INNERVISIONS スティーヴィー・ワンダー | 自然と音楽の森

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自然と音楽の森-Sept03StevieWonderI


◎INNERVISIONS

▼インナーヴィジョンズ

☆Stevie Wonder

★スティーヴィー・ワンダー

released in 1972

CD-0279 2012/9/3


 スティーヴィー・ワンダーの、名盤という言葉すら陳腐に感じるほどのアルバム。


 6つ前のTALKING BOOKの記事で、あるアーティストのAとBというアルバムのどちらが好きか、どちらがいいと思うか、という話をしました。

 そこでこのアルバムと比較した以上、早いうちに上げておかないと、ということで今日はこれ。


 TALKING BOOKが15枚目のアルバムだから、これは16枚目ですね。



 僕はビートルズから聴き始め、本を読みつつ研究するかのように音楽を聴き進めたせいで、10代の頃から、アルバムとしてどれだけしっかりと作られているかを主眼に聴き続けてきました。

 いわゆる「アルバム至上主義」です。


 いい曲、すごい曲、名曲中の名曲が入っていても、アルバムとして通して聴いて良くないものはあまり好きではない。
 若くてとんがったロック野郎だった頃はそうでした。
 今はもう年をとり、幾らかでも心も丸くなり、音楽の聴き方も変わったので、それだけが観点ではありません。
 しかし、今でもそういう視点を失って聴いているわけでもなく、出来が素晴らしいアルバムに出会うと、やっぱり感動します。

 僕は、ソウル系については10代の頃から興味があって一応聴いてきましたが、ソウル系はたいていすぐに飽きてしまい、40歳になるまでは、まるで「ソウルの壁」とでもいえるものに何度も跳ね返され続けてきました。
 若い頃は、どうしてソウル系はすぐに飽きるのか、漠然と、こう思っていました。


 「ソウル系は曲がよくて楽しければそれでいい、それ以上は望まないという姿勢で作っている」


 アルバムとしての出来や流れは突き詰めて考えず、あくまでも感覚に任せ、楽しく聴き通せればそれで十分ということ。 

 僕がソウルを傾聴するようになってから、高校時代からの友だちであるさいたまのソウルマニアのMと会って音楽談義をした際に、Mは、僕の積年の思いを、異口同音にそう言いました。
 それを聞いた僕は、「そうかやっぱり」と、膝を打つ前に友だちに言いました。


 一方このアルバムは、ロックのようにしっかりと作ることを目指した1枚であることをレコード評の本などで読んでいて、CDの時代になって割とすぐに買って聴きました。
 実際に買って聴くと、期待通り、或いは期待以上に、曲はもちろんだけど流れが素晴らしいアルバムだと実感しました。


 アルバムとして良いと感じる条件を挙げてみます。
「コンセプトもしくは主眼がぶれていないこと」

「アルバムの流れ」
「曲の配置」「曲のばらつきの(少)なさ」
「聴き終って残るものの大きさ」

「メッセージ性の有無」

 などなどいろいろありますが、意外と重要な要素がもうひとつ。

「緊張感が漂っている」

 

 それは「集中力」「創作意欲の高さ」といえるかもしれないし、バンドの場合は「メンバー間の関係性」も反映されるでしょう。
 もちろん、そうではない名作傑作アルバムも多数あるけれど、僕が今ぱっと思い浮かべた「名盤」と呼ばれるアルバムは、「緊張感」がないものはほとんどありません。


 ただし、緊張ばかりしていても聴いていて疲れるだけ。

「ユーモアや楽しさと緊張感との兼ね合いが絶妙なアルバム」
 ひとことでまとめれば、これが、僕が考えるところの「名盤」、聴いていて本当に素晴らしいと感じるアルバムの条件です。


 このアルバムにある「緊張感」は、僕がそれまで抱いていた、ソウルという音楽へのイメージとはまったく違うものでした。
 もう説明は不要でしょうけどでも話の流れだからまた書く。

 モータウンの看板歌手であったスティーヴィー・ワンダーが、二十歳を過ぎて自分のお金を自由に使えるようになり、当時最先端だったシンセサイザーを買ってスタジオにこもり、驚異的なアルバム「作品群」を作り上げた。

 マーヴィン・ゲイとともに、自作自演が基本的には認められていなかったモータウンにおいて「自作自演革命」を起こした画期的なアルバム群の1枚。
 このアルバムはだからこそ、ロック人間がすんなりと入っていけたのだと思います。

