◎THE LOW SPARK OF HIGH HEELED BOYS
▼ロウ・スパーク・オヴ・ハイ・ヒールド・ボーイズ
☆Traffic
★トラフィック
released in 1971
CD-0162 2011/11/21
Traffic-02
※このCD注目の1曲:Rock & Roll Stew
トラフィック6枚目のスタジオアルバム。
エリック・クラプトンとスティーヴ・ウィンウッドのコンサートの余波、昨日はエリック、では今日はスティーヴを。
コンサートに行く前には気持ちを盛り上げたり予習のためにそのアーティストのCDを聴くのは自然なことだと思います。
僕も今回はBLIND FAITHをよく聴いていました。
でも今回はエリック・クラプトンについてはそれ以外はほぼまったく聴きませんでした。
ではスティーヴ・ウィンウッドはというと、聴くことは聴いたのですが、それがこのアルバムです。
多分この中の曲はやらないだろうなと確信に近いものがあり、少なくとも予習という点ではあまり意味がない選択だったと自分でも思います。
実際にコンサートではやりませんでした。
本音をいえばWhile You See A Chanceが入ったアルバムを聴きたかったのですが、あまり考えずにHMVに注文を出した結果コンサートの前に届かないというミスを犯しました。
なんでこれを選んだかも分からない、とにかくこれが目に留まって11月に入った頃から毎日のように聴いていました。
僕がスティーヴ・ウィンウッドやトラフィックを真面目に聴き始めたのは今年になってからであり、今まで嫌いとか言っていて申し訳なかったという思いがあって、そうであるなら結局はスティーヴ・ウィンウッドがいるなら何でもよかったのかもしれません(笑)。
もちろんこのアルバムも今年初めて買いました。
リマスター盤が出ていたのは知っていたので、遅かれ早かれではあったのですが。
最初に聴いた印象が、「最高級のロック」でした。
ロックンロール、ブルーズ、トラッド、ソウルやファンクからジャズまで多くの音楽の要素が高次で絡み合っていて、それらの名残りは確かに感じるんだけど、でもそのどれとひとつで言い切ることができない音楽。
曲はほとんどがスティーヴ・ウィンウッドとジム・キャパルディが書いていて、この2人のセンスにはただただ驚かされるばかり。
全体的に落ち着いた、というより沈んだ感じがするのは昨日のエリック・クラプトンとは正反対の雰囲気。
落ち着いているというのは「良い」という評価に結びつきやすいというのは人間心理なのかなと思いました。
拙速ではなくどっしりと腰を据えて作ったという印象を受けやすいのでしょう。
かといってAORというほどにまで緩くなくて(この緩いは主にいい意味で使っています)、テーブルにコップを置くだけでガラスが割れてしまいそうな張りつめた緊張感があります。
だから気軽に聴けるという感じではないかもしれない。
しかし緊張感があるというのもまたアルバムが好意的に評価される要因にはなりやすいかなと。
もうひとつの特徴、これは1971年の作品ですが古さをまったく感じさせません。
これまた昨日のエリックのほうが12年も後だけど古臭い響きがします。
1971年はまだロックがこれからどんどん拡散していく時期だったと思うけど、トラフィックはもうここで落ち着いた。
しかもそれは周りの人たちよりもはるかに先に行った地点であり、世の中が追いつくのに10年以上を要した。
いやまだまだ誰も追いついていないかもしれない・・・
トラフィックやスティーヴ・ウィンウッドの偉いのは先見性であり、またそれを確実にものにする演奏や作曲そして編曲の能力の高さなのでしょう。
だからか、トラフィックは敷居が高いと感じるのかもしれません。
実際に聴くと、やっぱり敷居が高いと思う。
僕の経験では、敷居が高いという先入観があっても実際に聴くとそうではなく親しみやすかったというアーティストは多い、そのほうが過半だと思います。
しかしトラフィックは、聴けば聴くほど敷居が高いと思ってしまう。
