◎JOHNNY WINTER
▼ジョニー・ウィンター
☆Johnny Winter
★ジョニー・ウィンター
released in 1969
CD-0345 2013/1/12
ジョニー・ウィンターの大手レーベルからの最初のアルバム。
Columbiaと契約した際の契約金が巨額だったことにより、「100万ドルのギタリスト」の名で呼ばれるようになった、と、Wikipediaより。
ジョニー・ウィンター。
僕も、名前は二十歳の頃から知っていて、おそらく顔も分かっていたし、かの「ウッドストック」に出ていたことも歴史的事実としては知っていましたが、編集盤ではなくその人のCDを買って音楽を聴いたのはこれが初めて。
ブルーズですね。
僕は、ブルーズロックと呼ばれるものを想像していたのですが、さにあらず、やっていることは完全にブルーズです。
黒っぽいかどうかは問題ではなく、少なくともここではロックをやるつもりはないように感じます。
このアルバムの前年の1968年は、英国でブルーズロックが大爆発した年であり、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、クリームがそれぞれロック史に残る大名盤を発表し、リリースは1969年だけどレッド・ツェッペリンが衝撃のデビューアルバムの録音を行った年です。
1968年はいわば、ブルーズがロックのほうに行ってしまった年、ということですね。
ジョニー・ウィンターのこのアルバムが1969年に出たのは、そんな流れを、止めたいとまでは思わなかったかもしれないけれど、流れに乗らずに立ち止まってほんとうのブルーズをやりたいということだったのかな。
流れに乗ってしまうのはむしろ簡単なことだけど、このアルバムを聴くと、ブルーズに対する思いを感じ、そこが英雄的でカッコいいと感じます。
当時はまた、ポール・バターフィールドやフリートウッド・マックなど、ロックとまでは行かない本格的なブルーズをやっていたバンドもあったけどが、小さい頃からアメリカで本物のブルーズに接していた彼は、それに対しても物言いしたかったのかもしれない。
そしてもちろん、ブルーズがロックのルーツという過去のものだけになってしまうかもしれないという危機感、ブルーズへの愛情が形になったアルバム、ということでもあるのかな。
しかし一方で、白人である以上、本物のブルーズとは受け止められなかったのかもしれない。
かくなる僕も、少なくともジャンルとしてはロックの人だと認識していました。
レコード会社も、ブルーズ「ロック」が流行ってきたところで大きな契約をしたところ、出てきた音楽がただのブルーズで焦ったかもしれない。
彼はこの後だんだんとブルーズ色が薄くなりロックらしくなっていったそうですが、僕はまだ聴いておらずそれは文字情報として接しただけだから、参考までにということで、それももしかしてレコード会社の方針だったのかもしれない。
もちろん、本人の意志で、本物のブルーズを最初に派手に世に出したところで、ロックのほうに舵を切ったのかもしれないし。
しかしこれについては、今の人がこれをやれば、白人でも関係なくブルーズはブルーズと呼ばれるだろうと、ジョー・ボナマッサを聴いた僕は思います。
もちろんその間もずっと白人のブルーズはあったに違いないけれど、ある意味、ジョニー・ウィンターは時代を超先駆けていたといえるのかもしれない。
というか、ただ本質的なことをやっただけで、それを評価するのは時代だった、ということなのでしょうけど。
ともあれ、ジョニー・ウィンターのこのアルバムはブルーズです。
ジョニー・ウィンターはエリック・クラプトンにも影響を与えたそうだけど、確かに、エリックよりはもっとうんと本物のブルーズっぽいところがありますね。
昨日のエリック・クラプトンのSLOWHANDの記事で僕は、70年代当時のエリックはブルーズで何をやろうとしていたのか分からない、ロックを背負っているのだからただ好きというだけでブルーズをやるわけにもゆかない立場だった、と書きました。
ジョニー・ウィンターを聴いて、もうひとつ、実はエリックは単純にブルーズらしいブルーズができなかったのかもしれない、と思いました。