 まあしかし、そんな小難しいことを振りかざさなくても、このアルバムがとにかく素晴らしいことは、聴けば誰もが感じるはず。
 僕は物事について考えることが好きなので、大仰に書いているだけ(笑)。



 1曲目Too High

 歌よりはサウンド志向の曲でアルバムがスタート。
 「とぅるっとぅとぅとぅ~るる」という女性コーラスからして、緊張感、緊迫感がいきなりいっきに襲ってくる感じがします。
 この曲を最初に聴いて、昔あった「ウィークエンダー」というテレビ番組、「新聞によりますと」という、あの番組を思い出しました。
 その番組はテーマ曲なども70年代ソウルの世界だったし、この曲は時代の音なのだなと思います。
 でも、永遠に残る時代の音ではあります。
 スキップしながら動くベースがすごいですが、これは、moogにより演奏されているもののようで、つまりキーボード。
 ところで、この曲の歌いだしはこうです。

♪ I'm too high but I ain't touch the sky

 ジョン・レノンのNobody Told Meにもこんな歌詞があります。

♪ Everybody's flying, but never touch the sky

 空ってやっぱり、触れないものなのでしょうね。

 

 2曲目Visions

 ジャズが特別なものではなく身近にあるものだということを感じさせる音作りのスローな曲。
 「心で見ること」の大切さを語る、アルバムのタイトル曲ともいえる曲。


 3曲目Living For The City

 この曲は、タイトルがなくても、イントロの音を聞けば何かが路地裏でうごめき眠らない「街」をイメージできます。
 そこが「内なる世界」、視覚を聴覚に訴えるこのアルバムらしさ。
 曲は珍しく単純なブルーズ形式で、単調になりそうなところを、間奏の部分で3拍子になるアイディアが効果的。
 その間奏のキーボードはまさに「歌うキーボード」の真骨頂。
 最後はオペラティックな歌い方でコミカルに盛り上げて終わるのも雑然とした都会の華やかさ、はかなさをうまく音で表しています。
 「いい曲」かと言われると必ずしもそうではないとは思うけどシングル向きのインパクトがある曲。

 イアン・ギランがカヴァーしていたのを弟に聴かされて、面白かった(笑)。

 ところで、この曲名"live for the city"というのが、昔からなんとなくニュアンスがつかみにくい、つかんでいた自信がありませんでした。

 「都会のためになっている」というのはつまり、田舎から都会に出た人間がなんとか都会に入り込み都会の一部となって生きていくことできている、という感じかなと思っていました。

 ところが、少し前に読んだ本、ここでも報告した、ピーター・バラカンの「ロックの英詞を読む」でこの曲が取り上げられていて、積年の謎が解けました。

 バラカンさんの解釈では「なんとか都会でやってゆけている」というニュアンスではないかということで、当たらずとも遠からず、なるほど、納得し、ほっとしました。


 4曲目Golden Lady

 ちょっと湿った夏の風という雰囲気。
 軽くてポップな曲調だけど、歌声がどこか重くて湿っている。
 スティーヴィー・ワンダーの歌詞は、時々、彼が目が不自由なことを忘れてしまうものですね。

 ♪ Golden lady, golden lady, I'd like to go there

 というサビの部分の「go there」が「golden」に聞こえるのが面白いのですが、これは母音が違うし厳密にいえば「韻」を踏んでいることにならない、それこそ洒落みたいなものなのかもしれない。

 その部分はとにかく印象的で、聴いてすぐに口ずさんでいました。
 この曲は誰かがカバーして大ヒットしそうなポップな曲ですね。
 フォーク調の曲で、それも彼のルーツ音楽のひとつなのかな。

 なお僕は、この曲を聴くと連鎖反応で、やはりフォーク調の曲、アメリカのSister Golden Hairが頭に浮かんできます。


 5曲目Higher Ground

 この曲は僕が中学時代に初めて買ったベスト盤で聴いたのですが、当時は、ああ、ベスト盤に入るんだからヒットした有名な曲なのだろうな、以上の存在ではありませんでした、正直言えば。
 それをがらりと変えたのは、08年12月のシェリル・クロウ。

 彼女が、コンサートでこの曲を演奏し歌っていたのを聴いて、「ええっ、これってこんなにいい曲だったか!!!!!」と「!」が幾つもつくくらい一瞬にして大好きになりました。
 音楽の感じ方は面白いというか、現金なものですね(笑)。
 レゲエとソウルが最高の形で融合した迫力ある曲。
 メッセージもまた強烈で説得力があって、特に、それまでずっと誰それが何をし続けると歌ってきたところで急に、"Sleepers, just stop sleeping"と、まるで怒るように歌うところがぞくぞくっときます。

