◎THE REFLECTION
▼ザ・リフレクション
☆Keb Mo
★ケヴ・モ
released in 2011
CD-0203 2012/2/18
本日はケヴ・モです。
ブルーズを聴くようになって俄然興味が湧いてきた人で、これは僕が買った彼の2枚目のCDです。
本題の前に、Keb Moと書いて「ケヴ・モ」と日本で書いて読ませるのは、"Keb Mo"が"Kevin Moore"の略であり、"Keb"はケヴィンの意味だからということです。
そういえばかつて上野のアブアブの近くに"DOBB'S TAYLOR"という紳士服の店があって、そこは「ドヴス・テイラー」と書いて読ませていたことを、ケヴ・モを見るといつも思い出します。
ここではひとまず日本語の表記と発音以上のことは考えないで進むとして、それは分かりました。
でも、へそ曲がりの僕だから、じゃあどうして「モ」と書く、そこが納得いかない。
「モー」じゃないの?
"Moore"は日本では「ムーア」と表記され読まれていますが、実際の発音をなるべく近い音でカタカナで表せば「モー」となり、"Doors"も「ドアーズ」ではなく「ドーズ」なのだという。
だから、元の意味にこだわって「ケヴ」にするのであれば、「モー」にしないとつり合いがとれない。
または、"Mo"だけなら「モウ」と発音されることも考えられるから、いずれにせよ「モ」というのはちょっとばかり納得できないものがあります。
モって、「藻」じゃないんだから(笑)。
でも、日本式に「ムーア」を略した「ムー」にならなかっただけよかったのかもしれない・・・
それじゃ一族になってしまうから(笑)。
なんて、最初の記事だからそこからちょっとこだわってみました。
ケヴ・モは、しょうがない渋々そう書くとして、半年ほど前にブックオフで500円で1枚買って聴いたのが初めてでした。
それはBIG WIDE GRINというCDで、オージェイズのLove Trainやスティーヴィー・ワンダーのIsn't She Lovelyをはじめとした僕も知っているソウル系それにジョニ・ミッチェルのBig Yellow Taxiなどのカバー曲が集められたアルバムでした。
初めてで何も考えずに買って聴いて、なんでこんなことするのだろうと、否定的な意味ではないですよ、思って調べると、それは子ども向けのアルバムだと分かりました。
昨年12月に取り上げたジュエルの新譜も子ども向けアルバムでしたが、アメリカでは結構あるようですね。
こうなったらシェリル・クロウも子ども向けアルバムを出してくれないかな・・・
どうも今日は脱線ばかりですが、僕が初めて聴いたケヴ・モのCDがそれであったために、この人はソウルっぽいアプローチの人なのかなというイメージが僕の中に出来上がりました。
ただしそのアルバムはそれはそれでとても気に入って車でよく聴くCDになりました。今回は普通の大人用のアルバムを初めて買って聴いたのですが、ソウルっぽいアプローチというのは実はこの人のスタンスでありスタイルであることが見えてきました。
ブルーズといってもどろっとしていなくてとげとげしくもない、いわばハウリン・ウルフと正反対と僕は感じました。
最初は、そんな変わった名前をつけるような人だからもっと「ど」がつくくらいの深いブルーズを聴かせる人であり、デルタブルーズを復興させようとしている人だと勝手に思っていたのですが、それはまったく違いました。
それにしても勝手にイメージ作ってましたが(笑)。
ソウルというのは、大づかみにいえば、ブルーズからR&Bになりそこから発展したものでしょう。
ブルーズにあるメッセージ性が薄められて聴きやすくなったものという感じですが、ケヴ・モの音楽を聴くと、1970年代のソウルとしか言いようがない感覚に陥ります。
ケヴ・モ自身は1951年生まれ、一応のレコードデビューは1980年ということですが、1970年代から音楽活動をしていて、ソウルの隆盛については実体験しているはず。
しかしケヴ・モは、70年代のソウルを焼き直そうというのではなく、自分にとってのブルーズとは何か、自分が気持ちがいい音楽とは何かと試行錯誤してきた結果、ソウルの流れとは別の系統でソウルにたどり着いたのではないかと僕は想像しました。