エリックはコンプレックスの人だから、影響を受けたというよりは、羨望のまなざしだったのかもしれない。
魂を売った俺にはできないのに、あいつはなんで普通にブルーズができるんだって。
それは英国と米国という地理的及び生活環境の違い、センスの違いかもしれない。
ただ、本物のブルーズが、少なくとも若い頃にはできなかったことが、結果としてロックミュージシャンとしてのエリックのセンスが発揮され質が高まった、といえるでしょう。
本人にとっては皮肉ともいえるけれど、エリックは結局、どこをどうとってもロックの人ということなのでしょう。
そんなエリックも今はもうそこを抜け出したし、ロック自体がもっと間口が広くなった感はありますね。
なんて、ジョニーごめんなさい、まるでだしに使うように結局はエリックのことを話してしまいました。
エリックを僕は、大好きとは言えないと書きましたが、一方で人間的な部分はやっぱりロックミュージシャンの中でも極めて興味が高くて引かれる人ではありますね。
結局のところ、人の気を引きやすい人なのでしょう。
ジョニー・ウィンターに戻って、このアルバムの音のハードさ、特にギターの音の鋭さはやっぱりロックかな、ハードロックとすらいえるかもしれない。
1曲目I'm Yours And I'm Hearsは、ベースによる思わせぶりなイントロからスライドギターが派手にさく裂、その派手さはやっぱりロックです。
一方でブルーズらしさはエリックもジミー・ペイジもまるで歯が立たない。
この曲はローリング・ストーンズが、あのハイドパークのコンサートで演奏し、DVDではI'm Yours She's Mineと変えられている、ということだけど、そのDVDはまだ観ていないので分からなかった。
まあ、観ていても曲の覚えが悪い僕だから分からないのは一緒だろうけど、そんなことはどうでもよくて、ストーンズがカヴァーするくらいに注目されていた人だったのですね。
2曲目Be Careful With A Fool、この曲のギターがすごいですね。
とにかく音が速くて、速さを競っているかのように速くて、しかもそれが饒舌、無機質とは正反対の、ギターに性格があるのではないかというくらいに人間味あふれる演奏に圧倒されます。
ライヴで聴くと倒れるかもしれない。
3曲目Dallasは自作曲。
デルタブルーズ風なのかな、そうだと思う、アコースティックギターによる演奏のブルーズ。
なお、僕が買って聴いているリイシュー盤には、バンド形態で演奏された別テイクが収録されていますが、これが、ちょっとの違いがだいぶ違って聴こえる。
ブルーズってそういう音楽なのだろうな、と思う。
などなど、自作3曲にカヴァー6曲がこのアルバムですが、僕が知っていたのは1曲だけ。
6曲目Good Morning Little School Girl、これはロックによるカヴァーも多いだけに分かりやすい。
そうそう、言い忘れていたけれど、歌い方は正統的なブルーズマンという感じではなく、金切声系で、そこはロック的な解釈ができる部分かと思います。
ロックしか聴いていなかった頃には気に留めていなかったジョニー・ウィンターですが、ブルーズも聴くようになった今の僕にとっては、ロックの真ん中辺りの音を聴かせてくれる人という感じ。
こんなに素晴らしい人を聴いたことがなかったのは、僕もまだまだもっともっともひとつおまけにまだまだだなと。
ただ、この後のもっとロックっぽいというのは、聴いてみたいけれど、恐くもありますね・・・
いや、でも、聴いてみます、今年中には。
最後にまったくどうでもいいことだけど、僕は彼のことをずっと、ジョニー・ウィンタースだと思っていました。
昔、日本ハムがまだ東京だった頃にいた外国人選手もウィンタースだし、映画「ポセイドン・アドベンチャー」で印象的な演技を残した名脇役女優もシェリー・ウィンタースだし。
困ったことに、CDを買って聴くようになっても、まだまだウィンター「ス」と言ってしまう、ほんとうに。
言わないまでも、「ス」がないと、なんだか俳句の字足らずみたいな妙な感覚になってしまいます(笑)。