◎CORE
▼コア
☆Stone Temple Pilots
★ストーン・テンプル・パイロッツ
released in 1993
CD-0348 2013/1/16
ストーン・テンプル・パイロッツのデビューアルバム。
ストーン・テンプル・パイロッツ、以降STPは、僕が最も好きな90年代のロックバンド。
彼らは10年ほど前に一度解散、3年前に再結成による新作を出しました。
まあ、再結成は往々にして金稼ぎなのでしょうけど、彼らについてはそれはまったく気にしません。
だって、そこが好きなのだから。
STPは、1990年代前半のグランジのブームに乗って現れました。
当時はニルヴァーナとパール・ジャムが時代の中心にいて、似たような音を出すバンドが、雨後の筍状態でした。
その数年前はヘヴィメタルがブームでしたが、一見すると同じようにハードな音楽でも、短い間にすっかり変わったなと当時は思っていました。
90年代のグランジはロックの世界を変えてしまい、それ以降に出てきたハードなロックのバンドの多くは、ガリガリザリザリしつつうねりがあるグランジ的なギターの音を出していて、ヘヴィメタルから「転向」したバンドも見受けられたくらい。
グランジで特徴的なのは、メタルのスーパーギタリストのようなヒーローがいない、個が一歩引いていることだと思います。
だから、メタルのように(あざといまでの)ギターソロもなく、あくまでも曲の流れの中でソロが出てくるという感じ。
真性メタルマニアである弟などは、このグランジの音や姿勢がいまだに受け入れられないようですが、それだけ影響力があった、ということでしょう。
僕は、グランジは嫌いということもなく、上記の2枚やサウンドガーデンは好んで聴いていましたが、でも、そういう音だから好きで聴くということではなく、自分に合えば聴くといういつもの姿勢でした。
僕が最初にSTPを聴いたのは、MTVで流れていたPlushでしたが、それはグランジの代表曲のひとつに挙げられるくらいに、音の響きはグランジ以外の何物でもありません。
僕は最初その曲だけでは動かなかったのですが、後日、別の曲をMTVで知り気に入ってCDを買いました。
アルバムを聴いたところ、音は確かにグランジだけど、根底にあるのは70年代ハードロック愛であることをすぐに感じて、思いのほか素直に受け入れることができる自分に気づきました。
なにより歌メロがよくて、ギターの音に流されず埋もれず、しっかりと歌として主張していたことが大きかった。
グランジはファッションであり、若者の生き方や姿勢といったものを表象していて、どれだけ自然に自分らしさを音楽で表現できるか、そこに共感を得る人が多かった。
自分たちの生き様を音楽で表現すればそれ以上は要らないというある種のストイックさも感じられましたが、そういうことが素直に感じられる音、それがあのザリザリのギターの音だった、ということなのでしょう。
反面、華やかさはあまり感じない音楽でもありましたが、それからするとヘヴィメタル系の音は、グランジ世代には「贅肉たっぷりの音」と映ったことでしょう。
もちろん、華やかなほうが好きなのであれば、贅肉も美食ではあるけれど。
STPはしかし、面白いことに、グランジとして出てきたはずが、ヒットした後に、「似非グランジ」と呼ばれるようになりました。
ロックという音楽はそもそも、「人生のすべてを音楽に注ぎ込みました」という音楽ではない。
「どれだけ真面目な顔をしてバカなことを出来るか」、「どれだけ普段は言わないこっ恥ずかしいことを真面目に言えるか」といった部分が大事だと思っています。
あざとくても、作りものの部分は残していることを感じられる、それがロックという音楽。
そうではないと、聴き手側の心が入りこむ余地がなくなり、自分で聴くという楽しみがなくなってしまう。
ただしもちろん、人間性が音楽から感じられるのは好きです。
矛盾する部分はあるけれど、でも人間性が過剰ではなく、どんな匙加減で表現できるか、そこがアーティストの個性であり聴いていて楽しいところ。
STPは、音楽を通して自己表現したいという以前に、音楽をみんなで楽しくやって稼ぎたいという姿勢が感じられます。
でも、えげつないというほどではなく、音楽が大好きであることが自然とにじみ出ている感じはします。
「似非」その通りです、いいじゃないですか。
グランジのかたちだけをちゃっかり借用して、その実やっていたのは「既存のロック」だった。
つまり、「裏の裏は表」、それがSTP。
見事な逆転の発想ですが、それを圧倒的な音楽的クオリティを持って聴かせてくれた。
ここで思い出すのはキッス。
キッスは、ロックがエンターテイメントに傾き過ぎて一大産業と化した時代に、そこを逆手に取るかたちで、徹底したエンターテイメント性を追求して大成功したバンド。