ツバメとアマツバメは形がよく似ていますが、でも生物学的にはまったく違うところから種分化したもので決して近い仲間ではない、でも見た目は似ている、それと同じことかなと考えました。
今の時代に1970年代ソウルなのは、出発点が少し後にあったということなのでしょう。
僕にとってのケヴ・モは、ブルーズとソウルをつなぐような役割の人になるのかな、そうだろうな。
ただし心地よさだけにおぼれるのではない、芯がしっかりしたところが感じられるのは純然たるソウルとは少し違うところですね。
しかしその芯がしっかりしたというのは逆にロックにつながる部分でもあるから、いずれにせよ僕にはとってもいい音楽には違いありません。
アルバムの曲は2曲を除いてケヴ・モ自身が作曲していますが、だからシンガー・ソングライターということにもなりますね。
その2曲のうち1曲がきわめて興味深い、イーグルスのOne Of These Nightsをカバーしています。
この曲はイーグルス側からソウルに強烈に近寄った曲だから、なるほどと納得するとともにイーグルス大好き人間としてはうれしくなりました。
でもオリジナルとは違ってまろやかであまりカクカクしていない感じの響きで、またひとつ秀逸なカバーを知りました。
もう1曲のCrush On Youには僕が密かに応援し続けているインディア・アリーが参加。
彼女の声自体が好きだけど、全体的にまろやかなケヴ・モの世界にはとてもよく合います。
他に僕が知っているところでは、ヴィンス・ギル、マーカス・ミラー、デヴィッド・T・ウォーカーなどが参加。
オリジナル曲では4曲目、表題曲でもあるThe Reflection (I See Myself In You)がいちばん気に入りました。
なお、作曲者としてのクレジットはKevin Mooreと書かれています。
しかしですね、僕がケヴ・モでいちばん好きになったのは、声です。
僕は昔は基本的に音楽には人間性は関係ないと思っていました。
音楽で表すような気持ちはどんな人間でも持ち合わせており、音楽はそこだけを抽出して聴かせて共感を得ることができるものだと思うから。
でも、年を経ることに、やはり人間性により引かれるようになりました。
とても気に入った曲があっても、それがどんな人が演奏しているかが気になるようになりました。
ケヴ・モは、穏やかで人格者であろうことが声ににじみ出ています。
ほっとします。
曲以上に、その声に触れたいと心から思う人です。
きっとそれは間違ってないのではという妙な確信めいたものを感じるのですが、そこまで人間性が声に表れている人も、珍しいというより稀かもしれない。
新たに聴き始めた人でこれだけ声が好きになった人は、誰以来だろう、もしかしてノラ・ジョーンズ以来かもしれない、それくらいとにかくこの声でまろやかなソウル、敢えてブルーズとは言わないけど、そんな音楽を聴くだけで至福の時間を過ごせます。
嫌なことがあるとすぐに聴きたくなる人かもしれません。
幸か不幸か、このCDはまだ先週買ったばかりで、それから特に嫌なことはまだないのですが(笑)。
ぜひ会って話をしてみたい人ですね。
その前に過去のアルバムも揃えないと。
ひとまず2枚を注文してあるけど、1枚は海外から来るので今月中に聴けるかな。
今回はの最初の記事というのもあって、人に対する印象程度のことしか話せなかったけど、これから聴いてまた記事に出来ればと思います。
ところで、ケヴ・モはWikipediaには、Keb' Mo'、と記されていますが、最新作であるこのCDではアポストロフィなしで、KEB MO、と表記されています。
そういえばJDサウザーも以前はJ. D. Southerと表記されていたのが、昨年の最新作ではドットなしのJD Southerとなっていましたが(正確にはもう一つ前のアルバムから)、今はそういう流れなのでしょうかね。
でも、R.E.M.はドット「.」をなくさないでほしい(笑)。
ケヴ・モは日本のウィキペディアにはまだページがないんですよ、ケブで見てもなかった。
僕がこれから聴いて、ウィキに登録して、ページを作ろうかな(笑)。