◎REVEAL
▼リヴィール
☆R.E.M.
★R.E.M.
released in 2001
CD-0254 2012/6/29
R.E.M.-04
R.E.M.の12枚目のオリジナルスタジオアルバム。
洋楽は基本的には季節感がないものだと、僕は思っています。
ただしクリスマスソングは別、でもそれはここでは言及しません。
もちろんというか、ビートルズのHere Comes The Sun(晩冬から早春)、エディ・コクランのSummertime Blues(夏)、レッド・ツェッペリンのRamble On(秋)、サイモン&ガーファンクルのHazy Shade Of Winter(一応冬)と、季節を感じさせる曲が、枚挙にいとまのないほどあるにはあります。
でも、日本の流行歌のように、季節ごとにその季節を歌った曲が毎年複数出てくるようなことはないといっていいと思います。
このことで日本人は季節の移ろいに敏感、と言い切るのは短絡的すぎるかもしれないけど、でも、考ていくと、やっぱりそこにたどり着くのは確かだと思います。
でもそこで話が終わるのはつまらない、もう少し考える。
ひとつは、特にアメリカの場合、国土が広くて季節感を出しても共感を得にくいのかもしれない。
ビーチ・ボーイズは夏というイメージだけど、それは季節を意識したというよりも、常夏の土地柄を自然と表しているだけではないか。
彼らが国民的な人気を博したのは、人々の楽しい生活への憧れを夏という分かりやすいかたちに凝縮して表現したからではないかと考えます。
もうひとつ、これは実利的というか、今のアーティストは2年に1枚くらいアルバムを出し(それでも早い方)、1枚を長く売るという商法が定着しているため、季節感があると売れているうちに実際の季節とは合わなくなってしまうこともあるかもしれない。
そしてもうひとつ、日本人の季節感とは逆に、西洋の人は季節に囚われないものの見方をすることが身についている、ということかもしれない。
だから、聴く人それぞれがその曲に自分の季節感を反映させやすいともいえるかと。
自分の曲やアーティストへの思いだったり、その曲をよく聴いていた季節だったり、そのアーティストのコンサートに行った時期だったり。
ロックの歌詞は聴く人がどう解釈してもいいから、もちろんそれで構わない。
他の人の話を聞いてその意外な結びつきに納得するのもまた楽しいことでしょう。
それに、上記の季節感がある曲というのも、あくまでも歌詞からそう言っているだけで、この曲のこの音づかいが夏っぽいとか、冬らしいとか、僕は秋を感じるな、などということはもちろんあると思います。
ところが、今日取り上げたR.E.M.のREVEALには、明確に夏のイメージがあります。
夏といっても盛夏ではなく、日本でいえばお盆過ぎ、「残暑お見舞い」を出す、まだ8月のうちの頃という感じ。
晩夏、ですね。
実際にこのアルバムには、Summer Tunrs To HigとBeachballという夏を想起させる曲名の2曲が入っているけれど、それは、アルバム全体の音で作り上げたイメージを、漠然とではなくはっきりと聴き手に意識させるために言葉で固定させるということでしょう。
1曲目The Lifting、2曲目I've Been High、このアルバムのどこが晩夏らしいかというと、なんとなく乾いたエレクトリックギターの音色、薄いけどなにかひきずるようなキーボードの音色、マイケル・スタイプの少し疲れた声、そしてそれらの音が醸し出す音空間の「すき間」、でしょう。
この2曲は組になっていてどちらも「高み」を歌っていますが、それらの音空間の雰囲気は、盛夏に乗り遅れてしまったという感があります。
3曲目All The Way To Reno (You're Gonna Be A Star)、この曲は歌詞は特に季節を意識させるものではないけれど、サウンドは最初の2曲のさらに延長で雰囲気はそのまま引きずっています。
R.E.M.はビッグになっても謙虚な態度で業界の人にも一目置かれていたそうですが、この曲は、夢を諦めないでという彼らのメッセージが優しさとして伝わってきて、すごく感動はしないけどじわっとしみてくる佳曲。
ピーター・バックのよく動くギターフレーズも印象的。
ああでも僕はこの曲、"Star"という単語に引っ張られて、ペルセウス座流星群が見られるお盆の頃をイメージするかな。
4曲目She Just Wants To Be、R.E.M.はこの湿り気が特徴だったんだっていまにしてより強く思う。
ある意味、恐いんですよね、彼らのこの路線、マイケルのすごみを効かせようとした歌い方は。
5曲目Disappear、さらにいえば自己嫌悪、自己憐憫もR.E.M.の特徴。
ディラン風のワルツのフォークソング、アコースティックギターの音色が怨念がましく、結局夏の間に何もできなかったことへの恨み節のよう。
