TURNSTILES ビリー・ジョエル | 自然と音楽の森

自然と音楽の森

洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。


自然と音楽の森-June04BillyJoel4th


◎TURNSTILES

▼ニューヨーク物語

☆Billy Joel

★ビリー・ジョエル

released in 1976

CD-0245 2012/6/5

Billy Joel-03


 ビリー・ジョエル4枚目のアルバム。

 

 音楽は、良いから売れるとは限らないし、売れないからといって良くないとも限らない。

 もちろん今の僕はそれは分かっているつもりだし、誰もがそう感じているものでしょうけど、10代の頃はヒットチャートを中心に聴いていた僕は、二十歳の頃にこのアルバムを聴いて、それが分かってきました。

   

 このアルバムはビルボード最高位122位、ビリーで唯一Top100にも入らない、いわば売れなかったアルバム。


 しかしながらこのアルバム、まったくもって素晴らしい。


 音楽の良し悪しと売れる売れないは本来直接の関係がないことは分かっていますが、一方で、良いのに売れないというのは、音楽を聴くだけでは分からないこともよくあります。

 これはその典型のような気がする。

 売れるかどうかは、レコード会社の販促活動、時代の雰囲気・空気、アーティスト本人の音楽を作るのとは違う社会への姿勢など、いろいろな要素が重なっての上のことなのでしょう。


 僕は、ビリー・ジョエルは一応NYLON CURTAIN以降がリアルタイムですが、当時既にTHE STRANGERは伝説になっていて、ビー・ジーズの記事で触れたようにビリー・ジョエルの名前とどんな曲かは小学生の頃から知っていました。


 リアルタイムだったけど、最初に買ったのは52nd STREET、すぐ次にTHE STRANGER、またすぐにGLASS HOUSESと過去のアルバムを買ってからAN INNOCENT MANが出ることになり、そこで漸く新譜を買うようになりました。

 その後さらにNYLON CURTAINとSONGS IN THEATTICを買い、2枚組ベスト盤はお小遣いがなくて新曲のドーナツ盤だけを買い、THE BRIDGEがLPで新譜を買った最後でしたが、ちょうど時代の狭間で、このアルバムより前のものはCDが出てから初めて買って聴きました。

 なお余談、CDが出た際にLPで買ったアルバムもすぐにCDで買い直していて、ビリー・ジョエルはLPとCDを両方持っている最初のアーティストになりました。


 このアルバムはもう二十歳を過ぎてからCDで初めて聴いたわけですが、かのTHE STRANGERのプロトタイプというか、その音楽世界がほぼ出来上がっていると感じました。


 当時2nd、3rdを聴いた僕は、フォークっぽさが意外と濃いんだと思ったものですが、ここではそれも薄れ、都会的な鋭い響きになっていて、一般的なイメージとしての「多国籍かつ無国籍な音楽」というビリー・ジョエルの姿を見ることができます。 

 それはまさにニューヨークの音。

 だから逆にAN INNOCENT MANでアメリカっぽさが出て、以降微妙にアメリカーナ的な要素が増えたのもまたまた意外に感じたものですが、それはまたの機会に。


 曲だってほんとにいい曲ばかりで、THE STRANGERの曲と2枚一緒くたにして並べ直したところで、違和感がないアルバムになるんじゃないかな、というくらい。


 まあそれは大げさですが、売れるか売れないかの大きな違いの一つは、シングルに向く曲があるかどうか、ラジオで不特定多数の人の心の中に入り込んで鷲掴みにする曲があるかどうか、ということなのでしょうね。 

 THE STRANGERにはそれがあり、こちらにはそれがない。


 ビリーは、人が良すぎるんじゃないのかな。

 このアルバムは、聴きたい人が聴いてゆけば心の奥底に届く曲ばかりだけど、そうではない人は別に聴かなくてもいいです、といった控えめなところを感じます。


 でもビリーも、こんな素晴らしいアルバムを作ったところで売れなかったことで考え直し、やはりこの業界でやっていくには強引にでも人の心をつかむ曲がないとだめだと分かったのかもしれない。

 聴きたくない人も聴かせてしまうような曲を。


 すぐ次のアルバムのTHE STRANGERでそれができたのは、努力の賜物なのか、才能なのか、持って生まれた星なのか、時代によるものか、分からないけど、でも結果としてそんな曲をものにすることができ、ビリーは一躍スターダムにのし上がり、今でも僕たちが普通に音楽を聴ける人になった、というところでしょうか。


 1曲目Say Goodbye To Hollywood、この曲は後に「アティック」からライヴヴァージョンがシングルカットされて中ヒットを記録しましたが、ということはビリーには売れる曲を書くポテンシャルは元々あったということでしょうね。

 ライヴヴァージョンはMTV番組などでもよく流れていて、僕が最初の頃、いや2番目の頃に見た動くビリーの映像のひとつだったと思います。

 素直にとってもいい歌だなあと、70年代洋楽らしいと感じていたと今にして思う。

 かのMy Lifeがこの続編的内容であることは、My Lifeは既にお気に入りの曲になっていたので当時すぐに気づきました。

 やっぱりビリーは東海岸の人。

 Trubadour


 2曲目Summer, Highland Falls、この曲は歌詞が小難しくて、開放的なカリフォルニアからニューヨークに戻ってきたという感じを受けます。

 3曲目All You Wanna Do Is Dance、レゲェというかカリプソ風の軽やかな曲を明るい中にちょっと陰りを忍ばせながら歌うビリー。

 この曲は、ジョン・レノンがROCK AND ROLLでカヴァーしたオールディーズのDo You Wanna Danceに似ていて、ジョンもその曲をレゲェにアレンジして歌っている上に、"Baby, all you wanna do is dance"と歌詞まで似ている、と、どう考えてもジョンのそれが頭にあったとしか思えない