STPは90年代に、それと同じことをしたわけで、だからSTPは「90年代のキッス」であり、そこが「本物のニセモノ」と僕が呼んでいる部分です。
STPをキッスに喩えたのにはわけが。
ひとつには、70年代はロック音楽が華やかなりし拡散発展期でしたが、当時やり残したことをSTPがやってみせてくれているような感じもすること。
そして、Voのスコット・ウィーランドは、ステージではキッスのポール・スタンリーのメイクをして歌うこともあるそうで。
その姿を当時のMTVの情報で見たことがありましたが、その時やっぱり彼らは「似非」なのだとはっきりと認識しました。
しかも、大胆不敵にも、「似非」であるはずの彼らのデビューアルバムのタイトルがCORE=「核」とは、かなりの自信を持っていたこともうかがわれます。
そんなSTPが支持された何よりの証拠が、90年代後半にグランジのブームが終わっても彼らは人気があまり落ちることなかった、という事実。
ただしここでひとつ。
グランジは生き様だとは言っても、僕は、ニルヴァーナを初めて聴いた時に、「予想していたよりもしっかりとしたエンターテイメントだ」と感じました。
彼らはまるで時代を背負わされたかのような存在でしたが、ほんとうはただ単に楽しいだけの音楽をやりたかたのかな、と、僕はニルヴァーナを少し曲解していたように思いました。
そんなニルヴァーナのカートが自ら命を絶ってしまったのは、聴き手と演じ手の間に齟齬が生じていたからかもしれません。
STPに戻り、Voのスコットはどうしようもないジャンキーで、何度も施設に出入りしているような人。
僕は正直そこはかばいきれないけれど、ヴォーカリストとして説得力があるし、ビデオクリップで見せる仕草や顔つきは、表情があまり変わらないようでいながら意外とチャーミングで楽しませてくれる人です。
一度解散したのは、音楽的な理由というよりは、そんなウィーランドに起因するメンバー間の問題だったようです。
Gtのディーン・ディレオとBsのロバート・ディレオは兄弟で、彼らのレベルが高い曲作りはこの2人に負うところが大きい。
ディーンは確かにギターヒーロー的派手さはないけど、曲のツボをよく押さえたギターの演奏が上手い。
兄のロバートは、目立つベースのフレーズで曲を引っ張る演奏をする人ではないけれど、グルーヴ感豊かなプレイでバンドを支えています。
ところで、弟のディーンは、2009年に出たスモーキー・ロビンソンの現時点での最新アルバムに参加していました。
ブックレットのクレジットの中にその名前を見つけた時は涙が出るほどうれしかったけれど、でも、どこでどうつながったのだろう、不思議ではあります。
そしてDsのエリック・クレッツはひょうきんな人だけど、4人とも曲が作れるのもSTPの強み。
そして4人はキャラクターがまたいいのです。
1曲目Dead & Bloated
いきなりチープなハンドマイクの声で始まり、どうしちゃったの、と思った瞬間に心を掴まれている、変拍子を用いた粘つくハードロック。
曲の展開もうまく流れていて、しかもフック満載。
彼らの特徴として、男くさいメロディとヴォーカルがありますが、それは1曲目から顕著に表れています。
それにしても90年代にハンドマイク、初めて聴いた時のことは、今思い出しても笑ってしまう。
2曲目Sex Type Thing
テンポアップして少しまっすぐに攻め立てる。
攻撃的なギターリフに意外とメロウな歌メロ。
冒頭の"I am I am"と繰り返す部分があえぎ声のようで、曲名のイメージを引きずっています。
Bメロが来るとついつい口ずさんでしまいますが、彼らの曲は基本的に口ずさみやすい曲ばかり。
3曲目Wicked Garden
MTVで2番目に見てCDを買うきっかけになった曲がこれ。
低音リフで攻めてゆくスタイルはまさに70年代ハードロック。
そんなギターにのって歌メロが幾重にも展開してゆきます。
しかも彼らの曲は、だからといって複雑なことは決してなくあくまでもポップソング、分かりやすいのが凄いところ。
この曲にはちょっとした思い出が。
僕が、神田の楽器店でレス・ポール・スペシャルを買った時にお店で試奏したうちの1曲が、このリフだったのです。
大きなアンプで大きな音を出して弾くと気分がよかった(笑)。
さらに後日、彼らの2ndアルバムの曲のビデオクリップで、ディーンが同じタイプの色違いのギターを持っていたのを見て、とてもうれしかったし、僕がSTPを好きになるのは当然だとまで思いました(笑)。
4曲目No Memory
アコースティック・ギターによるつなぎのインスト曲。
西部劇のBGMのような雰囲気。
5曲目Sin
前の曲から続いて流れてゆく、やはり粘ついた男臭い曲。
