THE SOUL OF A BELL ウィリアム・ベル | 自然と音楽の森

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洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。


自然と音楽の森-Jan15WilliamBell

◎THE SOUL OF A BELL

▼ソウル・オヴ・ア・ベル

☆William Bell

★ウィリアム・ベル

released in 1967

CD-0347 2013/1/15


 ウィリアム・ベルのこのアルバムは、例のワーナー・ミュージック・ジャパンのAtlanticR&B1000円シリーズの一環として、昨秋リリースされました。

 今回のこのシリーズは、長らく廃盤だったもの、日本や世界で初CD化されたものを多く含み、ブルーズやソウルなどR&B好きにはうれしい企画ですが、これは日本初CD化です。


 今回はアルバムの感想を先に言うと、これがとっても素晴らしい。

 しっかりと歌っていることが真っ直ぐに伝わってきて、ソウルを聴いているという気分にひたれます。


 ウィリアム・ベルはしかし、僕はずっと、制作側だけの人で、自ら歌ってアルバムを出していたことは知りませんでした。


 作曲者としては、ブッカー・T・ジョーンズと共作で、アルバート・キングが歌ったBorn Under A Bad Signを作ったことで知られています。

 アルバート・キングのそのアルバムは、たまたま5つ前に記事を上げたばかりですが、これはほんとにまったくの偶然。

 音楽を聴いていると、それまで自分の身の周りにになかった人が、ふとしたきっかけで続けて現れるという偶然がよくあります。

 それはしかし、偶然のようでいて、気がつくかどうかの違いだけ、ともとれるのですが、こうした偶然はいつも楽しくなりますね。


 ウィリアム・ベルは、これもずっと知らなくてWikipediaを見て分かったのですが、ビリー・アイドルがTo Be A Loverとして大ヒットさせた曲I Forgot To Be A Loverを作曲し自ら歌った人でもあります。

 ビリーのその曲は、僕がまだかろうじて10代の頃に大ヒットしてよく聴いていましたが、まさかそれがソウルにつながっているなんて。

 音楽を聴いていると、こういうつながりが分かるのも楽しいですね。


 ウィリアム・ベルは1960年代、スタックスの隆盛とともに歌手として作曲家として活動してきた、まさにスタックスの立役者のひとり、サザンソウルの心ともいえる人でしょう。


 そんなウィリアム・ベルがレコードを出していたことを長らく知らなかったのは、このアルバムを聴いていて思ったことがあり、そこにつながってゆくものだと考えました。


 ソウル歌手とはなんぞや。

 それは、いかに「変な声」で歌えるか。

 「変な」は言い過ぎだけど、いかに人と違う個性的な声を持っているか、だと思います。 


 ソウルというのは音楽ジャンルであってジャンルではないようなもので、歌っているのは黒人だけど作曲者は白人という場合も多く、あのキャロル・キングの曲ですらソウルとして歌われ世の中に認知されているくらい。

 ビートルズの歌だって、モータウンの歌手が歌うと立派なソウルになるのです。

 つまり、人々がソウルと感じる音楽というのは、曲によるものではないのです。


 では何がソウルかといえば、歌手の声、個性。


 ソウルとはいわば、人の声を究極の商品としてしまった音楽、といえるでしょう。

 声に個性があるのは、商売としてみれば売れるために必要なことです。

 レコード会社も、「変な声」の人を探して魅力的な商品に結び付けたかったのでしょう。

 もちろん、歌が上手いことはいうまでもないけれど、その中で差別化を図りたい。


 ウィリアム・ベルは、歌は上手い、とっても上手い。

 失礼かもしれないけれど、思っていたよりもずっと上手いと思いました。


 ただ、上手いだけでは売れない。

 ウィリアム・ベルは、好きな人は好きだけど、大ヒットした、大スターになった、というほどまでの大成功を収めたわけではないようです。


 とここで、ソウル歌手といえば思い浮かべる人を列記してゆくと。

 アレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、サム・クック、マーヴィン・ゲイ、ジェイムス・ブラウン、オーティス・レディング、スティーヴィー・ワンダー、アル・グリーン、スモーキー・ロビンソン、デヴィッド・ラフィン(テンプテーションズ)・・・

 みんな、いい意味での「変な声」を持った超個性的な歌手であることが分かります。

 「男が女を愛する時」で有名なパーシー・スレッジは、歌が上手いわけではなく不安定だとよく言われますが、それでも歴史に残る大ヒット曲を生み出したのは、やっぱり「変な声」だからでしょう。