 そういえばレッド・ツェッペリンのレゲェチューン「ジャメイカー」、D'yer Mak'erもこの頃の曲で、洋楽の世界にレゲェの波が訪れていた当時をよく忍ばせてくれます。


 4曲目New York State Of Mind、このアルバムを最近はよく聴いているわけですが、きっかけは、「ベストヒットUSA」で、ブルース・スプリングスティーンとビリー・ジョエルが共演したこの曲を見て聴いてよかったからです。 

 小林克也さんはこう説明していました。

 「ブルース・スプリングスティーンはどんどんと前に行ってしまう(突っ込んでしまう)人であるのに対して、ビリー・ジョエルはためというか間を楽しむ人で、この2人が一緒にやることでどんなマジックが起こるのでしょうか見ものです」

 スプリングスティーンはニューヨークの隣りのニュージャージーで、日本でいうと埼玉みたいなものかな、それとも神奈川かな、広い意味では同じ地域の人で、実際にボスの代表作BORN TO RUNは多分にニューヨーク的な雰囲気を感じますが、でもやっぱりこの2人は異質といえば異質ですね。

 僕がその映像を見て感じたのは「ボスも意外とゆったりした曲もいけるんだな」であり、「でもやっぱり感情を出し過ぎかな」、というところですね、もちろんよかった。

 曲はスタンダード風のジャズヴォーカルにもつながる、まさに都会的な響き。

 

 5曲目James、哀愁を帯びて多少の自己憐憫的な響きは歌謡曲的で、ビリーが日本で人気があったことがよく分かります。

 ここまで来ると「素顔のままで」まであと一息ですね(笑)。


 6曲目Prelude / Angry Young Man、先ずプレリュードではピアノを叩きつけるように弾くのですが、僕はピアノをこんなふうに弾く人は初めてでとにかくすごいと心を奪われました。

 後半は、怒っているのだろうけどそれをそのままぶつけないでさらりと投げつけるのも都会人のマナーなのかな、と。

 この曲もリズム裏打ちですね、しかも激しい、そこにメッセージが隠されてそうです。

 2008年の今のところ最後の日本公演でも演奏していて、ビリーのお気に入りなのでしょうね。

 
 7曲目I've Loved These Days、考えてみればまだ30にもなっていない若者がこの落ち着きというのは、ある意味すごいことだなと。

 もしかして当時売れなかったのは、逆に落ち着きすぎていたのかもしれない。


 8曲目Miami 2017 (Seen The Lights Go Out On Broadway)、これもアティックで先に聴きました。

 と書いたけど、2曲目と7曲目もそこに入っていたのが、それらはCDを買い直した時に気づきました・・・10代の頃にはあまり訴えてこなかったのでしょう。

 前の曲の話に戻るけど、やっぱりこのアルバムの音は10代から20代前半の若者には落ち着きすぎていて、音楽は若者を動かさないとなかなか売れないだろうから、その辺もいい意味でのハッタリが足りなかったのだと思う。

 それはともかく、この曲はニューヨークに戻ってきた、ここが俺のいる場所だという実感がわき上がってきたことが伝わってきて、ある意味ほっとします。

 4曲ではまだ心だけのニューヨーク、だから多少の不安や寂しさがマイナー調の曲からにじみ出ていたけど、こちらはほっとしている感じ。

 とまあ、最後まで聴きどころばかりのアルバムでした。


 

 なんて書きましたが、後の時代にさかのぼって聴くことができるのでいろいろ見えてくるものがあるのでしょうね。

 時間の流れは一方向で不可逆的だから、1976年という時代にはまだこの音楽は時代の少し先にあって、多くの人には、可能性以上のものは感じ取れなかったのかもしれない。

 可能性に投資するのはある種の賭けですからね。

 やっぱり、いい音楽、安心して聴ける音楽にお金を費やしたいでしょう。

 ましてや生活必需品でもない音楽だから、なおのこと慎重になるし、真っ先に予算が削られるでしょうから。

 音楽を生業としている人は、「良いか良くないか」という主観的判断と、「売れたか売れないか」というあくまでも数字の上での客観的判断が結びついてしまうことを、大なり小なり受け入れる部分がないとやっていけないのではないかな。

 中には良くないと感じたものが売れてしまうという事態も起こり得るでしょうけど、その場合、アーティストは、少なくともリリース直後は正直に言わないほうがいいでしょうね(笑)。


 繰り返し、それにしてもこのアルバムは素晴らしい。

 新譜として出た当時より、CDのほうが売れているのではないかなと思ったり。

 "Turnstiles"というのは、ジャケット裏に写真がありますが、地下鉄の改札口にある、人が押して通ると棒が回って次の人の前に別の棒が上がってくる装置のことだそうです。

 てっちゃんの端くれでもある僕はそれがとても気になりますが、日本にはないものでしょうね、遊園地とかであったかもしれないけど。

 まあ、今は自動改札だし、向こうでもそうなのかな、"Turnstiles"も絶滅危惧商品かもしれない。


 都会にしかないそのようなものをタイトルにとってニューヨークに帰ったことを宣言しつつ、「スタイルを変える」ということとかけているこのタイトルもまたいいですね。


 そしてこのアルバムは、ビリー自身にとってもスタイルが変わる節目だったように思います。