6曲目Saturn Return、自己憐憫はまだ終わらない、このしつこさもまた彼ら。
演奏が止まってマイケルの独唱になる最後は、気持ちを振り絞るという言葉がまさにぴったり。
7曲目Beat A Drum、ゆったりとした曲で演奏も歌も緩くて、音の間から思い出がぽろぽろとこぼれ落ちていくような。
8曲目Imitation Of Life、シングルカットされた曲でその通り押しの強さはこの中ではいちばんのポップソング。
ハリウッドのセレブな暮らしはまがいものだというメッセージ、ポップな中にずしんと重たいものが。
薄いアコースティックギターにエレクトリックギターのアルペジオという彼らの典型的なサウンドの曲。
おそらくベースのマイク・ミルズが中心となって作ったと思う、彼の色がよく出ている曲でもあります。
9曲目Summer Tunrs To High、そうなんですハイなんです。
でもいわゆる「ハイ」ではなく、やるせなさをぐっと押さえてきたところでその先が見えて気持ちがふっと軽くなった、そんな感じかな。
達観、というか、それもR.E.M.の世界のひとつでしょうね。
寂しいんだけど、ここでは自己憐憫には陥らない、すれすれの気持ちを表しています。
10曲目Chorus And The Ring、夏休みの林間学校で子どもたちにコーラスを教えるような、優しさに満ちた曲。
歌メロがとにかく分かりやすくて、最初に聴いた時に僕は、彼らもこんな芸があったんだって思いました。
一度しか出てこない中間部では、ふわっと気持ちが浮いたようなパッセージにはっとさせられます。
7曲目と対になっているような曲想で、このアルバムは意図的に似たような曲を幾つか入れている印象があります。
11曲目I'll Take The Rain、R.E.M.の中でもとりわけ抒情的で感傷的かつ感動的な曲。
"Rain came down, rain came down, rain came down on me"
という歌い出し、もう何も言うことが浮かなくただ「雨が降った」と3回繰り返すしかない男の心境といったら。
そこではたと気づいた。
そういえばマイケル・スタイプは俳句が好きで自分でもひねっていたのだとか。
そうか。
このアルバムには明確な季節感があるのは、俳句という異文化から学んだ心の在り方を音楽に反映させてみようと試みたのかもしれない。
そのためには「季語」が必要、だからSummer Tunrs To Highという曲を入れたのか。
アルバムを聴く時って、曲名をさらっと読みながら内容を想像することもありますよね。
マイケルはきっとその効果も狙ったのだと思う。
俳句的な洋楽ですね。
12曲目Beachball、そろそろ9月、物置を片付けようとふと戸を開けると、空気が入ったまましぼみかけたビーチボールがそこに。
今年の夏もだめだったなあ。
秋に向けて気持ちを切り替えるか、そうだ、ビーチボールの空気は抜いてしまっておこう。
前の曲であまりにも真面目にやり過ぎた「照れ隠し」と僕はよく言うのですが、それこそ空気が抜けた感じのどことなくユーモラスでちょっと寂しげな曲でアルバムは終わります。
ロックは聴く人がそれぞれ解釈すればそれでいい。
だから聴く人によってはこれは1月下旬でも6月上旬でも10月中旬でも構わないと思います。
僕もここではあくまでも僕が感じたことを文章で表しているだけですが、でも、人それぞれが解釈すればそれでいいと言ってしまうと、記事にならないですからね(笑)。
これは、鳥好きの僕にはとってもうれしいアルバムでもあります。
ジャケットの左下に影で写っているのは、頭がスキンヘッドっぽいのできっとマイケル・スタイプ。
マイケルは顔に何かを当てているのが分かります。
ジャケット写真は農園と思われる風景ですが、上から2/5ほどのところ、列状に並んだ鳥のようなものが見えます。
拡大して見るとこれは、標準和名「シジュウカラガン」、英語でCanada Goose、ガンの仲間であることが分かりました。
シジュウカラガンは、映画「グース」で飛行機と一緒に飛んだ鳥で、日本では今は少ない数が秋に北から渡ってくるのみですが、江戸時代には東京にもたくさん渡ってきていたのだとか。
ただし最近は観察例が増えているそうで、僕もいつかは見てみたい鳥。
マイケルは、双眼鏡を顔にあててシジュウカラガンを見ている。
つまり、バードウォッチングをしているというわけ。
バードウォッチングをするロックミュージシャンか。
僕がどれだけR.E.M.が好きか、分かっていただけたかと。
ところで。
僕がこのBLOGを始めてまだ2年目ですが、毎年、この日は、ビートルズとそのメンバーか、R.E.M.か、シェリル・クロウを上げてゆくことになると思います。