◎VULNERABLE
▼ヴァルネラブル
☆Marvin Gaye
★マーヴィン・ゲイ
released in 1997
CD-0420 2013/6/27
マーヴィン・ゲイの死後に出た未発表曲集。
歌っているのはスタンダード。
弟が東京のヴァン・ヘイレンのコンサートに行ってきました。
セットリストなどは聞いていないのでこの話はそれ以上進みません・・・
東京に行くと、渋谷レコファンやディスクユニオンそしてブックオフで中古CDを探すのが我が家の恒例行事。
今回は、弟に頼んで、6点の中古CDを買ってきてもらいましたが、今は特にこれが欲しいというものがなく、あったら買っておいてくらいの感覚だったので6枚で済んだと言えるでしょう(笑)。
そのうち4点が、マーヴィン・ゲイの国内盤紙ジャケットSHM-CDのもの。
3年前から、1960年代のものは途中まで買い集めていたのですが、そのうち新品が店頭からなくなり、この際だから東京で探してもらいました。
希望した4点、すべてどこかに在庫があり、そのうちの1点がこれ。
もちろん帯付状態A以上のもの、値段は特に糸目をつけなかったけれど、同じ店に2点あったものはよりきれいなほうを買ってもらいました。
東京はさすがモノは豊富だな、と同時に、マーヴィン・ゲイについてあるひとつのことを思いました。
それがこの記事につながっています。
これ以外の3点のうち2点は何を買ったか、そこから話しましょう。
HELLO BROADWAY (1964)
A TRIBUTE TO THE GREAT NAT KING COLE (1965)
前者はブロードウェイ・ミュージカルの曲のカヴァーを中心としたもの、後者はタイトルの通りその年に亡くなったナット・キング・コールに捧げたやはりカヴァーアルバム。
当時のマーヴィン・ゲイはまだソウル歌手として人気が出始めた頃であり、スターに上り詰める前のこと、というのが今回の話の鍵となってきます。
帰宅した弟から手渡され、この3枚を続けて聴いたところ、偶然かどうか、この3枚はほぼまったく同じ傾向にあることが分かりました。
というのも、NKCが終わって暫くは、既にこのアルバムが始まっていたのに気づかないくらい、雰囲気に飲み込まれていた。
HELLO...とNKCはそういう音楽であるともちろん事前に分かっていましたが、VULNERABLEもがそうだとは知りませんでした。
音楽の話の前に、中古CDについて思ったことを。
この3枚はスタンダード集ですが、中古ですぐに見つかった(弟によれば買った店のみならず結構あったそう)というのは、ソウル歌手としてのマーヴィン・ゲイが好きな人には受け入れにくいものがあり、だから売られることが他より多かったのかな。
中古CDを見ていると、音楽を聴く人の心が透けて見えるのが面白いところです。
などと書いていますが、実は僕も、後回しにしていたのは、ソウル歌手としてのマーヴィンを強く求めていたからであるのは否定しません。
NKCは輸入盤で1000円以下で通常盤が出ているのでそれでいいとすら思っていました。
まあしかし、残りのほうが少なくなった以上は、最後まで集めきらないと後々欲しくなって探すと大変だろうから、今回は買ってきてもらったわけです。
マーヴィン・ゲイの紙ジャケットSHM-CDについてはひとまずほっとしたところですが、でも、そうなると、あのWHAT'S GOIN' ONをはじめ70年代のものも同じシリーズで出ているので、それも買い揃えないといけないかな、と新たな欲望が湧きつつあります(笑)。
さて本題。
なお、今回の話は、Wikipediaと当該CDの泉山真奈美氏のライナーノーツで読んだ話を中心に組み立てていることを予めお断りしておきます。
マーヴィン・ゲイは元々はソウル歌手「なんか」ではなく、スタンダードをじっくりと歌う歌手になりたかったというのは今では知られたところとなっています。
駆け出しの頃は試行錯誤的に上記のようなアルバムを出させてもらえたのでしょう。
1960年代前半は、マーヴィンのみならず、モータウンという会社にとっても試行錯誤の時期で、もしかして受けるかもしれないという思惑もあったことは想像できます。
しかし、幸か不幸か、マーヴィン・ゲイはソウル歌手として売れてしまった。
