◎PUMP
▼パンプ
☆Aerosmith
★エアロスミス
released in 1989
CD-0137 2011/09/29
エアロスミスの通算10枚目であり、オリジナルメンバーで復活した3枚目のアルバム。
ここ3回ほど僕はアメリカンロックにこだわって書いてきましたが、その過程でふと気づいたことが今日のお話です。
アメリカンロックといってもおそらくきちんとした定義がなく、「アメリカ人が演奏するアメリカらしいロック」といった曖昧な概念みたいなものでしょうか。
ニール・ヤングやザ・バンドのようなカナダ人はどうなんだ、というのはここではちょっと置いておくとして。
でもヴァン・ヘイレンやモトリー・クルーのことを「アメリカンロック」とは普通は言わない、それは「ハードロック・ヘヴィメタル」に分類されているからでしょう。
しかしそれらの音楽も聴いてみるとアメリカ人らしいロックではあると僕は思うんだけど・・・
まあいずれにせよ、アメリカンロックにはきちんとした定義はないけどロックを聴く人なら誰もが大なり小なり曖昧な概念は理解していると思われます。
事実、実生活でもネットでもそのことで意見が大きく違ったという経験は僕はいまのところないですから。
この記事は敢えて曖昧な概念で話を進めることにして、アメリカンロックで日本でも人気があると僕が思うアーティストとして挙げられるのは、ビリー・ジョエル(ちょっと異論あるかな)、イーグルス(リアルタイムで経験していないのでいまいち不安だけど)、ボン・ジョヴィ(これも異論ありか)、そしてエアロスミスくらいなものでしょう。
ここで僕が人気があると判断した理由は、満員になるかどうかは別としてみな札幌ドームでコンサートを行ったことがある人、ということです。
それからついでに言えばサイモン&ガーファンクルだってアメリカンロックであり札幌ドームでコンサートをしたことがあるのでここに入れたいけど今はややこしくなるので外したことをちょっとだけ付記しておきます。
もうひとつ、札幌ドームではやらなかったけどヴァン・ヘイレンも日本では人気があるのでほんとうはここに入れたい。
ともあれ上記4者のうちビリーとイーグルスは70年代の日本における洋楽興隆期に人気があったこと、ボン・ジョヴィは80年代後半に出てきたことでいずれもリアルタイムで人気があったわけですが、エアロスミスだけ特殊であることが分かります。
今回はそこに着目し、エアロスミスが日本で人気が出たことを考えてみました。
エアロスミスは僕が洋楽を聴き始めた頃はもはや伝説のバンドとしてロックの歴史を振り返る番組の中の存在でした。
実際に当時はジョー・ペリーとブラッド・ウィットフォードの2人のオリジナルのギタリストが抜けて残ったほうも息絶え絶えの状態だったようです。
それが、ラップのランD.M.C.がWalk This Wayをカバーして大ヒットさせ、ビデオクリップにスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが直々に出て注目され復活の起爆剤となったのです。
僕はそれを見て、エアロスミスってまだやってたんだって思ったっけ。
当時は知らなかったのですが、1984年か85年に「エアロスミス復活プロジェクト」がGeffenの中で立ち上げあられ、敏腕プロデューサーにして世界最大のロックマニアであるジョン・カロドナーを中心としてエアロスミスは肉体及び精神の改造が施され再生に向けて動き出していたのです。
ジョン・カロドナーは以降次々と大物ロックバンドを再生させることに成功しましたが、エアロスミスがその最初の大きな仕事でした。
カロドナーは何よりもヴォーカリストの声に強いこだわりを持っていて、ヴォーカリストが魅力的な声を持ってさえいれば再生はいくらでもできるという哲学を持って臨んでいました。
エアロスミスはまさにその例でもありますね。
再生に及んで力を入れたのが、「積極的なプロモーション」と「曲の充実」でした。
プロモーションについてはMTVの時代になっていたのが大きかった。
ビデオクリップを力を入れて作れば、最も影響力があるテレビという媒体で曲がいわば勝手に流れるのでこれはもう乗っかるしか手はない。
僕自身の体験としても、復活したこのひとつ前のアルバムもラジオではなくビデオクリップから入ってCDを買いましたから。
MTVがどうのこうのと批判される向きはありますが、少なくとも音楽好きのティーンエイジャーには本人たちが動いて演奏し歌う映像がついた音楽の魅力には抗えませんでした。
CDの時代になったこともかなり大きいと思います。
確か僕の記憶では日本では1987年にLPとCDの売り上げが逆転したのだと思いますが、誤差があっても1年だと思うのでそのまま話を続けますが、CDという新しい媒体を買うこと自体が消費者行動として大きな流れになっていた。
そこにお金をかけてプロモに力を入れた魅力的な大物バンドの新譜が出たのだから売れたのです。
それを可能にしたのはもうひとつ、日本はバブルだったことも無関係ではないと思います。
いずれにせよ、プロモーションは仕掛けることができるけど、エアロスミスの場合は2つの外的要因に恵まれそこにうまく乗ることができたのでしょう。
さらにもうひとつ日本特有の事情を挙げれば、ハードロック・ヘヴィメタル専門誌が1980年代に起こりその力が大きくなっていったこともあると思います。
ボン・ジョヴィもそうですね。
