものだが)、その両面の一致を指揮者の容姿が実に粋な感じで表はしてゐる、といふことか。知的で優雅で、気品があつてしやれつ気があつて、これぞ理想の指揮者といふ気がする。色気があつてしかも貫禄充分なのだ。


 丸谷さんの仮名遣いは入力に時間がかかりますね、特に「ゐ」が、最初は変換候補のかなり後ろのほうにあった(笑)。

 それはともかく、音楽をあまり語らないけれどいざ語るとなるとさすがはこの鋭い指摘。


 丸谷さんはコンサートに感銘を受け、いろいろレコードを聴こうと思ったのだけれど、録音が少ないことを嘆いている。


 ここから丸谷エッセイの真骨頂。


 どうしてカルロス・クライバーは録音が少ないのか、逸話を基に性格面の考察なども交えて話が進む。

 

 先ずは、カルロス・クライバーが指揮をした演奏で公式にレコード(CD含む)として出ていた録音をすべて書き出しています。

 いわばディスコグラフィですが、1992年までということでいえばこれだけで立派な資料になる。 

 次に買うのはこの中のどれにしようかな。


 録音以前にそもそも演奏することも少ないのだけれど、これは彼が完璧主義者であり、演奏を依頼された曲はすべてオリジナルのスコアに当たり、可能な限り他の指揮者の録音を聴いて組み立ててゆく、そうなると必然的に時間がかかり、多くは引き受けられない。

 また、引き受けても気が向かないといとも簡単にすっぽかすこともよくあったそうで。

 例えば、オーケストラの演奏者がクライバーの承諾なしにリハーサル当初と一部が変えられたことに立腹してキャンセルしたり。


 しかしそれでも依頼が後を絶たない、来るか来ないか分からないのに彼に「賭ける」のは、出演すればチケットが売り切れることが目に見ているからだという。

 この気持ち、背景、分かりますよね。 


 ただし、日本は好きだったようで、この時まで5回、さらにこの後1回の計6回の来日公演を行っています。

 これは僕が今Wikipediaで調べたのですが、1992年に来日公演をしているということは、丸谷さんのこのエッセイは来日を機に話題に上げたのでしょうきっと、週刊誌の連載ということも考えて。

 ちなみに、カルロス・クライバーは公演以外でもお忍びで来日しているほどの親日家だったそうで、公演の際も最終日が終わってもすぐに帰らずに日本観光を楽しんでいたそうです。

 クライバーが日本で人気があるのは頷けますね。


 さて、クライバーはなぜ演奏する機会が少ないのか、丸谷さんなりの考察として4つ挙げています。

 箇条書きにすると


1. 怠け者である

2. 努力家であり完璧主義者である

3. 飛行機嫌いである

4. 子どもっぽい性格だ


 最後は丸谷さん流のお遊びで、コンサートを熱望する丸谷さんが、どうすればクライバーをコンサートに呼ぶことができるか、世界の5人の著名な作家に策を凝らしてもらおうという話で「マエストロ!」は終わっています。 


 音楽好き人間として、このエッセイはとにかく面白くて感動しました。

 そして驚いたのは、よくそれだけの情報を調べてまとめられたものだ、ということ。

 プロのモノカキさんにそれは失礼かもしれないけれど(ほんとにそう思う)、でも、プロのモノカキのエッセイだって、僕が読んだほとんどといっていいくらいの人は、丸谷さんのこの執拗さの半分にも満たないのではないか。

 しかも、まだインターネットが発達していない時代、おそらくほんとうに図書館などで文献に当たったのでしょうけれど、仕事とはいえその熱意には感動でただただ頭が下がるのみ。

 まあ、丸谷さんだから業界の人に聞いた話もあるかもしれないけれど、それにしたって。

 

 僕は今は時々とたまにの間くらいの頻度でクラシックを聴くだけですが、9割がクラシックだった頃もあり、当時このエッセイに出会っていたらまたいろいろと違ったかもしれない、とも思いました。

 まあ、過去のことを話しても仕方がないのですが、これからはカルロス・クライバーを聴く際にはこの丸谷さんのエッセイを頭に置きながら聴いてゆきたいです。



 今回、シューベルト「未完成」とブラームス4番は久しぶりに聴きました。


 シューベルト「未完成」、第1楽章の哀愁に満ち甘美で抒情的な旋律は、交響曲の中でも特に好きなもののひとつ。

 切なくなる音楽が僕は異様に大好き、ロックでもクラシックでも。

 その上、旋律がよくて、適当に楽器の音をカタカナにあてはめて口ずさんだり、夜じゃなければ口笛で吹いてみたり、それは聴いている時でも、思い出した時でも。


 第2楽章は一転して優しさに包まれた明るい響きで、1楽章を乗り越えたからこそ得られる平穏な地、というイメージ。


 本来は「未完成」のはずだけど、この曲はもし3楽章以降があれば、これほど感動しなかったかもしれない。

 そもそも、「未完成」なものに引かれる、人間にはそういう面もあるだろうし。


 僕もよっぽどこれが好きだったようで、一度聴いて、半ば無意識にまた聴きたいと思い、今は日に何度もかけています。


 

 ブラームス交響曲第4番、第1楽章は男の哀愁を音に表したもの。

 ブラームスは確か生涯独身で、その間に恋のようなものも幾つかしたようですが、現時点で未婚の僕は、この4番の1楽章の男の哀愁を聴くと、身につまされる思いが・・・

 標題をつけるなら「男の哀愁」以外は考えられない。


 第2楽章は、穏やかなようで小さな不満や不安が少しずつ積み重なる、といった響き。

 一見すると平穏でありふれた日常を送っていても、心の中は決して穏やかではない、と捉えます。


 第3楽章はイエスのFRAGILEで、リック・ウェイクマンがCans And Brahmsとしてピアノで軽やかに演奏したロックファンにも知られた部分。

 舞踏会のイメージでしょうか。

 或いは蝶が舞い飛ぶ初夏の花畑、そう考えると今の季節にはぴったりですね。

 ただ、自らが参加しているというよりは、傍らで参加したい思いを抑えながら見つめている感じかな。

 この曲も幾つかCDを聴いてきましたが、カルロス・クライバーの演奏は音の跳ね方が確かに子供っぽいかもしれない、と、久しぶりに聴いた上に丸谷さんのエッセイを受けてそう感じました。

 というのも、この演奏はアバド指揮ウィーンフィルのをよく聴いていて、その演奏はもっと鋭さがあったように感じており、頭の中に残響しているのは主にその演奏だから、かな。


 第4楽章、ブラームスの交響曲として最後の楽章ですが、ふたたび男の哀愁を大がかりに演奏し、心が揺り動かされたまま終わる。

 「未完成」の話をしたけれど、ブラームスが交響曲を4つしか書かなかったのが僕には残念で、この4番の4楽章を聴いていると、ブラームス自体が「未完成」であるかのように感じずにはいられません。

 

 ワーグナーの2曲は初めて聴いたものですが、



 CDのブックレットには「生きている時から伝説だった」と題した解説があり、英語とドイツ語ですが、写真を交えて資料としても価値があります。


 今回、思わぬかたちでカルロス・クライバーという伝説の指揮者に心が奪われました。

 持っていないCDを幾つか買って聴いてみようと。


 さらには、クラシックのコンサートも久しく行っていないので、札幌で何かあれば行きたいと思いました。



 今回は毛色の違う記事ですが、次は元に戻ります(笑)。