JUST AS I AM ビル・ウィザース | 自然と音楽の森

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◎JUST AS I AM

 

▼ジャスト・アズ・アイ・アム

☆Bill Withers

★ビル・ウィザース

released in 1971

CD-0426 2013/7/17


 ビル・ウィザースのデビューアルバム。

 

 ビル・ウィザースは一般的にはソウルと目されており、レコード店でもソウルの売り場に置かれていて、ロックのところにはありません。

 

 でも、実際に音楽を聴くと、一般的なイメージとしてのソウルとは少し(かなり)違う。

 むしろ、1970年代前半に盛り上がった、「狭義のシンガーソングライター」に近い味わいがあると感じます。

 このデビュー作も、有名な2曲のカヴァーを除いて彼自身がひとりで作曲しています。

 

 なお、「狭義のシンガーソングライター」とは僕がよく使う言葉ですが、いわゆる「シンガーソングライター」のブームを担った、個人的な事象をテーマに取り(もしくは)メッセージ性の強い曲を自分で作り自分で歌った人たちのことです。

 

 「広義の」シンガーソングライターといえばジョン・レノンもポール・マッカートニーも含まれるのですが、ジョンやポールを「シンガーソングライター」と言う人はあまりいないかと。

 

 1970年代に入ると、ソウルの中でも、ダニー・ハサウェイをはじめとしてメッセージ性を重視した新しい感覚のそれこそ「ニューソウル」という流れが起こりました。

 

 それはまさに、「狭義のシンガーソングライター」のソウル版といえるものでしょう。

 

 しかし、1970年代はソウル自体が大きな潮流となっていたこともあり、黒人で売れる音楽であればソウルという言葉を冠さないわけにはゆかない、といった意識が、聴き手にも送り手=レコード会社にもあったのかもしれない。

 その意識が作り手=演奏者にもあったかどうかは別として。

 

 もしビル・ウィザースがこのままの姿で1990年代に出てきたのであれば、ソウルとは言われなかったのではないか。

 

 そもそも1990年代前半はソウルが死にかけていた時代ですが、昔のソウルっぽい音の響きという意味でもなく、もっと広い、R&B、と呼ばれたことでしょう。

 

 ただ、ソウルというのは、感覚としては誰もが分かるけれど言葉で表すのは難しいとよく言われ、ピーター・バラカンさんも『魂(ソウル)のゆくえ』でそのように記しています。
 スティーヴィー・ワンダーは「心の内側から湧き上がるものがソウルだ」とも言っていました、これはORIGINAL MUSIQUARIUM I & IIのライナーノーツで読んだことですが。

 

 

 そういう観点で聴くと、ビル・ウィザースのこのアルバムは、彼の心の内がとってもよく感じられます。

 

 

 デビュー作というのは多くの人が不安になるものでしょう。

 

 まあ、ガンズ&ローゼズみたいに世界を征服する勢いの人たちは違うかもしれないけれど。

 

 ビル・ウィザースのこのアルバムは、それを差し引いても、何か不安と闘っている様子が音として刻み込まれていると感じます。

 

 歌が下手とか、声が不安定とか、そういう意味ではなく、少なくとも表に出す音は堂々と響いてきます。

 ただし、一般的なソウルっぽくないと記したように、感情を露わに熱唱するという歌い方ではなく、どこか冷静な部分に貫かれています。

 声の質も、いわゆるソウルシンガーというイメージではない軽さがありますが、でも、黒人独特の声の粘つき感はありますね。

 

 そう思って、記事を書くのにWikipediaを調べると、彼は吃音であったという記述にあたりました。

 

 表したいことはたくさんあるし、それをうまく形にすることはできるけれど、そこから先、うまく歌って伝えることができるだろうか、という不安、それが僕が感じたものかもしれない。

 

 しかし、不安を自分だけのこととして抱え込もうというのではなく、聴いた人に、不安の向こうにある確かなものへと導いてくれる包容力を感じさせる、そんな音として響いてきます。

 

 あいていにいえば、明るく優しく暖かい音楽。

 そうした人間の内面を強く感じさせるという点では、ビル・ウィザースはやはり「狭義のシンガーソングライター」らしい人といえるでしょう。

 

 でも、そうであるなら、「狭義のシンガーソングライター」とは、白人なりにソウルだったのかもしれない、と思わなくもない。

 

 音楽の形状としてはソウルではない、マナーというか、ジャンルというか、それはもちろん分かるんだけど。

 

 でも、そのことを考えるといつまで経ってもアルバムに進めないので、今回はここまで、曲を聴いてゆきましょう。

 

 

 

 1曲目Harlem

 

 

 アコースティックギターの軽やかなイントロにストリングスが被さる、まさにシンガーソングライターとソウルの中間的な曲で始まり、彼の音楽を印象付ける。

 小気味よく歩いているとついつい早足になってしまったというか、なんとかがんばって急いで歌ってしまおうといった響きで、曲の展開とその部分に出てくるストリングスを中心としたきめのフレーズが曲を盛り上げる。

 はじめも終わりも曲の途中のような雰囲気があって、すぐにアルバムに心が引き込まれます。

 