ハード一辺倒と思いきや、中間部でアコースティック・ギターを効果的に使うのは、彼らの芸の細かさも垣間見えます。
6曲目Naked Sunday
まるで八つ当たりするかのように強烈に叩き散らすドラムスに、ギターとベースも加勢してここが勝負どころとばかりに攻め込む。
そして歌い始めは、言葉ではなく「あ~ああ~あ うぉおぅうぉおぅ あ~ああ~あ いぇい」
攻めの一手にただただ圧倒される曲。
7曲目Creep
彼らの代表曲と呼べる名曲級のバラード。
あ、ちなみにですが、僕は「名曲」という言葉は誰かが決めるものではなく、時間とともにそう呼ばれるようになると考えていて、だから名曲「級」とここでは書いています。
アコースティック主体のこんなバラードを聴くに及んで、やはり彼らの血は間違いなく70年代からつながっていると確信。
♪ I'm half the man I used to beというサビの部分の流れる歌メロが美しく、その歌メロをガイドするアルペジオのギターがまた絶妙な味わい。
この曲はもはや名曲と言っていいのではないかな。
8曲目Piece Of Pie
3曲目もそうですが、3拍目を強く叩いて粘つくリズム感は彼らの独特のスタイル。
それにしても曲の展開の巧さには舌を巻くばかり。
9曲目Plush
僕が最初に聴いた彼らの曲は、ハードだけどポップな、いかにもシングル向きの曲。
彼らはギターリフも印象的な曲が多いですね。
ただ、シングルとしては目立っても、このアルバムの中に入ると、この曲がいちばんとは感じないのが彼らの奥深さだとも思います。
とはいっても、やっぱり曲作りは上手くて、歌メロが3回ほど展開しつつうまくまとまって流れています。
それにしてもこの曲はエディ・ヴェッダーに歌い方が似ているのは、わざとなのかな・・・
10曲目Wet My Bed
これまたつなぎの曲で、映画の中の語りの部分のような曲。
11曲目Crackerman
最後の前にここまでを総括するような、爆発感がある、すっきりとしたストレイトなロックンロール。
アルバムはまるでコンサートのように流れ的にもしっかりしていて、STPが超一級のエンターテイメント性を有したバンドであることがよく分かる、そんな1曲。
12曲目Where The River Goes
これを最初に聴いてまさに狂喜乱舞しました。
なぜってこれ、レッド・ツェッペリンのWhen The Levee Breaksにそっくりだから!
そっくりといっても盗作レベルでの話ではないけれど、少なくとも作曲や演奏の時にその曲を意識してその雰囲気はをいただいたであろうことは間違いない、という意味。
まさに大河のようなゆったりとした力強いテンポのスタイル。
Zepと同じくアルバムの最後の曲でもあるし、しかも、曲名が、Zepの「堤防(levee)が壊れた時に」を受けて、「河はどこへ流れてゆくのだろう」と続いているのが、ロック愛、Zep愛、70年代愛を感じてうれしくなるところ。
僕は、STPのコンサートに行かなかったことを後悔しています。
確か1994年のことで、STPはクラブチッタ川崎などで来日公演を行いました。
行きたかったけれど、クラブチッタ川崎は行ったことがなく、スタンディングだから疲れるだろうから行くのをやめました。
しかし、やっぱり、後悔しています、激しく。
もしまた来日公演があれば、ぜひ行きたい、行きます。
そんなSTPを僕は「本物のニセモノ」と呼んでいます、もちろん愛情を込めて。
音楽なんて、突き詰めて考えれば、どれだけ気持ちよく騙されてお金を取られるか、ですからね。
同じお金を取られるなら、やっぱり質がいいものに騙されたい(笑)。
そして音楽への愛情が感じられるものに。
ところで今回は最後に、これを記事にするきっかけの話を。
STPが一時解散した後、スコット・ウィーランドは、元ガンズ&ローゼズのスラッシュとダフ・マッケイガンと合流し、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーとして活動し、かなりの人気を博しました。
スコットはしかし、例の個人的な問題もあり、解雇というかたちでヴェルヴェット・リヴォルヴァーを離れ、何かのタイミングが合ってSTPに戻りました。
僕はヴェルヴェット・リヴォルヴァーももちろん好きだけど、なんであれスコットが戻ってSTPが再び活動を始めたのはうれしかった。
ところが先日、スコットがヴェルヴェット・リヴォルヴァーに戻るというニュースに接しました。
どうやらスコット側とスラッシュ側が和解したようで、それはそれでいいことだとは思います。
しかし、じゃあ、そうなったら、わが愛するSTPはどうなるの?
両方活動を続けるのかな、できるならそうしてほしい。
ファイターズの大谷選手のように、今は二刀流が流行りでもあるから(笑)。