もちろん聴く前に比べればはるかに気軽にCDを選んでかけるようにはなったのですが、でも、なんだかすごいものを聴いているなあという思いは、トラフィックを聴き始めて半年以上が経ってもなかなか抜けてくれません。
もしかして敷居が高いものを聴いているんだというある種の愚かな自己陶酔なのかな、だとすれば困ったものです(笑)。
ところが、今回の文章は翻意ばかりですが(笑)、Wikipediaで見るとこのアルバムは当時ビルボードのアルバムチャートで最高位8位を記録しプラティナアルバムに輝いていることが分かりました。
つまり売れたのです。
今の感覚でいえば不思議です。
このようなアルバムが売れたというのは、当時はロック全体に勢いがありどんな音楽でも興味をもって迎え入れられていたということなのでしょう。
そういう中では敷居の高さは他との差別化となり、かえって好条件だったのかもしれません。
トラフィックの敷居の高さはきっと、英国人の気高さからくるものなのでしょうね。
出自を偽ってみてもどこかにかすかだけどはっきりと残る雰囲気、香りのようなものは英国人以外の何ものでもありません。
今回の注目曲は4曲目のRock & Roll Stew。
「ロックンロールのシチュー」とはまさにこのバンドの音を表したうまい表現で、いろいろな素材をじっくり煮込んでとろけている。
この曲は当時バンドのメンバーだったリック・グレッチとジム・ゴードンが作曲しており、スティーヴとジムは曲作りには絡んでいないようなのですが、これは最初は外部の人間であった2人がこのバンドに入ってみて感じたことなのかもしれません。
しかしこの「ロックンロールのシチュー」はまったくもってロックンロールではありません!
ミドルテンポのどろっとした重たい曲で、これに比べれば昨日のエリック・クラプトンの「ロックンロールのハート」のほうがはるかにロックンロール然としています。
もう大人なので僕も怒らないけど(笑)、煮込むと素材が柔らかくなるようにロックンロールも生まれて10年以上が過ぎてとろけてきたということでしょうか。
サビで"Gone, gone, gone"と強調して歌うのはエヴァリー・ブラザースの曲をイメージさせ、かろうじてロックンロールとつながっているところかなと思わなくもないけど。
この曲はジム・キャパルディが歌いシングルカットされて極小ヒットしたようですが、ジムは声もやはりどろっとしている感じで、スティーヴが歌わなかったという選択のセンスもさすが。
なお、2日続けてロックンロールっぽくないロックンロールと名乗った曲が続きましたが、これはまったくの偶然で予め考えていたことではありません。
むしろ僕自身がこのいい偶然に気づいて驚いたくらいですから(笑)。
スティーヴは表題曲The Low Spark Of High Heeled Boysで彼らしい歌声を聴かせてくれますが、でもこの曲もミドルテンポでどろっとしていていつもの切れではなく粘りのヴォーカルを披露しています。
ただしこのアルバムは2曲をジムが歌っているせいもあって、スティーヴ・ウィンウッドのヴォーカルめあてで聴くなら微妙に消化不良気味かもしれません。
ちなみにこの曲のタイトルは「元気がないハイヒールの男性たち」という意味かな、だとすれば、あれ、もしかして2丁目系の歌なのかな・・・
ますます敷居が高いと感じてしまいます(笑)。
ジムのもう1曲Light Up Or Leave Me Aloneはなんとなくラテン系で明るいけど明るくなり切っていない、でも魅力的な曲。
6曲目、最後のRainmakerは抒情的を通り越して怨念のようなものを感じてしまう、最後までどろっとしたアルバム。
このアルバムの時はバンドにギタリストがいなかったのでギターはすべてスティーヴが演奏しているようです。
納得ですね、コンサートでのあのプレイを見た後だから。
ねっとりとして軽くない音楽が嫌いではない人であれば、心に引っかかるアルバムだとは思います。
それにしてもこれが売れたのはやっぱり不思議。
しかし、そもそもトラフィック自体が不思議の集まりのようなバンドだから、そういうものだと受け止めるしかないようですね。
敷居が高い音楽も、時にはいいですよ(笑)。