◎NO JACKET REQUIRED
▼ノー・ジャケット・リクワイアード (フィル・コリンズIII)
☆Phil Collins
★フィル・コリンズ
released in 1985
CD-0332 2012/12/19
フィル・コリンズ3枚目のソロアルバムにして、グラミー賞年間最優秀アルバム賞受賞作。
一昨日、夕食後に皿洗いをしていた時、突然Sussudioが頭に浮かんで口ずさんでしまい、久しぶりにアルバムを聴いてみたくなり、そのまま記事まで流れてきました。
なんでSusudioだったかは不明、水ですすぐことからの連想かな。
「タモリ倶楽部」ではそのシーンに合った駄洒落に聴こえる洋楽をかけているので、その影響かもしれない。
そう言われてみれば、Sussudioは軽快で家事作業にはいいかもしれない(笑)。
なんて、いきなり話が逸れました。
このアルバムを聴いて今更ながらに驚くことがあります。
1980年代は、こんな音楽を子どもがよろこんで聴いていたんだな。
なんというか、落ち着いた音楽ですよね。
子どもといっても、僕は高校生だったから、ここでは中高生という意味です。
1980年代は音楽的に行き詰り煮詰まっていた、「つまらない」時代とよく言われます。
曲でしか差別化できなかったのでむしろいい曲が多い、とも言われていますが、音楽が再び「面白く」なったのはラップ・ヒップホップが台頭してきてからという印象があります、それが好きかどうかは別として。
最近「ベストヒットUSA」を見ていて感じるのは、今の流行りの音楽は、いかにも子ども向きの「面白い」音楽が多いですね。
単に自分が年を取っただけかもしれないけれど。
僕が中高生の頃は、日本では大人があまりレコードを買わない、そこがアメリカとの違いだと言われていて、確か当時、ひとり当たりでみればアメリカ人は日本人の2倍音楽にお金を使っていた、といったことをどこかで見聞きしました。
だから、特にフィル・コリンズのような音楽は、欧米では子どもばかりが聴いていたわけではないのでしょう。
でも、ポピュラー音楽は基本的には10代から20代前半の若者の売り上げが大きくて、そこに訴えかけないとこれほどの大ヒットにはならなかったとは思います。
当時はもちろんそれが当たり前だと思っていたんだけど、最近また「ベストヒットUSA」を見るようになって、不思議、という思いを持つようになりました。
フィル・コリンズはしかし、子どもから見ると十分おっさんだったけれど、キャラクターの特異性は子どもにも受ける部分ではありましたね。
当時はブリティッシュ・インヴェイジョンの時代で若くてかっこいい人がアメリカでも多くヒットしていた中、フィル・コリンズの個性は余計に際立っていました。
◇
このアルバムは、前作でスープリームスのYou Can't Hurry Loveをリヴァイヴァルヒットさせて注目され、ジェネシスのほうもポップに大幅に寄ってきて時代の人となりかけていたフィル・コリンズが、満を持してリリース、それが大ヒットし、トップスターの仲間入りを果たした、そんなアルバム。
当時はヒットチャートを追うことにもすっかり慣れ、雰囲気を何となくつかめるようになっていたので、これは最初のシングル曲を観て聴いた時に大ヒットするだろうなと予感のようなものがあり、まさにその通りになったという感がありました。
落ち着いていると書いたけど、今こうして聴くと、特にサウンド面では面白さを追求していたことは感じられて、落ち着くだけではない音楽かなと思い直しました。
当時は高校生だった僕からすれば、少し背伸びした大人の音楽、といった趣きでしょうか。
No.1ヒットが2曲を含めシングルヒット曲が多いし、その他もまあフィル・コリンズらしいポップロックのなかなかいい曲で占められていて聴きやすい。
フィルと共同プロデュースのヒュー・パジャムも80年代サウンドを象徴するプロデューサーでもあるし。
でも、やっぱり、しつこいようだけれど、当時は若い人にも受けていたというのは、今となっては不思議ですね。
当時は冷戦で緊張した世の中、落ち着きが求められていたのかもしれないですね。
ついでにいえば、僕のように1980年代に音楽を聴いて育った人が、1970年代を好きになるのは、ある意味必然ではないかと思う。
80年代は70年代の残像を見せられ聴かされていただけだから、さかのぼって聴くことにそれほど心的抵抗がなかったのかもしれない。
何より70年代のほうが音楽的に面白いし。
まあでも、僕は80年代の音楽を聴き育ったし、人間は生まれは選べないから、1980年代の音楽は今でも大好き、もちろん否定するつもりはまったくない、それは確かですけどね。
◇
1曲目Sussudio
アルバムから2枚目にシングルカットされたこの曲は、アース・ウィンド&ファイアのブラスセクションを起用していることが話題となり、高校時代から今でも親交があるさいたまのソウルマニアの友だちがアースの大ファンで、この曲を聴いて狂喜乱舞していました。
でも、歌メロにこだわる人間の僕は、歌としてすごくいい曲とは感じなくて、でも全体のサウンドが楽しいしブラスはその通り本格的だし、歌ではなく曲として楽しむものなのだろうなと思いながら、なんとなく気に入った曲にはなりました。
30年近くが経ち、突然思い出して口ずさむくらいだから、心の中にしっかりと刻み込まれたインパクトが大きな曲であるのは間違いないでしょうね。
その通り、No.1ヒットとなったことだし。
この頃は僕も家でビデオデッキを買ってMTV番組でクリップを録画して観て聴くのが日常になっていましたが、このビデオクリップは小さなクラブか何かのライヴ形式で、フィルの動きや表情が面白くてなかなかのエンターテイナーだと思ったものです
2曲目Only You Know I Know
軽いポップソングで、今聴いてもそれ以上でも以下でもないかな、印象には残りやすいけど。
3曲目Long Long Way To Go