 なお一応補足ですが、レイ・チャールズとスティーヴィー・ワンダーについては、「変」というよりは、「歌が上手い人として誰もが思い浮かべる最高の声」という意味で普遍性がある声の持ち主、だから売れた、と考えています。


 ウィリアム・ベルの声は、良くも悪くも癖がない、個性がなさすぎる。

 もちろん、技量として下手すぎる人は論外だけど、歌が上手いだけでは売れない、ということがよく分かります。


 このCDが日本ではCD化されていなかったのは、洋楽として売れるものではないから、ということなのかなと思いました。

 売れる、といのは、ほんとうに好きな人のみならず、ちょっと聴いてみたいと思う人がどれだけ多いかという意味です、念のため。


 しかも、4曲目、I've Been Loving You Too Long (To Stop Now)、オーティス・レディングの持ち歌ですが、「変な声」の歌手の中でも究極の「変な声」のオーティスを歌ってしまったものだから、いやがうえにもそのことを思わされます、


 3曲目Do Right Woman-Do Right Man、こちらも個性の塊のアレサ・フランクリンの持ち歌だけど、それに比べるとウィリアム・ベルは、良くも悪くも棘がなくてすんなりと入ってきて、流れ出てしまう感じ。


 ただし、曲はやっぱり素晴らしくて、特にブッカー・T・ジョーンズと作った曲が素晴らしい。

 1曲目Everybody Loves A Winner、朗々たるソウルバラードだけど、もっとアクが強い人なら気持ちが底なしで入ってゆけそうなスタイルの曲を、ウィリアム・ベルはさらりと歌います。

 そうか、感情表現が抑え気味なのはロックにつながる、だから聴きやすいのかもしれない。

 イントロから入るピアノの音が鐘の音を想像させ、まさにベルにつながるイメージが素晴らしい。


 7曲目Eloise(Hang On In There)はスティーヴ・クロッパーのギターがまるで歌に負けじと歌いまくるように軽快に鳴り響くポップソング。


 10曲目Never Like This Beforeはブッカーとアイザック・ヘイズそれにデヴィッド・ポーターの曲ですが、ポップスとしての軽快なソウルの典型。


 11曲目You're Such A Sweet Thangもその系統かな、サビが覚えやすく、アルバムの最後にあるといい感じで糸が引いていって終わる。


 ウィリアム・ベルひとりで書いている曲は、2曲目You Don't Miss Your Water、アメリカ人はどうして"Water"と入るとこうも抒情的な曲になるのだろう。


 8曲目Any Othe Way、割と古くさいR&Bスタイルだけど、高音で歌う部分が演奏に埋もれかけているのがなんだか暗示的。

 間奏のホーンと目立ちたがりのクロッパーのギターはスタックスの醍醐味。


 他、5曲目Nothing Takes The Place Of Youはソウルバラード、6曲目Then You Can Tell Me Goodbyeはワルツのバラード、9曲目It's Happening All Overは軽快なソウル。

 と、曲もすべていい。



 声に個性を求めないのであれば、とてもいいアルバムです。

 声にアクがないだけ、逆にいつでも聴けますね。

 アクが強い人は、ああ今はやめてぇ、と思うことが多いけれど、このアルバムにはそれはなく、いつでもどこでも楽しく聴けます。


 なんて、ほめ言葉に聞こえなかったらごめんなさい(笑)。

 

 「ベルのソウル」というタイトルも、自身の名前に引っかけて辺りに鳴り響く鐘に思いを託したようで、素敵なタイトルだと思います。


 前回までで「ブルーズ小旅行」は終りましたが、でも実は今回も、「ソウル」で前回とつながっています。

 マジック・サムが「ソウル」と名乗ったのは、やはり「変な声」、個性的な声で差別化を図るということだったのかもしれない、と、このアルバムを聴いて思いました。



 ウィリアム・ベルのこのアルバムは、ソウルが好きかどうかの試金石といえる1枚かもしれない。

 これが聴けると、「あくまでもポップスの中のソウル」を脱して、「ほんとうにソウルが好き」、そんな人になったというところでしょう。

 もっとも僕は、ソウルについては、まだまだ入り口の玄関マットで泥を落として椅子に向かおうとしている、そんなところではあるのですが(笑)。



 そうそう、このジャケットは007のぱくりでしょう。

 このCDを買ったのがちょうど、007の最新作「007スカイフォール」が公開された頃だった、そんな音楽の偶然もまた楽しかった。