 レッド・ホット・チリ・ペッパーズもカバーしていてMTVでよく流れていました。
 僕は、このアルバムがスティーヴィー・ワンダーで最も好きですが、でも、超名曲が数多あるスティーヴィー・ワンダーにおいて、このアルバムには「超」名曲クラスの曲がないのが唯一の泣き所だと思っていました。
 しかしそれも、この曲への思いが変わったことにより「解消」されました。
 シェリルのおかげです(笑)。

 ほんとうに今はTop5に入るくらい好きなスティーヴィー・ワンダーの曲になりました。


 6曲目Jesus Children Of America

 スティーヴィー・ワンダーらしい曲というと僕はこうした、少し暗くてぴんと張り詰めた歌、ベースがよく響くもこもこした感じのサウンド中心の曲、そんな曲のスタイルを思い浮かべます。
 前半は細い声で囁くように歌う表現力は、歌手としての成長の跡もうかがわせてくれます。
 ゴスペル風のコーラスには聴く方も緊張感が増してきます。


 7曲目All In Love Is Fair

 メランコリックで繊細なピアノの旋律が心に刺さり込んできて、届かぬ思いを切々と歌い込むこの曲は、悲しみを誘います。
 そう書くと、叶わない状況のラブソングと捉えることができます。
 しかし、そこでふと思いました。
 この曲のタイトルは、次の諺からとられています。

 All is fair in love and war 「恋愛と戦争にルールはない」
 でも、この曲からは"war"は省かれています。
 直接的に歌の内容には関係ないからと言われればそれまでだけど、でも、この曲が生まれたのは、まさにベトナム戦争の時代。
 Warは要らない、Warなんてフェアではない。
 この曲は、ラブソングに名を借りた反戦歌なのかもしれません。


 8曲目Don't You Worry 'Bout A Thing

 ファンキーなピアノの音で始まり、猿の叫びのような声に続き、スペイン語で激しく口論しまくしたてるようなイントロに、この曲はどうなってしまうんだろうと思ってしまう。
 そのスペイン語の会話が関西弁っぽく聞こえるなと昔から思っていたのですが、0:14辺りが、「どないやねんそれ」として実際に「空耳アワー」で取り上げられていました。

 関西弁とスペイン語は響きが似ているのかな・・・!?・・・
 曲は、90年代にMTVをよく観ていた頃に、誰かは忘れたのですが誰かがカバーしてよくかかっていました。

 ラテンの強い響きで、曲調はからっと明るくはないんだけど、なんだか聴いていると妙に元気はつらつにさせられる曲。
 曲にメリハリがあって何より歌メロがいい、まさに「スティーヴィー節」全開。

 この曲はピアノのイントロの音ももついついハミングしてしまう(笑)。


 9曲目He's Misstra Know-It-All

 アルバム最後のミドルテンポの明るい曲は、それまでの喧騒や不安をすべて吹き飛ばすような、爽やかな初秋の風のような一編。

 Tr4も風のようなと表現していて、確かに僕は語彙力ないですが(笑)、でも、どちらもその面の最後に置かれたこの2曲を聴き比べると、こちらにはより爽やかさがあることが感じ取れます。

 タイトルのごとく達観したようなすがすがしい響き。

 スティーヴィーの心根のきれいさ、優しさが素直に現れていて、 この優しさは逆に暴力的でもあるくらい、感動的な曲。

 それが最後にあるからこそ、このアルバムは素晴らしい。

  


 このアルバムは、言ってしまえば、「次元」が違います。


 世の中には名作傑作アルバム数多あれど、これは存在自体の次元が違う1枚だと、最初に聴いた時にそう感じ、今でもそう思っています。


 そういうアルバムはたいてい、時代と個性が高次元で融合した結果として生まれます。

 時代が味方をしてくれる。

 たとえどんな天才でも、ひとりの力では決して成し得ない。

 そういうアルバムは、時代を超えて残ってゆきます。


 こんな言い方もなんですが、僕がここで今まで紹介してきた200枚以上のアルバムの中でも、このアルバムは、名盤としての「格」がいちばんだと思います。



 今回、記事にするにあたり、久し振りに何度も聴きましたが、このアルバムは、あっという間に終わってしまいますね。
 45分近くあるので、特に短いということはないのですが、それだけ、聴いていて充実感があるのでしょうね。