◎JOHN WESLEY HARDING
▼ジョン・ウェスリー・ハーディング
☆Bob Dylan
★ボブ・ディラン
released in 1967
CD-0210 2012/3/1
Bob Dylan-03
ボブ・ディラン8枚目のアルバムは、僕が生まれた年に出た作品。
ボブ・ディランはロックへの影響が大きい人であり、自らもロックを築き上げてきた偉大な人物であるのは、いまさら説明不要でしょう。
60年代のアルバムはみな時代を写す鏡であり、時代を作ったロックのマスターピースとなっていて、いわば次元が違う存在であったのではないでしょうか。
そのディランは、いつ頃から「時代の人」ではなく「普通の大スター」になったのだろう。
リアルタイムでディランを経験していない僕が、本や映像などで後から接したロックの歴史を基に考えると、なんとなくこの辺りかな、というのが僕なりに見えてきました。
それがこのアルバムです。
ディランは、前作である1966年の2枚組の大作BLONDE ON BLONDEで時代を総括し、バイク事故による怪我の後でベスト盤を出し、次の局面に進みました。
そもそも、アーティストが2枚組アルバムを出すというのは、次の局面に向かうという意味があることが多いように思います。
ビートルズは、1968年、自らが設立したレコード会社Appleから通称「ホワイトアルバム」をリリースした後、思惑がすれ違うようになり、解散に向かって進み始めました。
ピンク・フロイドは、1979年のTHE WALLで、映画にまで発展する壮大なコンセプトアルバムを制作した後、
余り物を集めたようなアルバムを出してバンドが割れました。
逆の例としては、プリンスの場合、1999で世の中にも受け入れられ、次作とそれを基にした映画の大ヒット、大ブレイクにつながりました。
2枚組アルバムがアーティストに何かが起こる兆しであったことはままあるのではないかと思います。
そしてボブ・ディランの場合は「時代の看板を下ろした」
単なる偶然だと思うのですが、2枚組の後に事故で活動できなくなり、契約の関係か何かでベスト盤を出して休止していた、その間に「時代が変わった」というのは、うん、考えると、偶然以上の時代の符号のような気もします。
ディランに影響を受けたジョン・レノンは死の直前のインタビューでボブ・ディランについて聞かれた際に、「BLONDE ON BLONDEの後で両耳で聴くのをやめた」と語っていました。
両耳で聴くのをやめたというのはいかにも詩人であるジョンらしく比喩として分かりやすいですが、そのジョンも時代の空気を感じていたのでしょう。
だって、ジョンもその時代に生きて感じていた人でしたから。
ただし、ジョンがディランを大好きで影響を受けていたことは、他の書籍などでもよく知られていることではありますが。
もちろん、ここから後のアルバムが良くないと言うつもりはありません。
ディランがソングライターとして脂が乗ってきたのは、むしろこの後のことかもしれないですし。
ただ、時代との関わり、時代の空気の反映、影響力という点で、このアルバムは少し緩くなっているのを感じます。
このアルバムが「時代の音」から少し離れたと感じるのは、本人の意欲や意志が反映されているのかもしれないですね。
そう思ってこのアルバムのステレオのリマスター盤を手に取ると、帯の役割をするシールに、こんなことが書いてあるのに気づきました。
「ロックのアルバムとして初めてルーツに戻ったアルバム」
つまり、過去の音楽を自分なりに解釈して新しい形で呈示するのではなく、「過去に戻って再現した」ということなのだと思います。
ディランが時代を作ってきたのは、新しい形で呈示するからであり、60年代においてはそこに意味があったのでしょう。
そしてだからこのアルバムは、「過去に戻った」という点で、ディランが自らの意志で「時代の看板を下ろした」という解釈も、正解ではなくてもあまり遠くないのかな、とも思います。
実際、ディランの次のアルバムはカントリー色が濃くなっていて、いわば「既成の音」の中で表現していますし。
さらにこのアルバムは、ルーツに戻ったことの影響で、エレクトリック・ギターをあまり使っていないのが、音自体も古くさい、新しいものではないと感じさせる部分かもしれません。
ベースは普通にエレクトリックのもを使っているのですが、とってもシンプルに響いてくるアルバムです。
ただ、ディランは、「過去に戻ることが新しい」ということを言いたかったのかもしれないですね。
そうだとすれば逆に、時代が早すぎたのかもしれません。
しかしいい曲を書く人という点では、まだまだ影響力は強かったのでしょうか。
ここには、ジミ・ヘンドリックスのカバーで有名になったAll Along The Watchtowerが入っていますが、ジミのバージョンは、ディランの過去に戻った「古くさい」曲を、時代の寵児だったジミの手により「時代の音」に焼き直された、というところだと思います、面白いですね。
このアルバムは逆に、時代の看板を下ろしたがゆえに、むしろ肩肘張らずに気楽に聴けてそれなり以上に満足できる、そんなアルバムだと思います。
僕も最初に聴いて、といってもう20代前半でしたが、これは素直にいいなと思いましたから。
そしてこれは、「フォーク歌手ボブ・ディラン」というイメージには合う1枚であるとも思います。
もちろんそれだけでとうてい語りきれる人ではないのですが、フォークの面がよく出たアルバムではあるでしょうね。