これは2枚目までのフィルのサウンド、夜のぬとっとした空気感の曲。
今回CDを聴くまでこの曲は忘れていました・・・
4曲目I Don't Wanna Know
この曲も覚えていなかったけれど、もう80年代の塊のようなコテコテの80年代サウンドであり、いかにもフィル・コリンズらしいポップな曲。
5曲目One More Night
この曲のビデオクリップはセピア色の映像、バーの片隅でピアノ弾き語りをするフィル・コリンズ、やっぱり子どもが聴くようなものじゃないような。
欧米ではあくまでも大人を狙っていたのかな。
ただ、先も触れたけど、高校生の僕の年代には、大人への憧れの部分がくすぐられたのでしょう。
そういえば映画「カサブランカ」を初めて観たのもこの頃だった。
曲は、好きです、大好きです、当時もよく歌っていたし今でもたまに思い出して口ずさみます。
でも、敢えていえば「最高にいい歌の最低レベルの曲」、という感じがします。
とってもいい歌なんだけど、例えばシカゴの「素直になれなくて」のように、そういうのもあるんだ、というほど突き抜けていなくて、いわば、いい歌の教科書のような感じかな。
これが作れたのは、時代の空気を敏感に感じ取ったフィル・コリンズならではなのでしょう。
なんて、やっぱり歌メロは最高にいい、パーツパーツがすべていい、今聴いてつくづくそう思い直しました。
6曲目Don't Lose My Number
MTV時代の申し子のような曲。
歌としてはサビが強烈だけど歌として聴かせるというタイプではない、インパクト優先の曲。
しかしビデオクリップが面白かった。
最初にフィルが現れて、スタッフからどんなビデオクリップにしようかと言われ、西部的風、当時一世を風靡していた「ジェーン・フォンダのワークアウト」風など、次々とアイディアを出してきてフィルが試しにそれらを演じてみるけれど、結局どれも合わないなあ、ということで終わってしまう。
アイディア賞ものですね。
曲が始まる前に西部劇映画の題名と俳優の名前を次々というのも、当時は映画に興味を持ち始めた頃だったので面白かった。
ビデオの中で、「ギターソロがいいね」とスタッフに言われてフィルが「ダリル・スチューマー」と答えるんだけど、そのダリルのギターがフュージョンの影響が濃くて、それも時代を感じます。
7曲目Who Said I Would
いかにもフィル、いかにも80年代の曲。
8曲目Doesn't Anybody Stay Together Anymore
この曲は今回CDを聴いて覚えていなかった。
9曲目Inside Out
これはタイトルを歌うところだけ覚えていた。
このアルバムはいいんだけど、LPのB面に当たるこの辺りの流れが、悪くはないけど、あくまでもアルバムとしてかけておくといい以上のものではないのが、当時から不満といえば不満だった。
10曲目Take Me Home
しかし最後に素晴らしい曲が控えていた。
僕は中高生の頃はLPをカセットテープに録音して寝る前によく聴いていたけれど、いつも最後まで聴き通す前に寝てしまっていたようで、このアルバムは(も)B面はよく覚えていない。
この曲がシングルカットされてビデオクリップが流れるようになり、え、こんないい曲がアルバムに入っていたっけと確認したところ、最後にちゃんと入っていた。
この曲がシングルカットされた頃はもうアルバムを聴いていなくて、若い頃はすぐに次に移っていたから、しかしそれから暫くまたアルバムを聴くようになったくらい。
ビデオクリップは世界の大都市の街中でフィルが歌う、でも家に帰りたいというものだけど、その中に東京もあったのがうれしかった。
新宿駅東口だと思ったけど、今はもうない「さくらや」のネオンサインが大写しになっていて、後に大学で東京に出て新宿駅東口に行った時、ああここか、となにがしかの感慨に浸りました。
曲はスティングとピーター・ガブリエルがコーラスで参加しているのも当時は話題になりましたが、なんだか得した気分でした(笑)。
この曲はリズムが変わっていて、さすがはドラマーのフィルらしいところですが、パーカッションとギターの響きがどこかアフリカ音楽的なものを感じさせます。
そういえばスティングもピーターもアフリカ音楽の要素を取り入れていたので、その2人が参加しているのは納得の部分がありますね。
ところで、Wikipediaで調べて今知ったのですが、これとOne More Nightのベースはリーランド・スクラーなんですね。
フィル・コリンズのソロではいちばん好きな曲ですね。
なお、現行のCDにはもう1曲追加収録されています。
11曲目We Said Hello Goodbye
フィルのもうひとつの特徴であるバラード。
PLAYING FOR KEEPSという1986年の映画の挿入歌でオリジナルアルバムには収録されていないものですが、当時のフィルはワーカホリックと言われるくらいにいろんなところに顔を出していたことも懐かしく思い出しました。
◇
このアルバムのタイトルは、フィル・コリンズがアメリカのシカゴかどこかでホテルか何かに入ろうとしたところ、入り口で「上着がない人は入れません」(=「上着が必要です」="Jacket required")と言われたことがヒントになったという話だったかと。
僕と友だちはしかし、このLPのジャケット写真のフィル・コリンズがなんだか妙で、なぜ彼は汗をかいているんだ、やっぱり顔が変だよな(ハンサムではないという意味)などと冗談を言いながら、こんな写真のジャケットなんか要らないという自虐的ジョークなんだと話していました。
しかし、日本でいうLPやCDのジャケットは、むこうでは"Sleeve"、スリーヴと言うことは当時は知らなくて、だいぶ後になってから知りました。
つまり、その冗談はまるっきり意味がない、もしくは日本でしか通じなかったのですね。
まあいずれにせよ、1980年代を代表するアルバムの1枚には違いありません。