 2曲目Ain't No Sunshine

 

 ポール・マッカートニーがUNPLUGGED....AN OFFICIAL BOOTLEGでこの曲を演奏していたのを聴いて、僕はこの曲を知りました。

 最初の頃は、ビル・ウィザースという人の曲という文字情報以上のものを追求しなかったのですが、暫くの間これはもっと古い時代の曲だと思い込んでいました。

 実際、ポールはそこで、Blue Moon Of KentuckyやSunfrancisco Bay Bluesといったビートルズ以前の曲を演奏しているので、その一環というか。

 しかし、この曲は1971年のこのアルバムで初めて世に出た、つまりはビートルズより後の曲。

 でも、この曲には古臭い響きがあるのでそれは無理のないこと、と、自己弁護してみたり(笑)。

 想像で話させてもらうと、この曲が世に出た時、既になんだか懐かしい響きの曲だな、と多くの人が感じたのではないかな。

 古臭いというのはほめ言葉であり、音楽の国アメリカにおいて昔の心を持った曲を再現できたというのは、多くの人に受け入れられた部分ではなかったかと。

 ところで、ポールのそれではこの曲は、当時のバンドのメンバーだったヘイミッシュ・スチュワートが歌っています。

 ヘイミッシュは元AWB、アヴェレイジ・ホワイト・バンドのメンバーで、この曲を選んだのはポールというよりはヘイミッシュの意向ではないかと、「レコードコレクターズ」別冊の記事で読みました。

 ポールは、見下しているという意味ではなく、自分より若い世代の人の曲をカヴァーすることは基本はしない人だから、そう考えると納得できるものがあります。

 ともあれ、この曲は僕が知らなかっただけでずっと名曲として聴き継がれていたのだろうけど、僕にとっては、ポールが歌ったことで二重にも三重にも名曲として輝く、そんな曲になりました。

 彼女がいないなんて太陽がないようなものだ、と哀愁を帯びた旋律で歌うんだけど、でも、だから死ぬほど悲しいというのではなく、どこか仕方ないと諦めた部分があって、そこが救われる部分。

 "I know I know..."とつぶやくように繰り返すのが、がんばろうとしているけれどだめかもしれないという心の断片を表しているかのよう。

 構成としてはシンプルだけど、シンプルだからこそ生きる、そんな曲ですね。

 などとさんざんほめた最後にこんなことを書くのもなんですが・・・

 僕がこの曲をかけていた時に耳にした弟が、こんなことを言いました。

 「これ、与作に似てないか?」

 与作? 北島三郎の? まさか・・・

 似てるわ(笑)。

 歌い出しの"Ain't no sunshine when she's gone"が「与作は木を切る」に対応する部分ですが、そこは旋律がまったく同じといえるくらい似ています。

 与作のほうが後ですが、ただ、これ、似ているのが楽しいという一種のお遊びで、それ以上の意味はありません、念のため。

 音楽はそれこそ音で楽しみたいですからね(笑)。

 

 3曲目Grandma's Hands

 

 自分を見守りいろいろなことを教えてくれたおばあちゃんが亡くなった。

 その手を見るといろいろなことを思い出す。

 人間性あふれる曲。

 でも、感傷的にはならず、冷静に心を綴っている。

 

 4曲目Sweet Wanomi

 エレピの響きがいかにも1970年代、にやっとしてしまう。

 爽やかに吹き抜ける風のような曲だけど、こういう曲を歌うには彼の声は引きずるものが大きすぎるような気もする。

 

 5曲目Everybody's Talkin'

 有名なカヴァーの1曲目がこれ、ニルソンが歌う映画『真夜中のカーボーイ』のテーマ曲。

 街に出るという、映画と歌に共通したモチーフに自分が外に向かって何かをするために必要な勇気を重ね合わせたのでしょう。

 自信たっぷりに颯爽と、とまではいかないけれど、元気に、胸を張ろうと努力しながら街を歩くさまが想像できます。

 オリジナルと比べてカントリー色が薄く、少し下がった感じのビートになっています。

 

 6曲目Do It Good

 

 このアルバムの裏のテーマともいえるのがこれ。

 曲はこの中ではいちばん当時のソウルっぽいかな、シンコペーションを交えて引きずられながら進んでいく。

 隠し味的にラテン風味。

 2ndコーラスは語りになっていて、それはこのアルバムに臨む彼の心持を語ったものとして興味深い。

 要約するとこんな感じ。

 今までしたことがないことを進めるにあたりいろいろと戸惑いもあったけれど、ジョーンズ氏が、大丈夫だ、君がやりたいようにやりなさいと言ってくれた。

 "Mr. Jones, Booker T."と語る、そう、このアルバムは、ブッカーT・ジョーンズがプロデュースを努め、すべてのキーボードを演奏しています。

 そのことは本来は先に書くべきですが、話の流れでここで書きました。

 僕は隠れブッカーTの大ファンですが、この曲のこの語りを聴いて、ますます彼への敬意が増しました。

 このアルバムはさらに、ベースにドナルド・ダック・ダン、ドラムスにアル・ジャクソン・ジュニアと、つまりスティーヴ・クロッパー以外のブッカー・T.&・ジ・MGズのメンバーが参加しているのです。