ということはエアロスミスもボン・ジョヴィも「ハードロック・ヘヴィメタル系」としてくくられていることになるんだけど、考えてみるとこれは大きいかもしれない、実際の音楽がどうかという問題はひとまず別にして。
ただもちろんマニアの間だけではそれほどの人気者にはならなかっただろうけど、でもエアロスミスにとっては強力な後ろ盾だったことも間違いないと思います。
もうひとつの大きな要素である「曲の充実」。
この問題を解決するために、復活後は外部作曲者を多用しています。
これについて正直言えば、デフ・レパードもボン・ジョヴィもですが、僕も若い頃は自作ではないことで少し色眼鏡で見ていた部分はあったのですが、でも今は曲がよければそれでいいと思えるようになりました。
ただし、三つ子の魂40過ぎても、僕は今でも、とっても気に入った曲がそのアーティストひとりの手による曲であることが分かると特別な思いを抱くことは否定しませんが。
まあそれはともかくこのアルバムでは時代の寵児と化していたデスモンド・チャイルドとジム・ヴァランスが加わった曲があってやはりそれらがアルバムの核となっています。
そのような戦略があってエアロスミス復活が成し遂げられました。
このことから、曲がよくてプロモを真面目にすれば日本でもアメリカンロックは売れる、ということが見えてきます。
だけどエアロスミスについてはもうひとつ面白い「現象」があったことも話さなければなりません。
エアロスミスはCDの時代になって早くにColumbia時代のアルバムが統一したデザインによるリマスター盤として出ていました。
彼らが復活してすぐの頃に既に中古CDとしてそれらがよく出回っていて、特にWalk This Wayが入ったTOYS IN THE ATTICなんてほんとによく見かけました。
それらを買って売った人は復活したエアロスミスに興味を持って旧譜を買ったのでしょうけど、やっぱり日本ではキッスやチープ・トリックに人気で大きく水をあけられていた1970年代のものは日本人には合わないのかな、所詮アメリカンロックだからな、と思ったものです。
ああそうだそうだ、キッスとチープ・トリックも日本で人気が出たアメリカンロックですかね、こうしてみると結構あるじゃないですか(笑)。
話は逸れましたが、僕はエアロスミスはやたら中古CDが多いのはとっても興味深いことだと思っています。
かくなる僕の話だけど、エアロスミスも普通に好きですよ。
当然のことながら復活してからCDで過去にさかのぼって聴くようになったんだけど、70年代のものはそれなり以上に気に入りました。
でも一方で歌メロ人間である僕には70年代の曲はやっぱり物足りなくて、でもその分このバンドは勢いで聴かせることに長けているんだなと思いました。
このアルバムだって売れた曲は厚化粧しているけどじっくりと聴くとアメリカンロックですね。
F.I.N.E.なんてオールディーズ風だし、シングルヒットしたWhat It Takesはほのかにカントリーバラード風、スライドギターやハーモニカそして全体としてのブルーズのフレイヴァーは意外なほど多くの曲に散りばめられていて、そこここにやっぱりアメリカという色が出ています。
最初のシングルLove In An Elevatorは遠回りしたWalk This Wayみたいなポップなロックンロール。
歌メロがとてもいいとは言い切れないけど復活した勢いが70年代の若い頃の勢いと重ね合わせられて僕は好きです。
何を隠そうシングルCDを買ったくらいだから。
でもその曲はアルバムを買ってクレジットを見てから外部作曲者が入っていない曲だと分かって妙に納得しまた彼らの意地も感じましたが、一方それで思い入れも強くなりました。
エレベーターで、、、という他愛のない歌なんですが(笑)。
この中で僕がいちばん好きなのはThe Other Sideだけど、これは外部作曲者が加わった曲。
マイナー調の哀愁系の歌メロをハードに速く押しまくるこの曲は独特の響きがあって歌メロもとてもいい。
ビデオクリップでスティーヴン・タイラーがサングラスをとると瞼に目玉が描かれていて当時は弟と「志村けんだ」と言ったものでした(笑)。
Janie's Got A Gunはやはり銃を題材にしていて元々のアメリカンロックの要素と新しい感覚がうまく結びついた曲であり、コーラスのつけ方がビーチ・ボーイズを大味にした、みたいな感じがします。
とまあ、僕の中ではまったくもってアメリカンロックな1枚であることは確認できたし、ボブ・シーガーから続くアメリカンロックの流れにこれを置いても僕自身は違和感はまったくありません。
だけどBLOG運営上では、同じ傾向のを続けすぎたかなという懸念がなきにしもあらず・・・(笑)・・・
記事にするにあたり、実は、少なくとも今世紀に入ってから初めてこのアルバムを聴いたのですが、以前は少し長くて流れが緩いと感じていた部分も無視できるくらいになっていて、そうなるとかなりとってもいいアルバムであることを、再認識というか、そこに気づきました。
なんだか少し聴き続けそうな勢い(笑)。
このアルバムが出たのは大学3年の頃。
新しいバイトを始めて新しい可能性があった時期でもあり、経済的にはともかく気持ち的には華やいだバブルの中で出たアルバムでもあって、意外といい思い出がまとわりついていることにも気づきました。
昔好きだったアルバムは、たまに聴き直してみるものですね(笑)。