南河内地域の羽曳野、大阪狭山、河南、太子、千早赤阪が合併も視野に入れて協議会を設置した。
合併と言えば、「平成の大合併」が記憶に新しいがっ言っても、あれも平成10年から20年くらいだから、およそ20年くらい前になる。
大阪では当時あった美原町と堺市が合併したくらいで進まなかった。実はこの南河内の協議会、平成の頃にもあって計画が流れている。
河南、太子、千早赤阪はバブルの頃は、ベッドタウンだったが、あの頃の購入者が、高齢者になり、交通難民を危惧して都市部に移り始めている。このあたりに走っていた金剛バスの廃業は昨年のことだ。
ひょっとしたら、今回は参加していない河内長野、富田林とかも含めて、大阪の令和の大合併はもっと大がかりになるかもだ。
ちなみに。千早赤阪村は千早村と赤坂村の合併は昭和31年。大阪狭山市は狭山町が市になったのは昭和62年、平成より前やったか。