 だから余計に僕には価値や意味が大きい1枚となりました。

 さらにはギターにスティーヴン・スティルスと、ビル・ウィザースは最初から周りの人に恵まれていた、才能を高く評価されていたことが推察されます。

 ついでというかドラムスにはジム・ケルトナーも参加、また1枚増えましたね、ほんとうちにあるCDでいちばん多くに参加している人だと思います。

 

 7曲目Hope She'll Be Happier

 テンポが遅いからといってバラードともいえない、彼女が去って行った。

 訥々と歌う中に、いやだからこそ寂しさが募ってゆく。

 はけ口として歌っているのか、飲み込んで収めるためなのか。

 

 8曲目Let It Be

 

 もう1曲のカヴァーはあまりにも有名なこれ。

 誰の曲か言わなくてもいいですよね(笑)。

 最初はなんとなく聴いていて、あれ、もしかしてLet It Beじゃないか、と気づいて慌ててCDを見直したくらい、ビートルズのオリジナルとはかなり印象が違う。

 明るいんです、これ、ポールが歌うような切迫感がまるでない。

 アレンジを分かりやすく言えば、聖歌隊のいないゴスペル独唱。

 演奏はアコースティックギターとブッカーTのオルガン、タンバリン、後半からハンドクラップ。

 ビル・ウィザースはこの曲に、それこそ神の救いを見出した。

 でも、自分はそこから前に進みたいので、自分らしいスタイルで明るく歌った。

 オリジナルとあまりにかけ離れたこのアレンジは好き嫌いが分かれそうだけど、僕は好きです、気に入りました。

 もちろん、ただ軽く歌うだけではない、人間としての重みが織り込まれているからこその軽さです。

 

 9曲目I'm Her Daddy

 

 ルーシーという娘さんと会えない状況を、努めて重たくならないように綴ってゆく。

 でもやはり、問題が問題だけにここまでにはない深刻さが感じられ、胸に迫ってきます。

 7曲目といいこれといい、いかにもシンガーソングライターといった曲。

 

 10曲目In My Heart

 

 重たい雰囲気は続く。

 フォークソングをじっくりと歌うスタイルで、音を伸ばして歌う、寂しさが増してくる。

 アコースティックギター弾き語りでリズム楽器がないのが余計に深刻な響きに聴こえてくる。

 

 11曲目Moanin' And Groanin'

 

 歌い出しで本人のコーラスというかまるで違う旋律が後ろに入ってくる、まさにうめき声のように。

 このアルバムは声を出しているのはビル・ウィザースひとりだけで、コーラスを入れてもこのように本人が重ねて入れるだけ。

 コーラスであれば頼めばブッカーTでもスティーヴンでもやってくれたのだろうけど、ひとりで歌うことで、独立してひとりで立ち向かうという姿勢が強く感じられます。

 でもそれは孤独ではない、あくまでも独立。

 

 12曲目Better Off Dead

 このアルバムは9曲目以降が重たすぎるかもしれない。

 基本的にマイナー調の沈鬱な曲が並んでいます。

 最後も、いっそのことなら死んだ方がいい、とまで歌って彼女が去ったことを嘆いています。

 最後の最後、曲が急に止まり、爆発音のSEが入ってアルバムが終わる。

 ユーモアだけでは捉えきれない虚しさを抱えたまま、聴き終わると複雑な思いに駆られます。

 

 でも、僕は先ほど、このアルバムには人間の暖かさと勇気を感じると書きました。

 

 暖かさも、優しさも、勇気も、見せかけのものではない。

 現実をしっかりと見つめ直してこそ前に進むことができる。

 歌を通して接したビル・ウィザースという人からは、そのような人間臭さを感じます。

 

 自らの人間としての新たなスタートが、音楽家としてのスタートともうまく重なっている。

 そこがこのアルバムの聴きどころでしょう。

 

 それを、有能なミュージシャンたちに囲まれてやり遂げたことの達成感のようなものがアルバムには満ちています。

 

 人間として自信を獲得していく過程がレコードの溝に刻み込まれている。

 だから、死んだ方がましなんて言われながらも、決して後ろ向きではない、勇気を感じるのです。

 

 音楽なんて明るくて楽しければそれでいい、の対極にあるのがこのアルバムと言えるでしょう。

 だから、もし聴かれるのであれば、入り口で戸惑っても、聴いてゆくときっと何かがつかめると思います。

 

 

 

 ところで、ビル・ウィザースは、ライヴ盤を合わせてもそのキャリアで9枚しかアルバムを出していません、ベスト盤や編集盤は除いて。

 その9枚を紙ジャケットで再現したボックスセット、THE COMPLETE SUSSEX AND COLUMBIA ALBUMSが出ており、わずか4000円ほどで彼の音楽のほぼすべてに触れることができます。

 ただ、かのJust The Two Of Usの彼が歌ったヴァージョンはベスト盤でしか聴けないので、それは別に買う必要がありますが。

 

 ビル・ウィザースは、近いうちにもう1枚を、もちろんそこから取り上げたいと思っています。