そんな中でもマーヴィンはずっとスタンダードへの思いを持ち続けていたそうですが、会社の意向には逆らえず(当時の奥方がモータウンの社長の妹だった)、ソウル歌手に専念、やがてスティーヴィー・ワンダーとともに自作自演のソウルで音楽史に大きな足跡を残すことになった。
そんなマーヴィンも、自分のスタジオを持つようになり、密かにスタンダードの曲を録音していた。
その中から7テイク10曲が、モータウンからリリースされたのは、マーヴィンの死後10年以上が経った頃。
遅きに失した、とまでは言わないけれど、会社の意向で押さえつけていたスタンダードへの思いが漸くリリースされたのは、モータウンのマーヴィンへの敬意ととりたいですね。
このアルバムは1979年頃に、THE BALLADSというタイトルでリリースすることをマーヴィンは考えていたもののお蔵入りしたものでした。
結局のところモータウンからスタンダード集を出すことができなかった。
既にソウルの代名詞と言えるまでになっていた当時のモータウンのイメージとは違うということだったのかもしれない。
今なら、あのモータウンが、と肯定的に捉えらえるでしょうけど。
マーヴィンはこのあとColumbiaに移籍したことは、無関係ではないのかもしれない。
Columbiaで出したMIDNIGHT LOVEは普通のソウルアルバムでしたが、その先の話があったのかもしれないし。
いずれにせよ、マーヴィンはあまりにも早くあまりにも急にこの世を去ってしまった以上、ほんとうのところは分からないのですが。
そのようなことを頭に置いてこのアルバムを聴くと、マーヴィンがほんとうにやりたかったことはこれだったのか、と思いますね。
でも、そう思うことで、ではソウル歌手としてのマーヴィン・ゲイとはいったいなんだったのか、と自問自答もしたくなる。
やりたくない、とまでは言わないけれど、本来の望みとは違うことをやっていたマーヴィンって一体・・・
How Sweet It Is (To Be Loved By You)のしなやかなマーヴィン、Stubborn Kind Of Fellowで若さをはちきらせるマーヴィン、I Heard It Through The Grapevineの力強いマーヴィン、Ain't No Mountain High Enoughをタミ・テレルと歌い上げるマーヴィン・・・
ソウルは仕事として割り切ってやっていた、とは考えたくない。
マーヴィンは何事にも熱中しやすいタイプだったようだから、少なくともやっている間は本気で、妥協することなく、歌っていたに違いない。
などと考えて、それは意味がないことだと。
マーヴィン・ゲイは、この世で最高の歌手の一人であることは間違いない。
そんな歌手だから、やはり何を歌っても素晴らしいのです。
アルバムは、奇を衒うことなく、誰もが思い浮かべるアメリカン・スタンダード王道路線。
演奏もクラシカルなもので、ソウルでもなく、もちろんロックでもない。
そのサウンドの中で歌うマーヴィンの声は、聴く者すべての心を包み込む、この世の奇跡としかいいようがない素晴らしさ。
僕も、二度目に聴いてからは、深く聴き入るようになりました。
タイトルの"vulnerable"とは「傷つきやすい」「誘惑されやすい」という意味。
自らがそのような姿をさらけ出すことで、聴き手の心の壁も崩れて、音楽の世界に入り込んでしまう。
曲はすべて僕が知らないもの。
それ故に今回は曲ごとの話には触れないけれど、このアルバムは、曲を聴く、歌を楽しむというよりは、黙ってゆったりと構えて全体のサウンドに包まれる、浸る、という聴き方をしたい。
僕も今まで、決して少ないとはいえないほどのアルバムを聴いてきましたが、これほどまでに音楽に包まれる感覚に支配されるアルバムというものは聴いたことがない。
どちらかといえば、一緒に歌いたい、ギターを弾きたい、という思いから音楽を聴くことが多かった。
そんな僕が、このような、受け身一方で包まれる音楽をいいと思うようになったのも、やはり年を取ったんだな、と。
ただし、いつもの僕は、「年を取った」という場合、自嘲気味にやや否定的な意味で書いていますが、今回は、このような音楽の良さが分かるようになってよかった、と、肯定的に捉えています。
この先、僕が、音楽に包まれたいと思うような(つらい)ことがあれば、このアルバムを選ぶことになるでしょう。