1曲目John Wesley Hardingは西部劇の物語に見たてたアルバムのテーマ曲ですが、ほんとうにテレビドラマのテーマ曲のような軽くてつかみがいい曲。タイトルを歌う部分は耳につきついつい口ずさんでしまいます。
2曲目As I Went Out One Morningはミドルテンポの少し悲しい曲。
ベースが小気味よくメロディアス鳴ってよく目立つけど、そうか、伝統的なフォークのスタイルだけどベースが目立つというのが新機軸なのかな。
3曲目I Dreamed I Saw St. Augustineは静かに語りかけてくる、安らぎを求めるような曲。
僕はディランの歌詞を集めた洋書BOB DYLAN LYRICS 1962-1985を持っていて、時々歌詞を読みながらCDを聴いていますが、この曲については、宗教的な背景など、日本人の僕にはあまり分かりませんでした。
4曲目がAll Along The Watchtower、「見張り塔からずっと」はジミ・ヘンドリックスの曲としてより知られているかもしれないですが、ジミはこの翌年にカバーしているので、余計にそういう印象が強いかも。
何かの危機がすぐそばにあるけど気づかないことに警鐘を鳴らしている緊張感あふれるメッセージソング。
時代の人ではなくなっても、名曲を生み出す勢いはまだまだあったということでしょうね。
5曲目The Ballad Of Frankie Lee And The Judas Priestは打って変わってのどかな雰囲気で、曲名からも分かる通り、正統派フォークバラード。
ところで、ヘヴィ・メタルの中のヘヴィ・メタルと呼ばれる「メタルゴッド」ことジューダス・プリーストはこの曲からそのバンド名をとったということで、メタルマニアの間ではこの曲は意外と存在感があります。
ディランはメタルにまで影響を与えているのですね。
ジューダス・プリーストは、フリートウッド・マックやジョーン・バエズの曲もカバーしていて、意外とといってはなんですが、音楽的背景が広いことがうかがい知れます。
6曲目Drifter's Escapeは4小節の同じ歌メロをずっと繰り返してたまにハーモニカを入れるだけ。
展開しないのかなと思ったらフェイドアウトして、はい終わり。
アルバムの中にこういう曲があるとかえって面白い。
7曲目Dear Landlordは歌い出しは甘くて優しい雰囲気なのに、後半になると何かに追われたかのような切迫感に襲われる曲。
神への祈りが通じないのかな・・・
その歌い出しは耳に粘りつく印象的な旋律。
8曲目I Am A Lonsome Hoboは2曲目と同じ感じのベースが張り切るちょっと暗い曲。
ディランにはよくあるモチーフの曲ですが、だから僕は、他のアーティストの曲でも、Hoboという単語を聞くと、反射的にディランを思い出してしまいます(笑)。
9曲目I Pitty The Poor Immigrantはどうすることもできない虚しさがじわっとしみ出てくる曲。
こういう曲での説得力は唯一無二であり、ディランの歌詞の言葉の強さを感じます。
10曲目The Wicked Messenger、この曲も歌詞の真意や背景を読み解けなかったです。
曲は叩きつけるようなギターの印象的なフレーズ、何かに怒ったような、焦っているような歌い方。
ベースの動きがギターと歌を重たくサポートしていい感じ。
11曲目Down Along The Cove、ここでエレクトリック・ギターが出てきてカッティングなどの味付けをしていますが、でもやはり目立たない。
間奏のハーモニカの後ろでソロらしきものを弾き始めたところで、今度はピアノの音が大きく入ってきて隠れてしまう。
エレクトリック・ギターがまったくゼロではないというのは、それを排除するつもりはまったくなく、逆に言えば、このアルバムは、アコースティック・ギターで演奏することに必然性をより強く感じていただけなのかもしれません。
ただ、ここまできてどうせなら1曲も入れないでほしかったなんて言ってはいけないのでしょうかね(笑)。
12曲目I'll Be Your Baby Tonight、アルバム最後にラブソングの名曲が控えていました。
ディランの中でもとりわけ素直で優しい響きの曲ですが、こうした曲は、作ったというより出来た、或いはそれ以上に、形にならずにさまよっていたものをディランが捕まえて音にした、そんな感じできわめて自然に響いてきます。
ハワイアンのような響きのスライドギターがまたいい感じ。
これはいいですね、とってもいい、素晴らしい、素敵な曲。
このアルバムでは、つらいこと、虚しいことを聴いてきましたが、最後にこの曲があると思うと、それらも忘れて癒されます。
もちろんそれらの曲が良くないというのではないですが、アルバムというのは、すべてが印象深い曲であると疲れますし、それがアルバムの流れというものだと思います。
この曲が最後にあるとないとでは、印象が百倍違います。
いいアルバムを聴いたなって、心から思えます。
ロバート・パーマーもカバーしていました。
アルバムは全曲が素晴らしい必要は必ずしもなくて、例えばこのように、名曲があって、間を雰囲気がいい曲が埋めて、その流れがとってもいい、それもまたいいアルバムだと思います。
これは力を抜いて聴くと、フォークソングの魅力に浸れる1枚ですね。
ディラン自身も、そろそろ俺の音楽を力を抜いて聴いてほしい、と思いながら作っていたのかもしれないし。
さて、ボブ・ディランは次は何を聴こうかな。
あまりにもたくさんあるので、選ぶのに困る、でもそれがうれしいですね(笑)。